第10話 遠い姿

 


「第3王子? ええと、セシリオ殿下のことですよね?」



 昨日に続いて、今日もクイーンは学院へ登校する馬車に勝手に乗り込んでいた。御者が見たらまた驚くだろう。明日からは、事前に御者に告げておこう。馬車が出発するなり、突然隣国の第3王子を知っているかと問われたラフレーズは名前を語った。隣国の国王の姪であるラフレーズなら交流があると思ったのだろうが、第3王子とは殆ど会っていない。

 隣国の国王と王妃の間には3人の王子がおり、第1王子は王太子となり王太子妃と仲睦まじいと有名で、第2王子は幼い頃からの婚約者である公爵令嬢と結婚をし婿入りをしている。第3王子は幼少期から体が弱く、あまり外に出てこれなかった。成人した現在では、通常の人よりちょっと体が弱い程度になり、勉学の為に留学をした。

 同じ王家の血を引く従兄と言えど、無いに等しい接点なのでセシリオが入国した際に挨拶をしただけ。入学式でも1度顔を合わせたが、短い会話で終わった。


 以上の事情を話し終えるとクイーンは「そうか」と右人差し指を顎に当てた。当てるように何度も引いては叩き、引いては叩きを繰り返す。



「セシリオ殿下がどうされたのですか?」

「昨日、国王とベリーシュ伯爵にヒンメルとファーヴァティ公爵令嬢の件について問いただしたんだ」

「あ……」



 昨日の父との会話を思い出す。



「結局、事情は言わなかったんだが……」



 ラフレーズも同じ。シトロンは非常に申し訳なさそうに苦い顔をしていた。



「助言だけは貰った。まあ、本当になるか知らんがな」

「助言? もしかして」

「ああ。隣国の第3王子、セシリオ殿下を見れば分かるとリチャードが俺に言ったんだ。俺なら分かるのだとよ」

「どういう意味なのでしょうか?」

「見てのお楽しみなんだろうな」



 クイーンが見たら判明するとは……。考えてもクイーンの言う通り、実際に見てから考えた方が早い。

 変わった話は聞かないし、目撃した覚えもない。

 偶にきていた隣国からの手紙にもセシリオに関する記述はなかった。



「なあ、ラフレーズ」

「はい。――!?」



 名前を呼ばれて考えるのを一旦止め、意識をクイーンに向けたら隣に座られた。かなり密着して。驚いて距離を取ろうとするも、狭い馬車内では意味がなかった。腰に手を回されて頭に温かいものが触れた。クイーンの顔が頭上にある。

 予想すればするだけ、体温が上がっていく。「体から力を抜け」と耳に近い場所で囁かれた。大人の色香を惜しげもなく混ぜた低い声と甘い香水の香り。意識しないように努めても、異性に対する免疫がまるでないラフレーズでは不可能だった。

 瞬く間に顔を真っ赤に染め上げた。耳朶を摘まれた。「耳まで真っ赤になってるぜ」と指摘を受けた。これ以上、体のどこを赤くすればいいのかと過る。



「はは。からかいすぎたな」

「い、意地悪にも程がありますっ」

「そう怒るな。恋人役を頼まれたからには、きちんと遂行しないとな」

「く、クイーン様は、どうして断らなかったのですか? 精霊の件があるのなら、私は断られても受けました」

「確かに精霊の件もあるが、ヒンメルのせいで泣いてばかりいた泣き虫ラフレーズが見返してやりたいって奮い立ったんだ。手を貸さないといけないだろう」

「面白がっているだけでは!?」

「半分はな。ただ、もう半分は真面目にラフレーズを応援してるからだよ」

「……」



 悪びれなもなく頷き、でも、続きで言われた言葉に胸が熱くなった。

 絶対といかなくてもずっと味方をし続け、見守ってくれたクイーンの言葉はラフレーズを勇気づけるのに十分な効力があった。

 彼にとったら、遠い親戚の婚約者が泣いているのを放っておけなかっただけの、お節介程度でも。


 馬車が学院の校門前に到着。やはり、御者はラフレーズ以外の人がいて今日も驚いていた。

 先に降りたクイーンに差し出された手に自身の手を重ね、馬車から降りたラフレーズは校門を潜る。昨日と同様、周囲から沢山の視線を受けた。違うのは、公衆の面前でクイーンが恋人になったと宣言した効果で更にきつい視線も混ざっている。

