第5話 落ち武者たち

 休憩を早めに切り上げさせ、出発する人々の中、エンリは逆方向に動いた。

 妹のネムを恋人のンフィーレアに任せ、全体の指揮はブリタに託す。

 自らはゴブリンたちと戻り、荒野の中に盛り上がった丘を見つけた。


 随行していた6人のレッドキャップを隠し、自らはジュゲムを共に丘に登る。

 エンリの前にはカイジャリ、クウネル、パイポ、ゴコウのゴブリン兵士が仁王立ちし、背後にはゴブリンクレリックのコナー、ゴブリンメイジのダイノ、ゴブリンアーチャーのシューリガン、グーリンダイが控え、機動力に優れたゴブリンライダーのキュウメイとチョウスケが走り回る。


 丘の上で腕を組み、前方を睨みつけるエンリの視界に、土ぼこりを巻き上げる一団が見えてくる。カルネ村があるはずの方向だ。同時に、トブの大森林がある方向でもある。


 一団の正体がはっきりするまで、少しの時間があった。その間、エンリは微動だにもしなかった。

 ここは、弱みを見せてはいけないところだと自覚していた。

 もうもうと土煙を上げていた行進が止まる。


 先頭にいたのは、3人のトロールだった。森での生活が長いのか、緑色の肌と、長い鼻をしている。全身は巨体だが、体表はぶよぶよとしている。怪力なのは間違いない。人間よりも大きな棍棒を軽々と担いでいる。


 トロールたちの間に、悪霊犬が10匹以上、唸り声を上げていた。真っ黒い巨大な犬で、産れつき体に鎖を巻きつけている。成長した悪霊犬は、その鎖を攻撃にも防御にも使う。


 さらにオーガが30人、野生のゴブリンが500人、ホブゴブリンと思われる背の高いゴブリンが20人もいるだろうか。

 エンリの周りで陣取ったゴブリンたちでは相手にならない。おそらく、トロールがいなくても、悪霊犬がいなくても、勝つことはできない。


「……お前は?」


 トロールの一人が、だみ声で尋ねた。聞きづらいが、意味は解る。


「エンリよ。あなたは?」

「……貴様が、『血塗れ』か……」

「はぁ?」


「細いな。その体で、オーガの首を片腕でへし折り、生き血を浴びるとか」

「……誰のこと?」


 エンリが尋ねたのは、隣りにいたジュゲムである。ジュゲムは困った顔をして、前に並ぶゴブリン兵士に声をかけた。


「パイポ、てめえが変なこと言うから、噂が広がっているぞ」

「す、すまねぇ」

「……どういうこと?」


「いえね。森に狩に行くとき、野生のゴブリンに、どうして俺たちがそんなに強いのかって聞かれたんで、エンリの姐さんの薫陶だって言ったんです。その時、パイポの奴が調子に乗って尾ひれをつけたんでさぁ」


 パイポはゴブリン兵士の一人である。エンリを守るように前に立っていたが、振り向いて頭を掻いた。


「それで、てめえらはエンリの姐さんを倒して、名前を上げようって魂胆か?」


 ジュゲムの声に、ゴブリンたちが一斉に身構える。


「ち、ぢがう。名前を上げるつもりはない。だげど、噂が本当かどうか、試したい」


 ゴブリンたちの目が、一斉にパイポに向かう。エンリが親しくしてきたゴブリン兵士が小さくなるのを気の毒に思い、エンリが口を開く。


「試してどうするの?」


 エンリの言葉に、びくりとゴブリンたちが震えた。どうして震えられるのか、エンリにはわからなかった。まるで、恐れているかのようだ。実に心外だ。


「おでらは、トブを追われた。西の魔蛇が支配地を広げている。グの配下で、魔蛇の配下になるのを断った者たちは、すべて殺されるか、追われた。『血塗れ』が噂通り強いのなら、あんたに仕えたい」


 エンリはトロールを見上げた。弱いはずがない。かつて、バリケードを破って侵入したトロール一体に、ンフィーレアと共に逃げ回ったことを思い出す。あの時は、アインズのメイド、ルプレスギナが助けてくれた。もう、頼ることはできない。


