もしも、あの日に戻れたら ~高校生たちが議論する、元首相銃撃事件~

シネラマ

ディスカッション①「亮介」

 がらんとした教室には、夏の気だるい空気が漂い、壊れかけのエアコンから申しわけ程度に送られてくる微風と拮抗し、室内の領空権をめぐり争っていた。


「ほら、スマホをやめろ。ちゃんと電源切っとけ。お前みたいなのが映画館でも平気で光らすんじゃないか。『光害』って言葉、知ってるか?」

「うちのジジイが急に心臓発作を起こしたら?」

「じゃあ、マナーモードでいいから。鞄にはしまっておけ。あと、お爺さんのことを『ジジイ』なんて呼ぶな」


 加奈がスマートフォンを通学鞄の外側にあるポケットにすべり落とす。穣治は教壇から離れると、窓際――校庭からは闘争本能をむきだしにした球児たちの吠え声が聞こえてくる――に置かれた椅子の一つを引きずり、ゴム製の脚カバーが教室の床をこする鈍い音を立てながら、四人の少年少女たちの前に来た。彼らに向かいあうように椅子を置き、腰掛ける。それから、場を仕切りなおすようにわざとらしく咳払いをし、話しだした。


「あらためて、お題を言うぞ。もし一度だけ――」


 穣治は一度言葉を切り、教室の中央に扇形に広げて並べられた椅子に座る生徒たち――皆、思い思いのスタイルで学生服を着こなしている――を見渡した。


「あの男の過去にまつわることで、変えられることがあったなら、どうするか?」

「一時間も使って話すこと? おれの答えは決まってるよ」だらしなくシャツの裾を出している太一がそう言い、整髪料でガチガチに固めた光沢ある頭髪をなでつけた。

「あんたは単純だからね。ま、そこがいいんだけど」と加奈。

「太一みたいにはっきりした考えがあるなら、もちろんそれで構わない。ただ、これからの一時間でその答えにもし、ゆらぎがあったら面白くないか? 一時間後も同じ答えで変わらないなら、それこそ強固なお前の考えってことになる。決して、無駄な時間じゃないと思うぞ」

「おれは補修がちゃんと終えられれば、それでいいすよ」太一はぶっきらぼうに言った。


「あと、ルールを説明する。

一つ、時間は一時間。なるべく中断したくないから、トイレに行きたいなら、いまのうちに済ませておけ。

二つ、みんなの総意に着地する必要はない。時間の限り、話しあうだけだ。

三つ、お互いに下の名前で呼びあい、タメ口で話すこと。もちろん、先生のおれに対してもだ。

四つ、ヘイト発言はナシ。判断はおれがする。

以上だ」


「これ、撮るんですか……あ、えっと、撮るの?」

 シャツのボタンを一番上まできっちり留め、前髪を眉の上でそろえた韓国人タレントのような短髪の亮介が、教壇に置かれたビデオカメラ――ケーブルがノートパソコンにつながれている――を指差す。黒い無骨なカメラは銃口のようなレンズを、穣治のうしろ姿をなめ、その奥で彼と向かいあっている四人――主たる被写体――へ向けていた。


「ああ、先に説明すべきだったな、悪かった。もし何かあったときのための用心だ。お前らもそのほうが安心だろ。それに、いい議論になったら、一つの作品としてどこかで発表するのもいい。お前らの了解があればだが」

「お金はもらえる?」茶色のセミロングをいじりながら加奈が言う。

「さすがにカネ取って見せはしないよ」

「残念」ちぇっと舌を出して、悔しがる加奈。


 穣治はビデオカメラの録画ボタンを押す。議論開始。


「じゃあ、はじめよう。太一の考えから聞かせてくれ」

「だから、事件のあった日にあいつを止めるんだよ」

「どうやって?」亮介が聞く。「通報しても信用されないだろ。君が犯人扱いされるよ。騒ぎを起こしてその日は防げても、もし犯人に逃げられたら、また別の機会にやるだろうし」


 太一は一瞬間、宙に目を泳がせる。「方法はなんでもいい。信用されなきゃ、おれの得意のタックルであいつを直接、押さえこむさ」

「結局、何も解決してないだろ。根本的な問題に向きあわないと」

「なんだよ、それ」

「いや、その、彼が生まれて、いまにいたる背景をちゃんと考えて……」亮介は頭をポリポリとかく。「だから、彼が間違った道を歩まないようになる原点を――」

「それっていつ?」外ハネショートボブに黒いキャップをかぶせ、ネクタイを緩めてシャツの第二ボタンまで開け、首元のネックレス――弱々しい蛍光灯の光を浴びて鈍く輝く十字架――を見せている沙織が鋭い口調で言った。

