第27話 娘

「なんだよ。俺を夜中に呼び出して。男とする趣味は無いんだぜ」

 チェルシーが俺の部屋に入って来た。

 念話で猫を呼び出したのだ。

 俺はベッドの上で胡座あぐらを組んで座っていた。

 隣に猫が座った。


「っで、なんだよ?」


「娘の映像を見せてほしい」


「お前いいかげんにしろよ」とチェルシーが怒鳴る。「何度も何度も同じ映像ばっかり見やがって。何万回、見るんだよ」


 チェ、とチェルシーが舌打ちをした。


「もう見せてやらねぇー」


「……」


「この世界で、ちゃんと幸せになれ」

 とチェルシーが言った。


「じゃないとお前、……魔王になっちまうんだぞ」


「わかってる」と俺が言う。


 この世界には何度も勇者が召喚されている。

 日本の文化が少しだけ存在するのは、勇者を召喚した痕跡である。普段ミナミが着ている女性用のスーツだって日本に存在したものだった。

 召喚された勇者の中には、この世界を拒絶して、魔王認定されて討伐された奴もいる。


「魔王になったら討伐されてしまうんだぞ?」


「わかってる」


「イライアは勇者を取り戻すために魔王になったんだ。俺だってお前を取り戻すために魔王になっちまうかもしれねぇーぞ」


 イライアというのは9年前に戦った魔王である。

 彼女は何百年前に召喚された勇者パーティーのメンバーだった。だけど勇者は魔王討伐後に、自らが魔王になって討伐された。

 生き残ったイライアは勇者を賢者の石で蘇えさせようとした。だけど力不足で勇者を蘇らせることは出来なかった。

 だから彼女は力を求めた。誰よりも強くなった。気づいた時には自らが魔王と呼ばれる存在になっていた。だけど勇者は蘇らせることはできずに、俺に討伐された。


「お前は日本に帰りたがっているけど、もう帰れねぇーんだよ。いいがげんに理解しろよ。お前の帰る場所はココなんだよ」

 とチェルシーが言った。

「お前が日本に帰りたがっていたら俺は寂しぃーだよ」


「……」

 チェルシーの気持ちはわかっていた。


「ミナミにも結婚指輪をあげたんだな?」


「……あぁ」


「2人も妻にするなんてハーレムじゃん。ヤリチンって呼んでやろうか?」


「……娘の映像を見せてくれないか?」


「……」

 チェルシーが困った顔をした。


「これが最後だから……頼む」

 と俺が言う。


「わかったよ。最後だからな」


 チェルシーの目が光り、壁に映像が流れ始めた。


 娘が0歳の時の映像だった。

 俺のことを見てニコッと笑っている。

 必死になってパパのとろこへ来ようとしている。

 誰よりも愛していた。

 ずっと娘に会うために生きてきたんだ。ずっと娘に会うために戦って来たんだ。

 俺にはチート能力もハーレムもいらない。

 娘をギュッと抱きしめたかった。それだけで良かった。

 それだけで良かったのに。


 映像が変わり、娘が少し成長する。

 ヨチヨチと歩いている。

 だけどすぐに転んでしまう。


 チェルシーは娘の成長を切り取って次々に流してくれた。


「ずっと会いたかった」

 と俺は言った。

 娘のことを想うと涙が止まらなかった。


「会って、ただ抱きしめたかったんだ。パパはお前のことを1秒も忘れたことなかったって伝えたかったんだ。誰よりも愛してるって伝えたかったんだ」


 でも、それは叶わない。

 叶わないから苦しんでいた。

 叶わないのに絶対にいつか叶うはずだと信じて今まで生きて来た。


「俺は日本には帰らない」

 と俺は言った。

 

 地位も権力も何もいらなかった。

 ただ娘のパパでいたかった。

 それだけだったけど、それが叶わない夢だと俺は現実を受け入れた。

 もう2度と娘には会えない。

 日本には帰れない。


「この世界で生きるよ」

 と俺は言った。

 この決断をするまでに10年かかった。

 帰れない家族のことばかり考えて、10年が経ってしまった。


 娘の映像は4歳で終わってしまう。

 

「娘の映像を全て消去してくれ」

 そう言った俺の声は震えていた。


「映像を消去したら、もう2度と見れねぇーぞ。消した記憶はお前の頭の中からも2度と取り出せねぇーんだぞ」


「いいんだ。いいんだよチェルシー」


 プロジェクター機能を猫が止めた。


「わかった」

 とチェルシーが頷く。


「消去したぞ」


 子どもが泣きじゃくるように俺は泣いた。


「大人が泣いてんじゃねーよ」


 息ができない。苦しい。

 俺はチェルシーを抱き寄せた。


「わかった。わかった。お前は意外とバカ力だから強く抱くなよ。優しくな。優しくな」


 チェルシーが俺の首に顔を付けた。


「家族との別れるのは辛れぇーよな」

 とチェルシーが言った。

「次は俺達がお前の家族だから」


「ずっと心配させて、ごめん」


「……俺が勝手に心配してただけだ」


 ガチャン、と音がした。


 音がした方を見ると、ミナミが扉を開けて倒れて泣いていた。

 うっかり扉を開けてしまったみたいな姿だった。

 もしかして、ずっと見ていたのか?


「……私、えっと」とミナミが言う。

「なかなかデートしてくれないから、部屋デートでもいいかなって思って」


 チェルシーが俺から離れた。


「見てたか?」

 と低い声でチェルシーが尋ねた。


「……見てない」


「誰にも言うんじゃねぇーぞ。泣きながら男同士で抱き合ってたなんてバレたら、尻尾で首を吊って死ななくちゃいけねぇー」 


「誰にも言うわけないでしょ」


「デートの代わりに夜這いしに来たんなら、せいぜい頑張れよ」

 とチェルシーが言って、部屋から出て行った。


 ゆっくりとミナミが扉を閉めて、鍵まで閉めた。


 俺はグショグショになった顔をパジャマの袖で拭った。


 ミナミは扉の前に立ち尽くしていた。

 薄紫色のシルクのパジャマ。いつもはポニーテールにしている髪も下ろしている。


「こっちにおいで」

 と俺が言う。


 ミナミがゆっくりと近づいて来て、ベッドの端にチョコンと座った。


「もっと近くにおいで」

 と俺が言う。


 彼女は俯きながら顔を真っ赤にさせて、ベッドの上をハイハイしながら俺に近づいて来た。

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