第2話 メリーくん、提案する
夕食は希望通り、少量に変更してもらえた。これなら完食できると安堵したラフレーズは兄メルロー、父シトロンと食事をした後、庭に足を運んでいた。
母フレサは、ラフレーズを産んでまもなく亡くなった。原因はラフレーズの生まれもった魔力の高さ。母体に影響を与える膨大な魔力を持った赤子だったラフレーズを命懸けで出産し、命を落としてしまった母が最初で最後のプレゼントとしてラフレーズと名付けた。本来なら、当主が名付けるのが慣例となっているのだがシトロンは妻の最後の遺言として赤子の名前をラフレーズにした。
母を奪った娘として、父や兄に嫌われてもおかしくなかった娘を彼等は決して嫌わず愛してくれた。メルローとは3歳差。メルローは朧げながらも母の記憶がある。ラフレーズにはない。それが少し羨ましい。沢山の愛情を貰っていると分かっていても、である。
「なんて、考えてはいけないわ。お母様の愛は私の名前だもの」
最初で最後のプレゼント。愛していないのなら、名前を付けてくれない。
「メエ!」
「あら、メリーくん」
ラフレーズの所へ白い羊が走って来た。
彼はメリーくん。
ベリーシュ伯爵家で世話をされている羊、ではない。
メリーくんは精霊という、普通の人間では認識出来ない特別な存在。
「メエ! メエ」
「そんなことないわ。大丈夫よ」
この世界は精霊と共に生きる世界。稀に、精霊を認識出来る者が現れる。ただ、精霊が認識出来ても特別な扱いがあるとか力があるとかはない。普通の人間にとって精霊は姿の見えない隣人。精霊も自分達の姿が見えない人間は一緒にいるだけの同居人程度にしか思っていない。
但し、こうして精霊の認識出来る人間が現れると精霊は寄ってくる。特にその人間は、精霊にとって居心地が良いからだ。
メリーくんに暗い顔をしていると指摘され、微笑んで首を振った。ヒンメルに月1の交流をすっぽかされて落ち込んだのは事実だが、様子を見に来たクイーンのお陰で気分は晴れていた。
だから大丈夫だよ、ともう1度笑う。
「メエ!」
メリーくんは、ラフレーズという婚約者がいながら他に恋人を作って現を抜かすヒンメルが許せないとまだ立腹だ。ラフレーズが訴えたところであのヒンメルが聞く耳を持つとは到底考えられない。何度も立場を考えてほしい、恋人を持つならもっと目立たないようにしてほしいと訴えたかった。その度に向けられる、氷のような冷たい瞳に耐えられる自分がいないと足が重くなってしまう。
「メエ、メエメエ」
「え!?」
驚きの提案をメリーくんにされた。
メリーくん曰く、ラフレーズも恋人を作ってヒンメルを見返してやれというもの。
見返すも何も……と抱く。そもそも、ヒンメルは出会った当初からラフレーズを嫌っている。無理に決められた婚約を彼が嫌がっていたのは、幼かったラフレーズでも感じられた。交流もラフレーズの好きなスイーツを用意しておけば放置でいいと決め、挙句学院に入ってからは恋人を作り夢中になっている始末。恋人を作ってもあのヒンメルのこと、冷たさの中に蔑みが追加されるだけのような気がしてならない。
「メリーくん。私は恋人を作る気はないわ。それに……仮にも、王太子殿下の婚約者よ? 王家の不興を買って得する人はいないでしょう?」
「メエ……」
メリーくんの耳が垂れた。彼にしたら妙案でも、現実は上手くならない。
王太子以上の立場の人なら、可能性はあったかもしれないが……王太子以上の人と言えば国王しかいない。
この話は止めましょう、と違う話題をメリーくんに振った。
――翌日。今日も今日とて、変わらずメーラと愛を育むヒンメル。少しだけ期待していた。彼が昨日のことを気にして会いに来てくれるのではないかと……朝で希望も打ち砕けた。腕を組んで廊下を歩く2人を何故自分が陰からコソコソと見ないといけない。疾しいことは何もしていないのに。
「はあ……」
憂鬱げな溜息を吐いたラフレーズの耳に明るく元気な少女の声が届いた。
「あ、おはようございます! 王太子殿下、メーラ様!」
(あの方は確か……)
入学当初話題になり、現在もある意味で話題の少女がヒンメルとメーラの元へ。
オレンジ色の髪をハーフツインにした焦茶色の瞳の可愛らしい少女。名前はマリン=コールド。
コールド男爵家の令嬢だが、彼女自身は男爵と元侍女の娘。男爵が平民の侍女に産ませた子で正妻との間に子がいなかったのを理由に、正式に娘にしたと有名だ。
一定の年齢になるまで平民として暮らしていたらしく、立ち振る舞いが貴族らしくないと他の令嬢達から嫌われている。更に、異性に媚びるのが上手なのも嫌われる要因の1つだろう。
しかし、マリンは一定の生徒からは人気があった。
一部の高位貴族の令息や令嬢からは親しまれていた。貴族主義でプライドの高いメーラが平民出身のマリンと親しげにしていると噂は耳にしていたが、実際に目にすると疑いようがない。
メーラはヒンメルの婚約者であるラフレーズに、入学前から嫌がらせをしてきた人だ。入学してからも変わらず。しかし、見目は華奢で弱気でも長年王妃教育を受け続けたラフレーズもプライドはあった。やられたら倍返し。ベリーシュ伯爵家の家訓の1つ。
「ふふ! 殿下とメーラ様って本当に仲良しですよね!」
「ありがとう。マリンにそう言われると嬉しいわ」
「でも、殿下も悲しいですね。メーラ様を愛しているのに婚約者がいるなんて……」
小さくて細い、でも殺傷能力は多大にある刃が容赦なくラフレーズの心臓を突き刺した。友人を思う悪気のない言葉は、届いている筈がない少女の心を容易く殺す。息が苦しくなった。胸に強烈な痛みが走る。
「仕方ないんだ。隣国との関係強化の為には、ラフレーズと婚姻を結ぶのが最も手っ取り早いから」
分かっていた。分かっていた、のに……。
彼は、自分を愛していないと。
……分かっていたのにっ……!
