第2話 幼馴染の訪問

 数日経っても突然婚約破棄されたソフィの心の傷は癒えず、そして両親に本当のことを言えずにいるまま過ごしている罪悪感からも逃れられずにいた。


(はぁ……これからどうしましょう……)


 大好きな本を開いても、ページを左にめくってはそのページをまた右にめくり、また左にめくっては右にめくりを繰り返す。

 いつもならもう数冊は読み終えている頃なのに、今日は一冊も読めていない。


 そうしてぼーっと過ごすソフィの耳に、部屋をノックする音が聞こえる。


「ソフィ、いるかい? 僕だけど」


「ジル……?」



 ソフィは幼馴染であるルノアール公爵令息であるジル・ルノアールの呼び声を受けて、返事をする。



「入ってもいいかい?」


「ええ、どうぞ」



 ソフィの声を受けて、ジルはゆっくりドアを開く。

 金髪碧眼で整った顔立ちですらりとした姿がソフィの目に入る。


 ルノアール公爵家といえば、国の中でも五本の指に入る大きく歴史ある家柄である。

 家系をずっとたどれば、王の弟までさかのぼることができると言われている。


 ルヴェリエ伯爵、つまりソフィの父とルノアール公爵は社交界での交際をきっかけに意気投合し、よく食事会を両家で催す関係になった。

 そこで同じ年頃であるソフィとジルも自然と遊ぶようになり、ソフィの中でも男女の仲を超えた大切な存在になっていた。


 ジルはソフィより一つ年上であるが、ソフィのほうが落ち着きがあり、小さい頃は姉弟のような関係になっていた。

 ソフィの婚約を機に二人が会う機会は減ったが、変わらず今も親交を続けている。


 ジルはドアを閉めた後、そっと窓際の椅子に座るソフィに近づく。




「どうしたの? あなたが来るなんて久しぶりね」


「父上からおじ様へのおつかいを頼まれていてね。それに……」


「どうしたの?」


「執事から君が婚約破棄したと聞いてね」


「──っ!」


 ソフィは持っていた本を床に落としてしまいそうなほど驚いた。



「おじ様に聞いたよ、エミール子爵令息から申し入れがあったんだって?」


「ええ……」


 ソフィは困った表情を見せないようにしながらも、内心の焦りからスカートの裾をぎゅっと握り締める。

 ジルは幼馴染であるソフィのそのわずかな仕草も見逃さなかった。


「何かあったのかい?」


 ソフィは焦っている様子を気取られまいと、手元にあった本を閉じて、窓からバラが綺麗に咲いている庭園を眺めながら告げる。



「私がエミール様にふさわしい存在でなかったのよ」



 窓の外を眺めているため、ジルにはソフィの顔は見えなかった。

 けれども、その少し震えた声色からソフィが悲しみ、今にも泣きそうになっていることはジルにはもう伝わっていた。


 ジルはソフィの向かいにある椅子に腰かけると、ソフィの顔を覗き込むようにして言う。



「ソフィ」


「……なに?」



 覗き込むジルの気配に気づき、ソフィは顔をジルのほうに向ける。

 太陽の光に照らされた美しいジルの金髪が揺れる。

 そして、その艶めいた金髪と共に、優しいジルの微笑みがソフィを捕らえて離さなかった。



「今度、お茶会を開かないか?」


「え?」



 ジルの提案にソフィはプラチナのような長い髪を揺らしながら、首をかしげる。



「大勢でやるお茶会じゃない。僕と二人きりの優雅で静かなお茶会だよ」


 ジルはおもむろに立ち上がると、ソフィの元に近づき跪いた。

 そのままソフィの手をとると、ゆっくりと自らの唇をもっていき、口づけをする。



「──っ!」


 婚約者同士でありながらも、エミールとそういった甘い経験がなかったソフィは顔を真っ赤にする。


「君の好きなダージリンティーを飲みながら、たくさん本の話をしよう。いかがでしょうか、姫」



 今まで経験したことのない扱いを受けて、ドギマギするソフィ。

 ジルの綺麗なサファイアブルーの目がソフィを捕らえて離さない。

 恥ずかしさのあまり、目をぎゅっとつぶってしまうソフィは、小さな声で「はい」と返事をするのがやっとだった。






◇◆◇






 一方、ソフィとの婚約破棄を宣言して気分がいいエミールは、ディナーの席へとスキップをしながら向かっていた。


「リュシー嬢との婚約、きっと父上と母上も喜んでくださるだろうな~!」


 エミールの両親は、エストレ家を訪れていたソフィと自分の息子の微笑ましい話を聞けると思い馳せていた──

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