「あんな母親のもとに生まれたら、いつ何をどうやっても、やりなおすなんてできないでしょ。だから、解決策はあの人が少しでもマシな他の家庭に生まれてくるしかないって」

「お前、あの犯人のこと、いつも『あの人』って呼ぶよな。なんだ、タイプなのか?」

「うっさい。そんなわけないよ。ただ、少なくとも太一なんかよりは……あー、もう、めんどくさいな!」


 声を荒らげながら、沙織がキャップ越しに頭をバリバリと強くかいた。


「ほらほら、話が脱線してるぞ」穣治が二人をなだめる。

「いや、脱線じゃねえよ。関係あるって。ネットでは、あいつのことを『カッコイイ』だとか書きこんでるやつ多いぜ。実際、おれだって立場を抜きにすれば嫌いじゃないよ」

「君のお父さんは警察官だもんな」と亮介。

「ここだけの話だけど、よくやったと思わないでもないよ、おれは。社会に風穴を空けたんだからな。その原動力にしたって、あれだけの目に遭ったら、そりゃブチ切れるだろう」

「だからって、暴力はマズいだろ。比べるような規模じゃないけど、何ヶ月か前にハリウッドスターが、映画の授賞式で自分の奥さんをジョークのネタにしたやつを殴ったけどさ、あれだって君はわりと肯定してた。でも、僕はやっぱりよくないと思う」

「自分の嫁がバカにされたんだぞ、男だったら突っこむしかないだろ。おれだって、加奈にふざけた冗談言う野郎がいたら、ただじゃおかねえ」と言って、太一は亮介と沙織から顔を背け、隣の加奈に笑みを見せた。

「ちょっと、恥ずかしいでしょ。ここではやめてよ」顔はうれしそうに苦笑いをする。

「いや、もちろん、カッとするのはわかるよ。だからって、ビンタは。あの俳優、過去にボクサー役も演じてたから、殴り方がプロだったし。それはともかく、手を出さずにこらえて、言葉で話しあわないと」

「童貞のお前にはわかんねえよ。彼女いたこともないだろうが」

「あ、なんだって?」


 一瞬で沸騰した亮介が、太一の顔をにらみつけながら立ちあがる。その際、自分と太一のあいだに座る沙織の足に、つま先が軽く当たった。


「カッカすんな、亮介。本当のことを言っただけだろ」

「バカにしてんのか? 九十年代のチンピラバンドみたいな細眉しやがって」

「なんだと!」


 太一も立ちあがった。長身の彼はさらに背筋を伸ばして、限界まで高い位置から亮介を見おろす。にらみあう二人の男子学生に挟まれた沙織は、首をかしげ、あきれた顔をつくっていた。端に座る加奈は声を出さずに笑う。


「おい、そこまでだ!」

 穣治が二人を制する。腕を組み、厳しい目を彼らに向けていた。

「いまのはNGワードな。今後、『童貞』は禁止。それに相手の性体験や交際経験についての言及もナシだ。とりあえず、太一は亮介に謝れ」

「……悪かったよ、ついヒートアップしちまった」

「いや、いいよ。僕も眉のことをバカにしたのはよくなかった」

「そうだな、亮介。化粧やスタイルの類をいじるのは、ときに相手を傷つける。さっきのお前の発言はバンドマン全体を敵に回しかねない。ここがライブハウスだったら、袋だたきにされてたぞ」

「気をつけるよ。あと、沙織。さっき、足をぶつけちゃったよな。ごめん」

「うん? 別に痛くないから」


 穣治が立ちあがり、教壇のほうへ歩きだす。カメラの横に置かれたビニール袋を持って、戻ってくる。

「喉が渇いたよな。飲め。毒は入ってないから安心しろ」


 校庭からはもう、かけ声は聞こえなくなっていた。野球部員たちは放課後の練習を終えて、帰宅していた。外から入ってくる声はセミがジージー鳴く、ノイズだけだった。


「しっかし、このヤバい暑さで、よくもまあ野球なんてやるよね。熱中症で死んだらどうするの?」加奈はそう言ってから、ペットボトルをラッパのように掲げて、レモン風味のゼロカロリー炭酸水をごくごくと飲む。「沙織が飲んでるの何? おいしそうじゃん。最近、新発売したやつだっけ?」

