第17話 花祭りー父からの言葉ー

 

 昏い相貌をしたヒンメルの空色の瞳が、クイーン、ラフレーズの順で流れた。クイーンを一瞥するとラフレーズを見た。どんよりとした重い感情が渦めいている。生唾を飲み込んだラフレーズは、ヒンメルが次に発する言葉が何かを待った。

 予想するなら、またクイーンといたことを咎める内容だろうか。或いは、ヒンメルの誘いを拒否したことか。はたまた、その両方か。



「…………か」



 ヒンメルの声が小さくて聞き取れなかった。「え」と聞き返すとヒンメルは紡いだ。



「そんなに、おじ上がいいのかっ」



 改めて聞いた言葉はやっぱりというか、少し予想の上をいくというか。重苦しい怒気が込められた空色に睨まれ、固まってしまったラフレーズは何も言えなかった。ラフレーズがクイーンをいいと思っているヒンメルに対し、ラフレーズもメーラがいいとヒンメルが思っていると抱いている。

 何故なら、もう何度も見てきたから。


 今年の花祭り、誰と行くかとクイーンに問われた。悩んだラフレーズが回答を述べる前にヒンメルが来た。


 込み上がる怒りが勝ってしまった。



「……何の事か存じませんが」

「嘘を吐くな。今、花祭りの話をしていただろう」

「私がクイーン様と行くと殿下は思っているのですか?」

「違うというのか!」

「っ」



 ……本当は、ヒンメルと行くと言おうとした。悩んだが婚約者としての務めは果たさないと、と思ったからだ。初めてお茶会をすっぽかされたと言えど、メーラと恋人になってからもヒンメルは義務は果たしていた。

 一緒に行っても気まずいか、また口論になってしまうかもしれない。

 けれど、心のどこかでヒンメルに期待していた自分がいたのも本当。


 事情があるにせよ、恋人を作り、恋人との時間を楽しみ。婚約者にはずっと冷たく当たって、いざ離れようとしたら婚約者だからと縛り付けようとするヒンメルへの気持ちが崩れていく。

 今だって、何も言っていないのに花祭りにはクイーンと行くと勝手に決め付けられた。



「っ、じゃあ、殿下は? 殿下は誰と行くのですか」

「そんなの決まってるだろう。僕はラフレーズと行く」

「!」



 てっきりメーラと行くと宣言すると予想していたのに、ラフレーズの名前を出した。瞠目し、殿下、とヒンメルを呼ぼうとするも……



「婚約者としての義務だ」

「…………」



 小さな溜め息を吐く声がどこからか聞こえた。一緒に行くと言われたから、一瞬だけ、期待してしまった。

 婚約者……婚約者……同じ3文字の言葉が脳内に反芻される。

 なら、婚約者としての義務を果たさなくても良かったなら、一緒に行く相手はメーラだったのか?

 表情が固まる前に、喜びかけた感情を強引に奥底へ押し込んだ。代わりに、何も纏っていない無表情を表へ出した。困惑するヒンメルを見ると惨めになっていく。でも、喜んだ姿を見せなくて良かった。最後の言葉を放たれたら、勝手に期待して自滅した馬鹿な女になってしまっていた。


 ラフレーズが口を開きかけた、時だった。



「婚約者としての義務、か」



 突如届いた声に2人は同時に振り向いた。そこには、毛先にかけて青が濃くなる長い銀糸を緩やかに束ね、若き頃の美貌に衰えがない国王リチャードがいた。護衛の騎士も引き連れず、1人で。

「どうしたんだ」クイーンが声を掛けるがリチャードはクイーンを一瞥するだけで答えず。代わりに、ヒンメルとラフレーズ2人の間に立った。



「婚約者としての義務。成る程、確かに大切だ。貴族の婚約は家同士の結びつき、政治的思惑が殆どだ。お前やラフレーズの婚約が正にそうだ。隣国の王女と我が国の王家に絶対の忠誠を誓うベリーシュ伯爵の娘であるラフレーズは、隣国との関係強化もそうだがベリーシュ家の強力な魔力を王家に組み入れる狙いもあった。

 だが、お前は重要視せず、婚約が解消されないのを良いことに随分なことをしていたな」



 冷水を頭から大量に掛けられるような言葉を容赦なくヒンメルへ掛け続けるリチャード。ヒンメルが何かを言おうと口を開こうとしても、喋るなとばかりに威圧を増す。魔力を放出するだけの術だが、術者の保持する魔力量と経験の差で効果は違ってくる。

