木槿視点(2)
“魔女の執事”――それが木槿に与えられた新たな役目。“新米魔女”である芙美花に付き従い、その生活を補佐する。芙美花の師である“偉大なる魔女”によって、そんな特別な人間に選ばれたことで、木槿は――恐らく――人生で初めて自尊心が満たされる思いをした。
木槿の容姿は、多くの人間にとって見るに堪えない。そんな人間と親しく話したいという者がいれば、「奇特」と言うほかないだろう。そして木槿の両親はその「奇特」な人間ではなかった。
木槿は、いい思い出がひとつもなかった生家を捨てるつもりで“魔女の執事”になった。“偉大なる魔女”に“魔女の執事”として見いだされた時点で、木槿にはそれを断るすべなどなかったが、丁度よかった。
なにかが変わるかもしれないと――思いたかった。けれどもどこか心の片隅で、「なにも変わりはしない」と囁く己もいた。環境は変えられても、生まれ持った顔の形は変えられない。そして最大のネックが己の容姿であることを、木槿はよく理解していた。
「初めまして、御主人様。今日から御主人様のお世話をさせて頂きます――」
木槿の、他人に受け入れられたことない、醜い容姿を前にしてこの女主人はどう思うのか。
その懸念を、芙美花はすぐさま吹き飛ばしたわけではなかった。けれども常温が氷を解かしゆくように、芙美花は徐々に木槿の懸念を解きほぐしていった。
芙美花は、木槿の容姿が気にならないようだった。顔面の造形を無視しても、銀の髪に金の瞳という、おおよそ人間らしからぬ色を持つ木槿の特徴を、芙美花はまったく気にしなかった。
「銀色の髪に金の瞳って、いいよね……」
ため息を漏らすような芙美花の声に、批難やおべっかといった含みはない。ただ心が感じたありのままの気持ちを、彼女は口にしているようだった。
不思議と言えば芙美花とのコミュニケーションをする方法も、不思議だった。基本的に“偉大なる魔女”に渡されたタブレットを介してコミュニケーションを取っているのだが、そのときに芙美花が意思表示をする方法は複数あり、そして独特だった。
タブレットの表面に映る芙美花の姿の、胸の辺りに文字が浮かんで意思疎通をしてくることもあれば、芙美花の声が木槿の頭の中に直接響いてくるようなコミュニケーション方法もあった。
概して、タブレットに文字が浮かぶ場合、芙美花の返答は無機質で味気ないものが多かったが、木槿の頭に響いてくる声は表情豊かで、そしてときおり理解しがたい独り言めいたものもあった。
「筋肉質すぎるのもそれはそれで魅力的だけど、ずっと一緒にいるなら細マッチョくらいがちょうどいいかな~」
はじめは戸惑っていた木槿であったが、季節をひとつ乗り越えれば段々と慣れてきた。曖昧に笑っていれば、芙美花はそれで満足しているらしいことを理解したこともある。
依然としてタブレットの仕組みも、芙美花がなぜ木槿と直接顔を合わせないのかもわかりはしなかったが、木槿はむしろそれを気楽と捉えた。
タブレットは常に芙美花を映していたわけではなかったし、タブレットそのものが移動するということもなかった。だから、木槿が芙美花と会うのはいつも決まった部屋だ。なので木槿が芙美花の目なく自由にできる時間はたくさんあった。
もちろん自由な時間があるからと言って、遊びほうけるわけにもいかない。広い屋敷をひとりで管理するのは大変だし、生家ではできなかった勉強にも時間を割いていたから、木槿はとても忙しかった。しかし、生家にいたときよりもよっぽどマシな生活だった。
「木槿は偉いね」
芙美花は会うたびに木槿を褒めた。会うたびに、うれしそうに木槿と話してくれた。……だから、木槿は段々と芙美花に幻滅されることを恐ろしく感じるようになっていった。
はじめ、芙美花に不快な表情をされたりするのを木槿が恐れたのは、ひとえに己が傷つきたくないからだった。けれども気がつけば、芙美花に嫌われたくない、この美しく優しい女主人に落胆されたくないと強く思うようになっていた。
「木槿はいつも頑張ってるね。木槿を見てたらわたしも色んなことを頑張れるよ」
芙美花はタブレットに現れるときは、大抵いつもにこにこと微笑んでいる。それでもときおり、疲れた顔をしていることがある。そういうとき、木槿はもどかしい思いをする。タブレット越しでは、木槿は芙美花に直接なにもしてやれない。心を込めて紅茶を入れても、芙美花がそれに口をつけることはできないのだ。
しかしタブレットに関して芙美花に問うことは“偉大なる魔女”によって禁じられている事項のひとつだ。他にも色々と禁止事項はあり、それによって木槿はさらにもどかしい思いをしていた。
しかし禁止事項を破れば、“魔女の執事”としての資格を失うと“偉大なる魔女”に脅されている。“魔女の執事”ではなくなる――。それは、今の木槿がどうやっても避けたいことだった。今や木槿は、少しでも長く芙美花と一緒にいたいと思っている。
芙美花は木槿を罵らないし、忌避もせず、拒絶もせず、むしろなぜかいつも好意的な目で見てくれる。きっと、愛情深い親が我が子を見る目はこんな感じだろうという面映ゆさを伴ってはいたが、決して不快ではなかった。むしろ、その逆だ。
芙美花の底なしの優しさは、遅効性の毒のようにじわじわと木槿の心を絡め取って行った。
「木槿はいつもわたしに優しいね。すごいなあ……。わたしも見習わなくっちゃ」
「今日も勉強していたの? わたしも勉強してたよ。難しくはないんだけど退屈。でも木槿が頑張ってるなら、わたしも頑張ろうかな」
「木槿、いつもお疲れ様。屋敷の管理ってやっぱり大変なのかな? わたしがそっちに行けたなら、少しくらい手伝えるのになあ……」
「木槿って名前、今考えるとちょっとゴツすぎたかな? 花は可憐だけど……。うーん、これからはムーさんって呼ぼうかなあ……」
「今日は疲れちゃった。でも、ムーさんに会ったから元気出た」
「今度、ムーさんに服を送るね。やっとお金入ったからさ~。あの服、絶対ムーさんに似合うと思うんだよね。まあ、でも、ムーさんはどんな服でも似合っちゃうか」
「ムーさん、すごく似合ってる。バイト頑張ってよかった~」
芙美花はいつだって木槿の前では笑顔を絶やさなかった。それは無理したものでも、作り物めいたものでもない、自然体から出る微笑だということを、木槿にはよく理解できた。
けれどもいつからだろう。芙美花の笑顔を見るたびに、木槿は胸が苦しくなる己に気づいた。幸か不幸か、その正体がわからないほど木槿は鈍感ではなかった。
ただ静かに絶望して、気づいたその気持ちを、絶望ごと静かに心の奥にしまい込んだ。そして気づかなかったフリをして、気づかないフリをして、木槿は芙美花と今日も言葉を交わす。
そうして、気がつけば芙美花と出会ってから三年が経っていた。
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