 エンリはゴブリンたちの後頭部に視線を落とす。逞しく、引くことを知らない。エンリが死んでくれと言えば、ゴブリンたちは迷わず死ぬだろう。そのことは疑っていない。だからこそ、死なせたくはない。


「みんなを死なせたくない」

「ああ。いいぞ。なら、一騎打ちだ」

「……いいわ」


 ゴブリンたちが一斉にエンリに目を向けた。

 隠れて伏せていた、レッドキャップたちも姿を見せる。


「……聞いていたでしょ。ジュゲム……」


 エンリは『どうしよう?』と尋ねようとした。ジュゲムなら、あるいは勝てるだろうか。勝算がないのなら、レッドキャップなら勝てるだろうか。それとも、謝って逃げようか。そんな相談をしたかった。


 だが、ゴブリンたちの反応は、エンリの予想とは違った。

 全員が、一斉に頭を下げたのだ。まるで平伏するかのように、エンリに対して這いつくばった。


「姐さん、ご無事で」

「……えっ?」


「姐さんなら、間違いなく勝てます」

「……ちょっと待ってよ」


「油断は禁物ですが、相手の動きをよく見れば、一発です」

「……私が勝てるわけ……」


 エンリの視線がレッドキャップに向かう。レッドキャップなら、けた違いに強いゴブリンのスーパーエリートなら、正しい答えを知っている。エンリが、勝てるはずがない。


「ご武運を」


 エンリが見た、赤い帽子を被った一人が、礼儀正しく腰を折った。

 体が震えた。震える体をしかりつけながら、ゴブリンたちがひれ伏した先を見る。

 トロールたち、悪霊犬、オーガ、野生ゴブリンがはやし立てる中、エンリに一騎打ちを挑んだトロールがウォーミングアップとばかりに棍棒を振り回している。


「……嘘でしょ」


 覇王エンリは、森巨妖精グリーントロールと一騎打ちを行うこととなった。


 トロールの巨大な足が、大きな一歩を踏み込む。体躯からは短い足だが、エンリから見れば長い足だ。踏み込みも大きい。

 踏み込みに合わせて、真横から棍棒が迫る。


 避けられない。逃げきれない。

 エンリは死を意識した。

 無意識に、体を守るべく、棍棒が迫る左側の腕を引き上げた。


 どしりと、重い音、衝撃がエンリの体を揺さぶる。

 吹き飛ばされる。そう思いながら、右足に力が入る。


「おおっ!」

「さすがは姐さん」


 うるさい、黙れ。と言えればどれほどいいか。だが、その余裕はない。エンリはトロールの巨大な棍棒の一撃をたまたまとはいえ受けきっていた。

 一撃を受け、踏みとどまったのだ。


 目の前のトロールの体勢が崩れている。

 エンリは前傾姿勢をとった。離れれば不利だと感じたのだ。エンリは、武器すら持っていなかった。


(武器ぐらい、誰か渡してよ)


