第6話 ガラス一枚の薄い壁
マリン=コールド。
コールド男爵が侍女に生ませた娘。正妻との間に子がいなかった為、正式に娘として育てられたと聞く。朝のやり取りを見てほくそ笑んでいたとクイーンは言っていた。今ラフレーズは屋上で羊の精霊メリーくんといる。精霊はどんな場所だって行き放題。婚約の誓約魔術を解除しろと告げられたのは、精霊の魔力消耗を探るのにお互いの位置が常に伝わる誓約魔術があると面倒だというもの。
後、クイーンといるのを知られるとまたヒンメルが駆け付けるから。
「はあ……」
「メエ?」
「大丈夫だよ、ありがとうメリーくん」
溜め息を吐いてはメリーくんを心配させてしまうのに無意識の内に吐いてしまう。放課後になるまで生徒達はラフレーズとクイーン、ヒンメルの話題で持ちきりだった。無理もない。王太子は学院入学当初から公爵令嬢の恋人を作り婚約者を蔑ろにしていた。今度は婚約者が魔王公爵と名高いクイーンの恋人となったときた。未来の国王と王妃になる者が揃いも揃って結婚前に恋人を作ったなどと、良い醜聞だ。
何度もヒンメルがラフレーズの元へ来るもメーラがそうはさせないとばかりに邪魔をした。今日ばかりは感謝をした。
ラフレーズがいる屋上にヒンメルが向かっている。刻まれた誓約魔術が伝える。
「メエ」
「ううん。殿下には言えない」
メリーくんは精霊の件をヒンメルに話してみてはと提案するも首を振った。ヒンメルには関係ない。精霊の見える自分だからやるべき案件。
乱暴げに開かれた扉の先には息を荒げたヒンメルが立っていた。ラフレーズの姿を見るなり、一層表情を険しくした。
「ラフレーズ、今朝のあれはどういうことだ」
「どうとは?」
「おじ上の恋人になったとはどういうことだと言っている!」
「……ご自分にはメーラ様という恋人がいるのに、私がクイーン様の恋人になったのは気に食わないのですね」
「っ」
真実だ。嫌っていようと王家とベリーシュ伯爵家が結んだ契約は簡単には覆らない。ヒンメルも自覚があるからか、ラフレーズの嫌味に何も言えなかった。
「ずっと下に見ていた私があなたよりも上の男性の恋人になったのがそんなに気に食わないですか? 気に食わないでしょうね。殿下にとって私は、隣国との関係強化の為に無理矢理結ばされた婚約者ですものね」
自分でも驚くくらいにスラスラと台詞が出てくる。思ってはいても心の中に留めた言葉の数々が出る理由が、ヒンメルから離れた位置にいるある動物のせいだと知った。大きな白い羽を片方広げ、羽の先を立てている。人間で言うと親指を立てている感じだ。呆気に取られるも違う方を見ていてはヒンメルに不審がられると極力目に入れないよう努める。
ヒンメルはショックを隠し切れていない相貌をしていた。
「お前は……僕がそう思っていると言いたいのか?」
「今までの殿下の態度のどこを見ても、私を嫌っているのは明白です。でもクイーン様は違いました」
「っ、おじ上に優しくされてつけ上がっているじゃないか! お前は僕の婚約者なんだぞ!?」
「そういう台詞は1度でも私を婚約者として扱ってから仰ってください! 殿下は私に今まで何をしてくれましたか?
お茶をしても嫌そうな顔で目の前に座られ、スイーツを食べさせればいいと言わんばかりの態度、加え学院に入ってからは恋人を作った挙句私とは隣国との関係の為に嫌々結婚しなければならないと仰っていましたよね!?」
「そ、それは」
何が悲しくて昨日聞いてしまった話を思い出さないといけないのか。心当たりのあるヒンメルは顔を青褪めていく。
「そんなに私が嫌いなら今すぐに婚約の誓約魔術を解除しましょう」
元からするつもりだった。
こんな喧嘩腰な対応をするつもりは更々しなかった。しなくてもどうせヒンメルは自分の事なんて眼中にないのだから、こっそりしても問題ない。
あっさりと婚約の誓約魔術を解除した。ヒンメルが制止しても無駄だった。ヒンメルを淡い光が包むと胸の辺りに薔薇の紋様が浮かび上がった。だが、風が吹くとタンポポの綿のように飛んでいった。
「後は殿下が解除すれば、完全に魔術は消えます」
呆然と立ち尽くすヒンメルの表情に既に色はなかった。
遠くにいる動物――基精霊は両方の羽を広げ先を曲げていた。
精霊に事情を聞きたいラフレーズはヒンメルが何も言わない内にと屋上を出て行った。
今までずっとあった存在が消えた。悲しいよりも、虚しさが胸を覆った。
残されたヒンメルは力なく膝をついた。
「ちが……違う……んだ……。僕が……メーラと恋人になったのは……」
これはヒンメル、そして国王、ベリーシュ伯爵しか知らない極秘任務。ある事を探るべくメーラに近付いたヒンメルは仲睦まじい関係を装った。少しでも多くの情報を得る為に。伯爵からは苦言を呈されていたがラフレーズとの関係が上手くいっていない苛立ちから、話を聞かず、メーラと交際を続けた。
恋人と認識されても改めはしなかった。
ラフレーズなら決着がつくまで待っていてくれると信じていた。全く素直になれないながらも、少しでも自分の気持ちを知ってほしくて贈り物だけは欠かさなかった。
「……」
ラフレーズが離れていく。
嫌っているなんて嘘だ。隣国との関係の為、なんて嘘だ。
メーラやマリンの前で吐いた言葉は嘘だ。
……だが、ラフレーズが嘘だと疑わないのは元からの関係のせいだとすぐに思い知った。
項垂れるヒンメルは空洞になって風がすり抜けていく虚しい感覚を抱えたまま、屋上を降りた。途中メーラと会うも彼女に構う余裕はない。目指すべき場所はおじクイーンの元。後ろから誰かが叫んでいるが何も聞こえない。
クイーンに返してもらわないと。それには事実を話す必要がある。まずは父王に許しを得、次にクイーンに事実を話す。
クイーンに事実を知ってもらい、メーラとの関係は偽りだと話さないと本当にラフレーズを奪われてしまう。
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