第二章 ふたつの太陽
第8話
ドーは力持ちだった。綾がドーの首につかまり、その後ろにカンが乗って手綱をとった。ドーは初めの一、二歩でバランスを崩しそうになったものの、あとはゆうゆうと歩き出した。子供ふたりを背に乗せることなど、たいしたことではないらしい。乗り心地も悪くなく、目線も高いので、鳥特有のにおいさえ気にしなければ快適な移動手段だった。
ふたりと一羽は戦闘地域を避けて国境へ向かっていた。伝令によると、ルーランド軍が応戦できないのをいいことに、パドキア軍は前進に前進を重ね、すでにルーランド国内に侵攻しているとのことだった。
「まずは北の泉へ向かう。そこにシャーマンが住んでいるから、話をしてみよう」
カンはそう言って村を出発したはずなのに、沈む太陽に向かって走っている。
「ねぇ、カン」
綾は首を後ろに回して声をかけた。カンが身を乗り出して耳を綾に近づけた。
「なに?」
「北の泉へ行くって言ったのに、西に向かっているじゃない」
「そんなことないよ。ほら、ちゃんと太陽の沈む方角に向かっている」
「だから、それって西でしょ」
「なんだって? 太陽の沈むのは北に決まっているだろ?」
「えぇ?」
綾があまりに大きな声を出したので、ドーがクェッと鳴いた。
「この世界では太陽は北に沈むの?」
「あたりまえじゃないか。太陽は南から昇って北に沈むのさ。アーヤの世界はちがうのかい?」
「ちがうわ。東から西よ」
「へぇ。じゃあ、もうひとつの太陽もかい?」
「もうひとつ? 月のこと?」
「つき?」
「まさか、月がないの? 夜空は真っ暗なの?」
「空が暗くなるだって? 考えられないよ」
綾はだんだんわけがわからなくなってきた。ちがう世界とはいっても、人間がいて土があって草があって空がある。行ったことのない外国くらいにしか思っていなかった。太陽の沈む方角がちがうなんて思いもしなかった。しかも夜もないらしい。
「それなら、太陽が沈んだらどうなるの?」
目の前の、綾が知っているものと同じに見える太陽は、そろそろ遠くの山に隠れようとしている。
「大いなる太陽が沈んだら、小さき太陽が昇るのさ」
カンが手綱の右側をクイッと引いた。それを合図にドーが回れ右をする。
そこには今まさに昇ろうとしている太陽があった。綾は前を向いたり後ろを向いたりして、ふたつの太陽を見比べた。昇ろうとしている太陽は、沈もうとしている太陽よりふたまわりほど小さいように見える。心なしか明るさも弱いようだ。
「信じられない……」
「おれの方こそ信じられないね」
カンは再びドーを北へ向かせた。
大いなる太陽はほとんど山に隠れてしまった。けれども南から照らす小さき太陽のおかげで闇はおとずれない。
「アーヤの世界は、ひとつだけの太陽が沈んだらどうなるの?」
「どうもならないわ。暗くなるだけよ」
「洞窟の中みたいに?」
月や星が出ていれば真っ暗闇ではないのだけれど、と思いながらも、説明するのも難しそうなので「そうね」とだけ答えた。
「恐ろしい世界なんだな。おれたちは闇には魔物が住むと信じている。だから闇のある場所にはめったに近づかない。どうしても行かなくちゃならない時もあるけどね。時々、暗い森の中にきのこを採りに行った人が魔物に捕らえられて帰らないことがあるよ」
綾はブルッとして、ドーの首にしがみついた。
「もうすぐ北の泉に着くよ」
カンが目の前の林を指した。
「あの林の中は暗くない? 魔物はいない?」
「大丈夫だよ。あの林は明るいから」
答えてからカンはクックッと笑った。
「なにがおかしいのよ?」
「だってさ、コタ様のところへ行くなんてとんでもないことを考えるかと思えば、こんな林におびえたりするからさ」
「それはカンがあんな話をするからでしょ!」
カンはニヤリとした。
「案外怖がりなんだな」
「ほっといてよ」
ドーはふたりを乗せたまま林に入っていった。木はどれも幹が細く、丸く小さな葉がついていた。足元には芝生のような短い草がびっしり生えていて、木漏れ日がちらちらとゆれている。
チチチッと鳥の声に続いて、羽ばたく音が聞こえた。姿は見えないが、村にいた鳥の声と同じようだった。風が吹くと木々の葉がさらさらと音をたてて揺れ、いくつもの小さな光が乱れた。湿った土のにおいと緑のにおいが混ざり合い、なんともいえない清らかな空気に満ちている。
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