 すでに手遅れである。エンリが踏み出し、目の前にトロールのたるんだ腹が突き出ていた。ぶつかる前に踏みとどまり、勢いのすべてを体の回転に変え、拳を打ち出す。

 握った拳を振り抜いた時、かつてカルネ村を襲った、帝国の鎧を着た騎士の顔を殴りつけたのを思い出した。


 あの時は、拳を痛めた。相手は怯んだが、ダメージは与えられなかった。かえって怒らせた。お面を被ったマジックキャスターが通りかからなければ、死んでいた。


「どぼぉおおおぉぉぉぉぉ!」


 意味の解らない苦鳴を発し、トロールが体を折る。

 地面に顔から落ちた。

 驚いてエンリが飛びすさる。


 ゴブリンたちが喝さいする。

 トロールが顔を上げる。


「まだだ!」

「当然だ!」


 叫び返したのはパイポだった。エンリが睨むと、パイポは青い顔をして下を向いた。

 もっとも、ゴブリンの顔は緑色なので、本当に青くなったわけではない。


 エンリは戦いたくなかったので、トロールの反応を待つために下がった。だが、言葉通り戦意は失わず、雄叫びを上げながら棍棒を振り下ろす。

 頭上から振り下ろされる棍棒の長さに、エンリは下がっても避けられないことを視認した。まともに受ければ、無事では済まないことも理解した。


 頭の中にいくつもの選択肢が浮かび出る。

 迷う時間はない。エンリが選択したのは、接近することだった。

 大きく踏み出し、拳を突きだす。棍棒を振り下ろす寸前のトロールが前のめりになり、自らの体を、エンリの突き出された拳に差し出す。


 棍棒を振り下ろす途中で、トロールの体が宙を舞い、背中から地面に落ちた。

 ゴブリントループの面々が喝さいを上げる。


「姐さん、武器を!」

「負けを認めさせねぇと、終わりません」


 背後から飛んでくるゴブリンたちの声は、トロールの生態を理解したものだろう。

 エンリは起き上ろうとするトロールのもとに駆け付け、手にしていた棍棒を蹴り飛ばす。


 蹴り上げた足をトロールの顔面に叩きつけると、ぐしゃりとした音と、ものが潰れる奇妙な感触が足に残った。


「……参った」


 トロールの一言に、エンリが従えているゴブリンたちが狂気する。

 背後を振り返り、エンリは拳を突きあげた。


 腕組みをして睥睨するエンリの前に、複数のトロールと悪霊犬の群れ、オーガの一団と野生ゴブリンの集団がひれ伏していた。


「血塗れの覇王エンリ陛下、これからおでたちは陛下の配下となります」


 忠誠を誓われ、エンリは目を白黒させた。腕組みをして胸を反らすという態度は、ンフィーレアと相談して、困ったら王らしく振る舞うために、ということで開発したのだ。


 台詞までは考えていない。ここには、黙っていても提言をくれるゴブリン軍師も、意味が解らなくても意見だけは出してくれるンフィーレアもいない。

 エンリの目が泳ぎ、エンリと並んで腕組みをしているゴブリン先任隊の隊長、ジュゲムと目が合った。


「どうしました?」


 気を利かして、ジュゲムが小声で尋ねる。


「……何て言えばいいの?」


 我ながら情けない。これで王が勤まるのだろうか、とは思いながらも、エンリは正直に困っていることを告げる。


「配下にしてもいいと思います。エンリ姐さんが許さねぇっていうのなら、殺しますが」

「いいえ……顔を上げなさい」


 ジュゲムに首を振り、トロールたちに声をかける。平伏していた者たちが、一斉にエンリに視線を向けた。

 亜人種の群れである。単なるモンスターまで含んでいる。エンリは気おされないように、必死にこらえた。


「わたしの国の人は一切食べないこと。人間は死体を食べるのも禁じます。それ以外の死体を食べるのは、あなたたちが、それが当たり前なのだと思う範囲であればいいわ。それを守れるのなら、わたしに従って。わたしの国に協力するのなら、生きる場所は作ります」