「まあまあだね。一口、飲む?」


 沙織が加奈に差し出したロング缶には、グラフィティアーティストがスプレー書きしたような毒々しい絵柄がプリントされていた。加奈がそれを受け取ろうとしたが、穣治が「待った」と待ったをかけた。


「すまんが、感染対策のためにそういうのはやめてくれ。法に触れなきゃ、学校の外でお前らが何をしようと咎める気はないが、ここは学校だからな」

「はーい」

 不満げな顔をした加奈はペットボトルのラッパ飲みを続ける。「それにしても、なんで政治家ってあんなしょうもない人たちばっかりなの? まともな人もいるかもだけど」

「いないでしょ」

 沙織は、まだ中身の残る缶を握る手に軽く力を入れ、へこました。「どいつもこいつもなんだかね、ホント。特に差別発言ばっかしやがる、あの女だけは、しばいてやりたい」と言って、歯を見せて笑う。

「ああ、あいつ。メイクもダサいよね」

「加奈、見た目についての言及はナシって言ったろ。例え、この場にいない人物に対してもだ」穣治がルールを告げる。


 亮介は缶のアイスコーヒーをちびちびと口に運ぶ。

「そういえば、うちの学校も半旗の掲揚ってするの?」

「さあ、どうだろう。要請はあったけど、最終的に決めるのは校長だ。あのオヤジ――っておれが呼んでるの、絶対に言うなよ。で、オヤジは男気がありつつも結構なタヌキだから、正直わからん」

「現場のいち教師としては、どう思ってる?」と加奈。

「おれか? 校内での教師と生徒の関係上、支持政党については伏せるが、個人的に半旗はアリだ。もちろん、強制的にやらせるのはだめだが。あと、さすがに国葬はナシだろ」

「面白半分で、どんなもんか見てみたい気はするけどな。一生に一度の機会かもしれないし」太一が乳酸飲料の入っていた空き瓶をくるくると回しながら言った。

「確かに、是非はともかく、歴史上のある大きな出来事を見ることは、大事な経験になるかもしれんな。まあ、この前の東京オリンピックに、おれはなんの感動もしなかったが。ドキュメンタリー映画も寝たし。さて、喉が潤ったら、再開しよう」


 生徒たちはペットボトルや缶を床に置き、マスクを着用した。穣治だけは飲みものに手をつけなかった。


「ええと、どこまで話したっけ? あれだ、わたしが原因は親だって言ったところから話が変な方向に進んじゃったんだよね。でも、ホント、母親が悪いよ。亮介は元がどうとか言ってたけど、元は親。とにかく親を変えるしかない。そのあとじゃだめ」

「僕がポジティブすぎるのかもしれないけどさ、どこかのタイミングでわかりあえた可能性もあったんじゃないかな。うまく母親を説得できるチャンスが――」

「ないんだよ」


 沙織が吐き捨てるように言い、軽く舌打ちをする。和んでいた空気がすぐさまピリピリしだした。


「洗脳ってのは本当に怖いんだから。愛情だろうが、正論だろうが、太刀打ちできない。話しあいで解決できないから、ここまで根深い問題になってるんだ。それに、もし洗脳されてなくたって……たぶん無理。ほとんどの親は子どもの言うことなんて聞いちゃくれない。ハズレを引いたら諦めるだけ。あの母親は大ハズレだよ。最悪の親ガチャ。レアリティN。わたしの両親だって、あの人の母親ほどじゃないけど、Rにも程遠いよ。家事はテキトー、浪費グセは激しい、しょっちゅう帰ってこないし。隣近所と平気で揉める。わたしの名前も、最初は『星月』って書いて『スターライト』って読ませようとしてたらしいし。漫画の『デスノート』かよ。叔父さん叔母さんが止めてくれなかったら、ヤバかった……。これで虐待もそろってたら、今頃はぶっ刺してたね」


 沙織の『ぶっ刺す』という言葉が教室内の暑気を切り裂いた。もうエアコンを止めてもいいんじゃないかと思わせる、ひんやりした空気のなか、しばしの沈黙が流れた。


「……あの、前から聞こうと思ってたんだけど」亮介が恐る恐る口を開いた。

「なに?」

「その十字架。いつも着けてるよね。宗教的な意味があるの?」


(②へ続く)

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