 嫉妬だ。女子生徒から強烈な視線を感じる。居心地の悪さはあるも、ヒンメルの婚約者であるラフレーズはこの手の視線は慣れていた。招待されたお茶会で悪意に晒された経験は多くあり、ヒンメルの恋人メーラに何度も嫌がらせをされ、その度倍返しをしてきた。

 倍返しをした相手から苦情が入れられたらしいが、全て父シトロンが自業自得だと反論を許さない圧倒的威圧感で黙らせてきた。

 そもそも、やられたら倍返しのベリーシュ家の家訓は王国では有名で、過去痛い目に遭った貴族は何人もいたそうな。古くから存在する家が知らない訳ないのに、軽はずみな行動が成せるのか。



「王太子妃教育の賜物もあるが、生来の気質なんだろうな。お前の肝が据わってるのは」

「そうでしょうか?」

「ああ。お前もメルローも、大した度胸の持ち主だよ」

「……それなら、私は殿下が恋人を作っても動揺しませんでした」

「悪意に対する跳ね返しが頑丈なだけって意味さ」



 なら、失恋した際の反動も頑丈であってほしかった。


 クイーンにエスコートをされて校舎に入った。此処でも多数の視線が受けられた。一旦足を止めたクイーンを見上げた。



「どうしますか? セシリオ殿下に会いますか?」

「見れば分かると言っていたからな……。遠くから一目見てみよう。ラフレーズも来るか?」

「はい」



 セシリオにどのような変化が起きているのか、ラフレーズも知りたい。

「感知能力で居場所を探るか」言うが早いか、瞬時に瞳に術式を刻んだ紺色の瞳が光った。夜を閉じ込めた美しさに、星までを入れた光が追加され、人の言葉では表現しきれない美に見惚れてしまう。さっと周囲を見渡したクイーンに「あっちだ」と手を引かれる。



「……ラフレーズ……」



 クイーンと今日も登校をしたラフレーズを昏い相貌で見つめる空色の瞳に宿るのは、深奥に潜められた瞋恚。

 ラフレーズに無理矢理婚約の誓約魔術を解除され、父王にラフレーズに事実を話させてほしいと直談判したら一蹴されてしまった。「ラフレーズなら最後まで待っていてくれるのだろう?」冷え冷えとした自分と同じ空色の瞳が物語っていた。自分の口にした言葉は、最後まで遂行しろ――と。



「っ……」



 婚約の誓約魔術を解除されたと話しても、父王は意見を曲げなかった。寧ろ、ヒンメルも解除しろと言い出す始末。婚約者がいながら魔術を掛けないのは王国法に反し、前代未聞。まるでラフレーズとの婚約が解消すると暗に言われている気がした。

 隣国との関係の為の最初の手段が、ベリーシュ伯爵と隣国の王女であったフレサの政略結婚だった。更なる強化としてヒンメルとラフレーズの婚約が結ばれた。

 今のヒンメルの状況を見てみれば、ラフレーズを大切にしていると思われないのは明白。だが、隣国の王も事情を知っている。彼の息子である第3王子が被害に遭っているのだから。


 恐る恐る、父王にラフレーズの婚約について切り出したヒンメルに返されたのは――



『ベリーシュ伯爵から、お前とラフレーズの婚約破棄を願われた』

『な……っ』

『まあ、当然だろうな。築き上げてきた信頼関係もなく、常にラフレーズを冷遇していたお前が違う娘と懇意にしているのを見たら、誰だって娘との婚約を破棄したがるだろう』

『待ってください!! 伯爵は――』

『全て、私や伯爵、周囲の声に耳を傾けなかったお前の自業自得だ』



 残酷で、全てその通りな無慈悲な父からの言葉だった。


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