第6話☆
怠惰な性分というのは危機的状況になっても相変わらずのようだ。
この世の終わり、と絶望してから数十分しか経っていないが、真澄はまどろみの中にいた。
(ほらな?やっぱ夢じゃん。もぉ、リアルな夢ほんとやめて。あぁ、お布団気持ち良い…)
しかし、まどろみを躊躇なく切り裂くように、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「よし、チェーンかけなかったな。えらい、えらい」
洲崎が帰ってきた。
(夢じゃなかったんかい!あぁ、絶望。本日二度目の絶望だわ、クソが)
布団の隙間から外を覗き見ると、洲崎は両手にたくさんの荷物が入った買い物袋を下げていた。
「とりあえず、これでも飲んどけ」
ゼリー飲料を渡された。
どうやら朝ご飯を恵んでくれたらしい。
二日酔いの体に優しいチョイスなのは気のせいか。
洲崎も軽めの朝食を終えると、おもむろにワイシャツの袖をまくり始めた。
「佐野、俺はお前が何と言おうとこの汚部屋を片付ける。異論は認めない。お前は寝とけ」
「は?」
真澄の声が聞こえていないのか、それとも意図的に無視されたのかはわからない。
座布団と真澄が包まっている布団ごと、部屋の隅に引きずられた。
ゼリー飲料を飲みながら、今しがたこの身が置かれている状況について考える。
(こいつ何なんだよ…買い物行ったかと思えば掃除しはじめて…まぁ良いや。こいつとの付き合いも今日までだろうし、勝手にさせとけばいっか。寝とけって言われたから寝ますよー)
洲崎が部屋を片付ける音をBGMにしながら、真澄はいつのまにか寝息をたてていた。
「そろそろ起きろ。夜寝られなくなるぞ」
目覚めた時には夕方になっていた。
割と熟睡できていたようで、もう頭の痛みはなく体がすっきりしている。
そして何より、部屋もすっきりしていた。
部屋の面積を無駄に占領していた空き缶は小さく潰され袋にまとめられている。
玄関周りのゴミ袋もどういう技を使ったのか元の数よりだいぶ減っている。
まとめて置いてあった服も洗濯、乾燥までされて畳んである。
「風呂の掃除も終わったから早く入ってこいよ。昨日からずっとその服のままだろ」
そうだった、と思い半分寝ぼけながら風呂場へ向かう。
もともと水回りだけは真澄なりにきれいにしていたつもりだったが、前の状態が思い出せないくらい磨き上げられてピカピカになっていた。
(え…あいつ何なの?業者の人?ちょっと訳がわからなすぎて、さすがの俺も戸惑うんですけど…)
シャワーを浴びながら考えてみるが、わからない。
もしかして部屋を片付けたのは盗撮用のカメラを設置するためなのでは、と思い付き、一番良い画が撮れそうな風呂場と脱衣所を探してみたがカメラはなかった。
風呂から上がるとますます状況は混乱を極めた。
「腹減ったろ?ラーメン作ったから食えよ」
「え?」
机には丼に入ったラーメンが準備されてある。
一瞬、薬物が混入されているのでは、と不穏なことが頭をよぎるも、よぎっただけでラーメンの香りの不思議な魔力にかき消された。
「おい、ちゃんといただきますしろ」
「い、いただきます…」
「はいどうぞ召し上がれ」
なぜ、半ば強制的におもてなしされているのかわからないが、空腹の体にラーメンが沁みすぎて、とりあえず食べることに集中した。
あっという間に食べ終えると、洲崎は食後のお茶まで用意している。
「お前んち、もしやとは思ったけど、まな板も包丁も無いんだな」
「そんなもんいらねぇ」
「じゃあ、お前普段何食ってんだよ」
「ビール」
「飲み物じゃねぇか。固形物は?」
「柿ピー」
はぁ、と深いため息をつかれる。
別に誰に迷惑をかけたわけでもないから、ため息をつかれる筋合いはない。
「…佐野、お前服着ないのか?」
「着てるだろ」
「パンツだけな」
「充分だろ」
「いや、充分じゃないだろ!出てるだろうが、色々と!」
もしかしてパンツの隙間からお宝がコンニチハしてたのか、と思ったが洲崎からTシャツを渡された。
下の話ではなかったようで少し安心した。
「着ろ」
「何でだよ」
「何ででもだよ」
「ちっ」
「舌打ちやめろ」
しぶしぶTシャツを着る。
(こいつ小うるさいな…お母さんなのか?ワイルドの皮をかぶったお母さんなのか…?)
食後の片付けをしている洲崎を見ながら考える。
掃除、洗濯、料理…真澄だったら頼まれてもしないし、金を積まれてもしたくないことを、なぜかあの男は率先してやっている。
そして全く理解できないことに、心なしかその様子が楽しそうなのだ。
「ゴミ出しの日とかちゃんと把握してるか?明後日燃えるゴミの日だぞ」
「知ってるわ。てかお前に関係ねぇだろ」
「いや、関係あるし。俺、明後日またここに来るし」
「は?」
「朝、会社行く前に寄るから。そんでこのゴミ全部捨てるから」
「は!?訳わかんねぇのも大概にしろ!何でお前がゴミ捨てにわざわざ?てか俺、会社辞めますし!お前と会うのも今日で最後ですし!」
真澄は渾身の声量で抗議する。
しかし洲崎には全く響いていない様子だ。
むしろ余裕のある態度でこちらを見ている。
「…仕方ない。お前に選択肢を与えてやるよ」
悪そうな顔をしながら洲崎が言う。
「俺が会社中にお前の本性バラして羞恥心に耐えられないお前が退職するか、それとも…」
「それとも…何だよ?」
洲崎のこれまでの意味不明な言動に、さまざまな恐ろしい予感が頭を駆け巡る。
喉元でごくりと唾を飲む。
「お前の本性については黙っててやる。佐野はいつもの佐野で会社にいることができて人生安泰だ。これからもビールを心おきなく飲める。その代わり…お前の世話をさせろ」
「ん?」
(オマ…エノセ…ワ…ヲサセロ…え、何語?)
理解が追いついていないのが伝わったのか、改めて言い直される。
「佐野の、お世話を、俺が、する」
「え、どういうこと」
「いや、だから!掃除、洗濯、料理とか全部俺にさせろって言ってんの」
「…なんで?」
直球の問いに、洲崎は少し照れながら答えた。
「…人の世話するの、好きなんだよ」
なるほど、と真澄はようやく腑に落ちた。
(こいつはニュータイプの変態だ…)
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