「従います」


 エンリと戦ったトロールが宣言し、少し遅れて亜人たちが唱和した。


「では、出発しましょう」


 背中を見せる。背後で大群が立ち上がったのを感じる。少しびくっとしたが、エンリは怯えた様子を見せないように、ゆっくりと歩きだした。


「……あれでよかった?」

「さすがは姐さん、恰好よかったですぜ」


 ジュゲムの言葉に、周囲のゴブリンたちが同意する。姿を見せていたレッドキャップが言った。


「奴らに、難しい規則は理解できません。陛下のお言葉で、まずは十分かと」

「……助けてくれると思ったのに」


 エンリがいつの間にか立ち上げてしまったゴブリン王国でも最強の13人の一人、レッドキャップにエンリはジト目を向ける。


「我々は、演説に手を貸すなどできません」

「トロールのことよ。本当に勝てるなんて思っていなかったわ。レッドキャップさんだって、そうでしょ?」


「いえ。陛下なら勝てると思っていましたよ。勝てないと思っていたなら、一騎打ちなんかさせません」


 レッドキャップはにやりと笑った。もともと怖い顔をしているので、むしろすごまれているのではないかと思う。


「……どうして、そんな風に思えるの?」

「陛下は、ご自分を過小評価しすぎです。陛下のことを弱いと思っているのは、ご自身だけですよ」

「そうかなぁ」


 エンリは自分の手を見つめる。

 最近、重い物を持った記憶がない。正確には、物を持って重いと感じた記憶が無い。


 畑仕事をすることも少なくなったのに、体力が落ちるどころか、疲れるということもなくなってきた。

 自分の体に、一体何が起きているのだろう。


 さすがにレッドキャップには勝てるとは思えないが、トロールと対峙した時に、怖さを感じなかったのも事実だ。以前は、トロール一匹に、死ぬほど追いつめられたことを考えると、つい最近の変化だとしか思えない。


「まあ、いいか。でも……勝手に人を増やして、ゴブリン軍師さんに怒られないかなぁ」


 エンリは周囲を見回した。

 ジュゲムたちゴブリン先任隊は周囲を守っているが、レッドキャップたちは新参者の亜人たちに隊列を指揮していた。圧倒的強者であることを感じ取っているのか、トロールをはじめとした亜人が大人しく従っている。


 再び移動を開始した時には、覇王エンリを守るように、亜人の大群が展開されていたのだ。


 ンフィーレアとネムは、ブリタ率いる人間たちと一緒に少し行った先で待っていた。

 待っていたというより、亜人に比べて体力に劣る人間が休憩をしていたところを追いついたといったほうが正しい。


 ちなみに、エンリの体力は亜人を凌駕していた気もするが、エンリは気が付かない振りをした。


 亜人だけで600人に迫る人数で、トロールやオーガを見たブリタは真っ青な顔で戦闘準備をしていた。せめて、子供たちを逃がすよう、大声で指示を出し、ンフィーレアは手持ちのマジックアイテムを地面に並べていつでも使えるようにしていた。


 ネムだけは、一団を見て喜んだ。先頭にエンリがいることに、気が付いていたのである。

 亜人の行進が止まり、エンリが抜けだした途端にブリタの腰が崩れ、ンフィーレアが抱きついてきた。


 人前であることを考慮し、両手で防いだところで、吹き飛ばされたように後方に飛んで行くンフィーレアを見て、冗談が上手くなったとエンリは感じた。

 駆け寄ってきた妹のネムを抱き上げる。

 久しぶりにネムを腕に抱いたが、軽くなったような気がする。


「ネム、ちゃんと食べてる?」

「うん。どうして?」

「……痩せた?」

「全然、痩せてないよ」


 自分の筋力が常人を凌駕し始めていることを、エンリは決して認めなかった。


「さあ、出発しよう。ンフィー、いつまでも演技していないで……ブリタさん、ンフィーを起こして」


 エンリに突き飛ばされたンフィーレアは、思いの外深刻な状況だった。


 100人超だった一団が、いつの間にか600人超になっていた。

 大軍団である。ただし、9割が亜人である。


 人間たちは亜人に守られるように移動した。亜人たちに慣れているとはいえ、トロールを含む亜人の軍勢に人間たちは真っ青な顔をしていたが、覇王エンリを絶対と仰ぐ姿勢に、目的地に着くまでに打ち解けつつあった。


 前方に、砦が見えてきた。

 砦かどうかはわからない。ただ、丸太を並べた頑健な壁ができていたのだ。

 丸太の壁の向こうに、さらに高い位置に物見櫓が見える。その上にいた影が、エンリの率いる一団を見て動きだした。


 しばらくして、丸太の一部が動いた。普段はただの丸太の壁だとしか解らないが、門として開閉することが可能として作られていた。

 開けられた門の内側には、エンリが想像していた通りの顔があった。


 ゴブリン軍団、12人の後方支援部隊の長、ゴブリン軍師が軍勢を引き連れて、エンリ一向を出迎えた。

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