 ラフレーズの父ベリーシュ伯爵はこれを使って妬む貴族達を黙らせている。最も黙らされている回数が多いのはファーヴァティ公爵だろう。会う度に嫌味を父に言う。一度魔力を放出すれば、歴戦の騎士の威圧を戦場へ立ったことのない男が受け止められる訳もない。毎回腰を抜かして誰かに運ばれている。


 ヒンメルが次第に顔を青ざめさせてもリチャードの声は止まらない。



「ファーヴァティ公爵家のメーラ。王太子妃になるには、家柄も能力も十分だな」

「!!」

「待ってください!!」



 国王がメーラを認めた? これがどんな意味を表すのか。

 ラフレーズはあまりにも驚き過ぎたせいで何も言えず。ヒンメルだけが抗議の声を上げた。冷え冷えとした空色の瞳がヒンメルを睨め付けた。



「なんだ」

「王太子妃になるのはラフレーズです! メーラじゃない!」

「そうか。その割に、お前はラフレーズを信じなかっただろう。お前が言うまで、彼女は公爵と花祭りに行くと一言でも言っていたか?」

「そ、れは」

「言っていないだろう。自分の事を棚に上げ、ラフレーズを責めるお前に婚約者の義務などと言う資格はない。ファーヴァティ公爵令嬢と行けばいい。ラフレーズはお前がいなくても公爵や伯爵がいる、気にする心配はない」



 ヒンメルがメーラと恋人になった事情を知るリチャードでさえこの態度。誰から見てもヒンメルがメーラに夢中なのは明白。否定しているのはヒンメルだけ。

 青い顔のまま、縋るような眼差しをヒンメルに向けられた。

 何か言わなくては、だが言葉が浮かばない。


 何か、何か言わないと――。


 ラフレーズは何も言えなかった。下を向いてしまった。頭上に感じる気配が異様に重い。ヒンメルを助ける事は出来ない。



「父上の言うことは分かりました……。ですが……僕はラフレーズと行きます」



 少しだけ、頭を上げた。悲痛な面持ちをしたヒンメルと目が合った。死にそうな声が今の表情に表れている。



「……花祭り前日にドレスと宝石を贈る。それを着てほしい」

「……分かりましたわ」



 今は、了解の旨を伝えるだけで精一杯。ヒンメルは安堵したように体から力を抜き、リチャードとクイーンに軽くこうべを垂れて戻って行った。


 ヒンメルの姿が見えなくなると一気に疲労が押し寄せた。「ふう」と息を吐いたラフレーズはリチャードに向いた。今更だが挨拶をしていないのだ。それを察知したリチャードが手で制し「構わん。偶々、通り掛かってお節介を焼いただけだ」挨拶を止めた。


 リチャードは前髪を掻き上げ眉を八の字に曲げた。



「はあ……。あそこまで駄目な奴だったのか」

「今更だな」

「どうして頑なになったのか……幾つかの予想は立てているがな」

「知ってるのか?」

「一応。ところでラフレーズ」



 急に自分に話題を振られて肩を跳ねさせたが、吃る事もなく綺麗に喋れた。安心しつつ、リチャードを見上げた。



「ヒンメルとファーヴァティ公爵令嬢の件についてだが……悪いがまだ言えん。伯爵も話していないと聞く」

「お父様を困らせてまで聞きはしません」

「そうか。君の父親思いの気持ちを利用するようで悪いが重要な案件でな」

「……だから、それを話せって言ってんだよ」



 苛立たし気にクイーンが声を低くするもリチャードは動揺せず、平静を保っている。



「おじ上なら、すぐに分かる筈。メーラ=ファーヴァティとマリン=コールドを見ていてください」

「隣国の王子はどうするんだ」

「隣国とは情報収集を共に行なっている最中です。隣国あちらとしても覚悟は出来ていると。……因みにセシリオ殿下には、まだ婚約者はいません」



 それがどうした、と言いかけたクイーンは口を閉ざした。険しい顔付きで何かを考え込む。

 軈て、険しいままリチャードに問い掛けた。



「教会は?」

「彼女が生まれた時、既に母親は男爵家を追い出された後でした。教会での調査は受けていないでしょう」

「ふむ……」



 話の筋が見えずとも2人の会話を聞いて自分なりの答えを見つけたい。ラフレーズは教会、調査という言葉に引っ掛かった。

 貴族に生まれた子は、必ず教会で魔力の調査を受ける。

 大昔、王国を混乱に陥れた恐ろしい魔力の持ち主ではないかと見つける為に。



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