第5話 支配人
闘技場支配人バンジュールの苦悩
~♪ 闘技場、それは大人の社交場
~♪ 闘技場、それは紳士淑女の嗜み
~♪ 飛び散る鮮血、裂ける
~♪ 今宵もあなたを夢の享楽へとご招待
闘技場の高い壁の上に設けられた観戦者用サロンルームでは、バンドの生演奏で軽快なリズムのテーマソングが奏でられていた。
まるでパーティ会場のように着飾った紳士淑女が酒を飲みながら語らい、戦闘奴隷が命を賭して闘い、血を流し苦しむ死にざまを楽しんでいた。
その部屋に置いてあるどれもこれもが上質の調度品だが、えげつない色使いはとても上品とは言い難い。
その隣の支配人室で闘技場支配人バンジュールは黒革張りの豪華な椅子に座り、部屋の窓から見下ろせる闘技場の様子を眺めながら高級酒に満たされたグラスをゆっくりと回す。
壁を隔てた隣室にまで漏れて聞こえてくる無駄に軽快なアップテンポの曲すら、自らの栄華を賞賛する讃歌のように聞こえるのだ。
我が世の春にバンジュールは笑いが止まらなかった。
いつものように第二王子殿下から奴隷……ではなく闘技場の挑戦者が転送されてくる頃だ。
殿下が送ってくる挑戦者は刺客や政敵や気に入らない使用人まで各種に及ぶ。
戦闘の腕前はまちまちだから戦士としての質は期待できないが、その分使い潰しても文句が出ないし、無様に死にゆく様子は別種のエンターテイメントとして、特にそういった嗜好のお客様には喜ばれていた。
それで今回送られてきた奴隷……挑戦者は、ボロボロだが異国風の変わった服装をした見るからにひ弱な少年だった。
しかも殿下からの情報によると、まともな
正真正銘の無能だ。
だが無能にも使い道がある。
テーマソングの通り「飛び散る鮮血、裂ける
挑戦者が現れたとアナウンスがあると、観戦客は騒めき始めて高所に設けられた豪華な観覧席の窓から闘技場を見下ろした。
生バンドが奏でるテーマソングのままに、飛び散る鮮血、裂ける
「ご来場の皆様、長らくお待たせ致しました! 今回の挑戦者、武器を持っておりませんが【火魔法☆2】が使えます。それでは配当率を発表いたします」
対戦者情報は第二王子殿下の指示通りに発表した。
無能なんだから【火魔法☆2】が使えるなんて嘘八百だ。
だが、攻撃魔法を使う前に死んでしまえば、嘘が嘘でなくなるから問題はない。
あんな小枝のような細腕で、しかも見た目通りにまともな戦闘
せめて武器ぐらい持たせてやればいいのに、あの殿下はそれすらもケチったようだ。
まあそれも運命だ。
せいぜい俺の養分になってくれ。
バンジュールは独り言ちた。
対戦相手はオークだ。
大きな豚顔に二メートル超の巨体を持つ魔物で、頑丈さに定評がある。
王宮に勤める熟練兵士や上級のハンターでも一対一で勝てる者はそうはいないし、仮にいい勝負をするような猛者は顔も名前も売れている。
つまり無名のあの少年は絶対に勝てないわけだ。
ちなみに、どちらが勝つかは分かりきっているから、勝敗では賭けが成立しない。
賭けを成立させるためにバンジュールが考案したのは、挑戦者が「耐える時間」を賭けさせることだった。
開始から
十秒以内 1.3倍
二十秒以内 5.3倍
三十秒以内 14.8倍
……
……
賭の対象を分散させて当たりにくくし、少数の当選者に高い配当を出す。
当選者の喜ぶ姿は射幸心を煽り、客から更なる賭け金を引き出す。
賭け金総額が増えれば、約三割の寺銭を取るバンジュールも儲かるって寸法だ。
今回の対戦カードはどう考えても開始直後の一撃で即死だ。
あの貧相な少年に見た目通り戦闘系
何よりも第二王子殿下自身が「十秒以内」にポケットマネーを賭けているのだ。
それも一般兵士なら十年以上も雇えるだけの高額を。
普通なら「十秒以内」のオッズは1.0倍以外にありえない。
だから挑戦者の情報をほんの少しだけ盛って、オッズをバラしたのだ
挑戦者情報を正直に開示すれば圧倒的大多数の投票券が「十秒以内」に集中して賭けが成立しない。
そうなってもオッズは1.0倍未満を付けられず、全てを払い戻せばバンジュールは経費倒れで赤字を被ってしまう。
ここに集まるのは国内でも有数の資産家や貴族の紳士淑女たちばかり。
その中には血沸き肉躍る死闘の観戦料として投票券を買い、闘技場の戦いを純粋に楽しむお客様もいる。
だが第二王子殿下は違う。
とにかくガチ、とにかく強欲、博打や観戦を優雅に楽しむ気はない。
寺銭のアガリだけでは満足せず、八百長のような情報操作をした上で、今回も支配人バンジュールの年収の倍額以上のポケットマネーを賭けるよう指示が出ていた。
しかも一番手堅い投票券に賭けるよう指示するくせに配当が低いと直々に文句を言われるから、手堅い賭け目に可能な限りオッズを吊り上げるため、平気で「攻撃魔法が使える」などと対戦者情報に虚偽を混ぜることになる。
もっと質が悪いことに、もし外せば損失補填は闘技場の経費で賄うよう要求してくるから帳尻合わせが大変になるのだ。
こうやって意図的に歪めたオッズの試合は損益が狂うので他の試合でちょっと穴埋めをするのも手腕の見せ所である。
そんな愚痴を漏らしながらも、バンジュールの栄華はこの闘技場あってのものだ。
「ご来場の紳士淑女の皆様、お待たせいたしました……」
さあ、小遣い稼ぎの時間だ。
なぜだ?
