4-7 僕に生まれたホントの気持ち(下)
そうして太陽もすっかり落ちた夕闇の中、僕は呼吸を乱しながら湖上さんの家に到着し、ためらうことなくチャイムを押していた。
心音がずいぶんと煩いのは、走って息切れしたことだけが原因ではないだろう。
明日まで待っても良かったのかもしれない。
けど、自分でもらしくないと思うのだけど、勇んだ気持ちが僕に待つことを許さなかった。
「宮下さん?」
汗だくになった額をぬぐい、ようやく肺に酸素を取り込みながら膝をついている間に、湖上さんが玄関にひょっこりと顔を覗かせる。
「宮下さん? どうしたんですか!?」
目を丸くする彼女に、僕は息も絶え絶えに手を出して――
「湖上さん。僕、さっき……お、おれ……い……」
「へ?」
「お礼、い、わす、ぜーっ……わすれ……はーっ……すびばせん、久しぶりに走ったせいで、い、息が……」
運動不足ぅ……。
ここで格好をつけれないのが、クソザコな僕である。
ああ本当、我ながら情けなさ過ぎるし僕はダメダメな人間だ。
それでもぐっと膝に力を入れ、無理やり深呼吸を繰り返す。
大丈夫。伝えることはもう、決まっているんだから。
「僕、湖上さんに、お礼を言い忘れてて」
「へ? そうでしたっけ?」
「嬉しかったとは言いましたけど、それだけでは、気が済まなくて」
小早川君には現金を渡して呆れられたけど、僕はやっぱり、礼には礼を返さないと落ち着かない。
いや違うか。
僕自身が納得できないのだ。
汗をぬぐい、ふっと息をつく。
心の内にわき上がる不安は、ぐっと胸の奥底に押し込んで。
鞄から幾つかの本を取り出した。
「さっきの感想、すごく嬉しくて……いや、それだけじゃありません。文化祭の件でお世話になったり、一緒に買い物に行けて楽しかったり……さっきも感想を貰えて、たくさん嬉しかったぶんの、お、お礼をしたくて……これ、を」
汗だくで握りしめたのは、僕がずっと隠し続けた秘蔵本だ。
陵辱好きとして、このセンスは外せないと感じたエロ漫画――肌色成分が多めなんてものじゃない、卑しい名作三冊をお渡しする。
え、と目を丸くする湖上さんに向け、僕は続けてもう一つのファイルを取り出した。
「僕の考える、陵辱本ベストセレクション三冊です。それと……」
それはA4用紙数枚の紙束だ。
ホチキスで乱雑に止められたそれは世界のどこにも存在しない、そして需要もまず存在しないであろう――けど、湖上さんにとっては最高の宝物。
「社外秘の、僕達しか知らない、フィーンテイル裏設定資料、です」
傍目で見ればドン引きされるクソの塊を、彼女に渡した。
この中には物語中で開かされなかった女騎士の秘密や、過去の因果についても記されている。もちろん僕が考えたものも数多く含まれており、妄想の域を出ない内容もあるけれど、湖上さんに喜んで貰える出来映えだという自信はある。
……。
……僕は自分でもはっきり自覚できるほどの臆病者だ。
陰気で目立つことが大の苦手でしかも自宅に引きこもるのが大好きで、自分の秘密を他人様に見せる自分なんて考えもしなかった。
けど、今は彼女にただ感謝を伝えたいと思ったんだ――
と、勇気を出して彼女にそれを渡し、待つこと数秒。
「……湖上さん?」
自然とうつむけていた顔をゆっくり上げると、湖上さんは玄関前で本を手にしたまま完全に固まっていた。
つぶらな瞼をぱちくりと瞬かせ、頂いたものを穴が空くほどにじーっと見つめている。
……えーと。
えーと?
「あ、あの。湖上さん?」
人間は、時間が経つと冷静になる。
要するに、熱が引いた途端に……ちょっと恥ずかしくなってきた。
しかも傍目に見れば、自宅に駆けつけ女子に陵辱エロ本を汗だくで渡す男である(十八歳自称高校生)。
犯罪者待ったなし。
あれ?
……湖上さんなら一番喜ぶだろうと思って行動したのだけど、やっぱり僕はどっか世間とズレてるし頭がおかしいので、これは大変にやらかしてしまったのでは?
そう訝しみ、両手が震えはじめたところで、湖上さんがふらりと目眩を起こしてしまった。
「湖上さん!?」
「すみません、嬉しすぎて目眩が」
「目眩って嬉しくてなるものですか!?」
「なりますよ! だって好きなものの設定資料ですよ、私、好きなゲームのwikiとか一日中読めちゃう方ですもん!」
おっとっと、と可愛いステップを踏んで姿勢を正す湖上さん。
それでも手元の本と資料だけは、宝物を抱くように懐に抱えたままニヤニヤしている。ほおずりしそうな勢いだ。
「宮下さん、これ読んでもいいんですか? いえ返せと言われてももう絶対返しませんけどっ」
「どうぞ……」
「わああっ、ありがとうございます! ん~っ♪」
「あ、ちょ、玄関前で読むのはちょっと……僕すぐに帰りますので、自宅の部屋でゆっくり、どうぞ。ああ、匂いを嗅ぐのもあとにしてください」
「あああそうでしたねごめんなさいごめんなさい」
相変わらず夢中になると周りが見えなくなるのは、湖上さんらしい。
そしてわああ、はああ、と感嘆の声を零し、いまにも飛び跳ねそうな満面の笑みを浮かべる彼女を見ていると、うん。
持ってきて正解だったし、小さな勇気を出して良かったなと思う。
……僕にはこれくらいしか、感謝を伝えることが出来ないけど。
そして、こんな小さな一歩をするのに、すごく力が必要な、情けない男だけど。
彼女が喜んでくれるのはやっぱり嬉しい。
……そうして湖上さんが喜ぶ様子をひとしきり眺め、満足した所で、邪魔者は退散しようと思った。
いつも通り猫背になってお辞儀をする。
まあ小物すぎる僕の勇気なんて、吹けば軽く飛んでいくもの。いつもの弱気な自分に戻ってしまえば即座に逃げたくなるのが僕であり、これから自宅に戻ればまた「もっと上手くやれたのに」と頭を抱えることになるんだろう。
でも、今日はいつもより後悔は少ないかもしれないな、と彼女に背を向けて――
「宮下さん!」
「は、はいっ」
いきなり声をかけられ、びくっと振り返る。
そして……
とくん、と小さく心臓が震えた。
振り返った僕が見たのは。
いや、見てしまったのは。
湖上さんらしい――太陽すら弾けそうな、にっこにこの笑顔だった。
「宮下さんは本当に、人を喜ばせる天才ですね」
「え」
「私もうまく言葉に出来ないんですけど、その……すごく、すごく、嬉しかったです!」
僕をじっと見つめながら、ぎゅっと、自分の懐に納めた宝物を大切そうに抱き締める湖上さん。
その幸溢れる輝かしい笑みに、僕はふと、今まで感じたことのない別の感情を抱く。
表現しがたいそれは、心の奥底で渦巻くような。
空っぽの器を一気に満たしてしまうような、怒濤の洪水のようなもの。
「?」
「あ、いや、その……」
身体の底から溢れ、口から零れそうになるほど渦巻くもの。
頭の先までかっと熱が昇るような、今まで体験したことのない、止まらない血の奔流。
けどそれが何なのか、僕はうまく言葉として表現する術を持たなかった。
それは大変に神聖なものであり、僕みたいな人間が触れてはいけない感情のような。
言葉にしてはいけない存在である気がしたのだ。
だから――
「こ、湖上さんも、その……すごく、素敵だと思います。いつも、好きなことにまっすぐで……元気で素直で、楽しそうで……だから……」
代わりに出た言葉は、近似値、或いは代数とでも言うべきか。
よく似たような、けど同じくらい僕にとって大切な関係性。
「あの。……湖上さんと、……と、友達に、なっても、良いでしょうか?」
「え?」
自分でも理解できない、もやもやとした幻のような言葉をなんとか捕まえて絞り出すと、湖上さんの顔が驚きに変わる。
しばらくその顔を見つめていると、やがて湖上さんの顔が驚きから、彼女らしい満面の笑みへと、ゆっくり緩むように綻んでいって。
「もう、なに言ってるんですか宮下さん」
「え」
「私達、もうとっくに友達じゃないですか」
「…………ぁ」
「もう友達なので、友達になることはできませんけど。これからもぜひ一緒にやりまくりましょう!」
ぐっと拳を握り、えへへ~、と。
湖上さんがとろけるような笑顔を零したところで、自宅から「奏~?」と湖上母様の声が届いてきた。
「あ、すみません。今日はホントに有難うございます、また明日よろしくお願いします!」
ようやく我に返った湖上さんが、宝物を服の下にいそいそと隠していく。
少々はしたないけど湖上さんらしさを全開にしながら手を振り、自宅へと戻っていく。
……その背中を見送りながら、僕は心の中で何度かその言葉を繰り返した。
友達。
友達。
これからもぜひ一緒に。
聞き慣れないその言葉は、なんだか妙な実感を伴いながら今日一日、僕の耳からずっと離れることはなく、わんわんと心の中をかき混ぜぐちゃぐちゃにしていく。
成程。これが、友達。
でも――
それだけでは上手く表現できないこの感情は、何なんだろう、と思いながら。
――――――――――――――
本作『湖上さんは隠れ性癖を語りたい』は残り一話の予定です。最後までよろしくお願いします!
引き続き新作のご案内です。
『”友達クエスト”の少数派 ―フレンド数=強さのVRMMOで芋ぼっち美少女の世話をしたら「と、友達なんかじゃないもん……」とデレてきたので一緒に攻略しようと誘ってみた―』
https://kakuyomu.jp/works/16817330648825551184
宜しければ、評価&レビュー等お願いします。本作も最後までお楽しみください!
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