「え…………」
此処にいられなくて、声も聞きたくなくて、気付かれない内に逃げたいのに足が動かない。
一瞬、ヒンメルの焦りの声がしたが気のせいだろう。動こうとしない足を無理矢理に前へ進ませようとしたら――唐突に体が浮いた。声を上げる間もなく、体は見えない柔らかなフワフワに包まれヒンメル達からどんどん離れていく。
屋上へ運ばれたラフレーズは「あ……」と涙目で見つめた。
自分を運んでくれた――メリーくんに。
「メリーくん……ありがとう」
「メエ!」
当然! と胸を張ったメリーくんの頭を優しく撫でた。
ベリーシュ伯爵邸の庭の草が大好物なメリーくんだが、基本ラフレーズに付いて来る。何度かこうしてヒンメルのせいで涙を流すラフレーズを慰めるのもメリーくんの役割。
胸の奥深くに感じる、彼との繋がりが示す。彼が此処に向かっていると。
王侯貴族は、大昔起きた事件により、婚約を結ぶと同時に“婚約の誓約魔術”を結ぶのが常となっている。どんなに離れていても、これがある限り、相手の居場所が把握可能。
だとすると、先程のヒンメルの焦った声は気のせいじゃない。大方、聞かれたら拙いとは彼も分かっていたのだ。あの場にラフレーズがいると誓約魔術が伝え、慌てて追い掛けて来たに違いない。
「惨めね……どこまでも」
「メエ……」
隠れる? と言うメリーくんに力なく首を振った。
「いいえ……1度くらい、話をしなきゃね」
そう思っても、言葉の選択肢が見つからない。
「……」
心配げにラフレーズを見上げる、メリーくん。
軈て、つぶらな黒く目に強い意志を宿すと「メエ!」と強く鳴いた。
「メリーくん?」と首を傾げたラフレーズは異変にすぐに気付いた。胸の内に感じていたヒンメルの存在が消えた。何度辿ろうとしてもヒンメルが感じられない。呆然としていると授業開始の鐘が鳴ってしまった。メリーくんは申し訳無さそうに耳を下げ、今度は力無く鳴いた。
「あ……」
途切れたヒンメルの存在が復活した。もしや、と抱いた疑問を問うた。メリーくんは頷いた。
メリーくんは、ヒンメルが此処に来られないよう誓約魔術の繋がりを一時遮断した。本来は、当人同士でないと解除も遮断も無理なのだが、精霊は誓約魔術の繋がりに一時的に干渉できる術を持つ。丁度タイミング良く鐘が鳴ったのですぐに戻したが。真面目なヒンメルのことだから、鐘が鳴れば諦めてラフレーズを探そうとしない。ヒンメルの存在がどんどん遠ざかっていく。
「ありがとうメリーくん」
「メエ……」
「ううん、心の準備をしないで殿下と話そうとした私に気を遣ってくれたんでしょう? ごめんね、心配かけて」
「メエ! メエ!」
「え!?」
メリーくんから驚きの提案をされた。
ラフレーズも恋人を作ったら発言をまた戻した。国王以外で王太子以上の男性は1人いると強く言うメリーくん。心当たりがない訳じゃない、確かに彼は王太子以上、いや、下手をしたら国王以上の力を持つ。王国で最も特別な男性。
「う、うーん……でも……」
「メエ! メエ〜!」
王妃教育の辛さ、ヒンメルからの冷たい態度で泣いていたラフレーズを見つけ、抱き上げて美味しいスイーツを何度も食べさせてくれた優しい人。王城の草が好物の精霊が泣いているラフレーズを見つけ、彼に伝えたのが最初のきっかけ。耐えきれず、1人隠れて泣いていると精霊は彼を呼び、ラフレーズを連れ出して美味しいスイーツを用意する。
絶対に協力してくれると自信満々なメリーくんとは対照的に、面白そうだから手を貸してくれそうではあるが可能なら迷惑を掛けたくないと悩むラフレーズ。精霊が認識出来る者同士ということで交流を持つようになった王国最強の魔王公爵が果たして小娘の頼みを受け入れてくれるだろうか。
「メエ!!」
「う、うん、メリーくんにそこまで言われたら私も覚悟を決めるよ。
――クイーン様にお願いしてみる」
恋人になってください、と――。
同じ頃、一瞬とは言え、“婚約の誓約魔術”の繋がりが絶たれヒンメルは呆然としていた。すぐに繋がりは復活したが衝撃は消えなかった。
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