オークの動きがいつもよりもずっと鈍くて遅い。
まるで毒にでも蝕まれているようだ。
なぜだ?
あの細っこい少年は戦闘
なのに【火魔法】を使っているじゃないか。
いや、挑戦者紹介で他でもない俺が確かにそう言ったが。
バンジュールは戸惑っていた。
とっくに試合開始から五分を過ぎてしまった。
さすがに五分以上の勝者投票券は誰も買っていな……いや、一枚だけ売れていた。
一時間以上の戦闘の結果、挑戦者が勝ってしまった。
遠くから離れてチマチマと火魔法を撃つだけで何の面白味も無い戦いだ。
そんなことよりも殿下の賭け金を失ってしまった。
次こそ回収しなければヤバイ。
そう考えたバンジュールは不本意ながらもここは隠し玉を投入するしかないと判断した。
バンジュールの意思決定は早かった。
隠し玉とは人間が一対一では決して勝てない魔物のことだ。
五連戦を勝ち進んだ者に恩赦を与える。
初代建国王が定めた不変の法だ。
だが歴代達成者は建国王の時代に僅か一人だけ、それ以後は現れていない。
今となっては恩赦が形骸化した過去の遺物の制度だと誰もが知っている。
それでも今なお廃止されない理由は、建国王以来の国是として実力主義を掲げ、実力ある者を高く遇する王家の懐の深さをアピールする建前として、一度上げた看板を下ろせないからだ。
支配人の立場としては自分の代で恩赦を出すなど、弱い魔物しか集められない無能と認識される恥ずべき失策となる。
当然だがバンジュールが支配人になってからも王家の意向で続々と対戦者が送り込まれて来るものの、恩赦どころか二戦目に挑戦できた者すら稀だ。
高貴な観客は挑戦者が必死に無駄な抵抗をして嬲られる無様な公開処刑を望んでいるのだから、弱い魔物を当てて挑戦者に勝たせてやる必要がなかった。
さっきのオークだって本来なら初戦で出す戦力ではない。
二戦目、いや三戦目でも十分に通用する戦力なのだ。
殿下のために必勝を期して十秒以内に決着を付けたくて初戦に使ったのだが、結果は惨敗だった。
だが次はもう容赦できなかった。
普段は観戦の機会がほとんどない魔物を登場させることにした。
観客にとっては見応えがないだろうが諦めてもらう。
なぜだ?
ステルスリザードは不可視のはずなのに?
なぜだ?
まだ十分ぐらいしか経っていないのに、さっきのオークよりも簡単に倒されたぞ。
しかも挑戦者の姿も見えなくなっているではないか。
バンジュールは物の怪に化かされたような気持ちであった。
なぜか知らない間に負けていて、殿下の勝者投票券は全部外れていた。
挑戦者勝利の投票券は誰も買って……一口だけ売れていた。
殿下の口座に穴を開けたままでは終われない。
もうなりふり構っていられない。
通常は一体ずつしか出さないが次は三体纏めて投入だ!
三対一の勝負なんてどう考えても1.0倍にしかならないはずのオッズを、何とか無理矢理1.1倍に引き上げた。
そこにドンと目一杯賭けて薄く勝つ。
手堅い投票券しか張らない殿下に勝たせる手段はこれしかない!
そう決断したバンジュールは今度こそ取って置きの切り札を切った。
オーガは本来なら三戦目でも十分通用する戦力だし、デュラハンに至っては複数のパーティが多大な犠牲を払って捕獲した大物であり一対一では絶対に勝てない相手だ。
それを三体纏めて出してやったわ!
はっはっは。
そして渾身の戦力を投入した試合後、支配人室のふかふか絨毯の上にガックリと項垂れているバンジュールの姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます