第3話 ゴブリン王国の誕生
アインズとエンリが部屋を出た直後に、デミウルゴスは大きく息を吐いた。自らが仕える主人と長く触れあいたい、認めてもらいたいと思っても、どうしても近くにいれば緊張してしまう。
少しだけ崩した座り方に変えると、デミウルゴスはゴブリン軍師、隣に座るジュゲム、ンフィーレアに向き直る。ちなみにネムは、エンリと一緒についていった。
「アインズ様の狙い、説明したほうがいいかね?」
ジュゲムがうなずく一方、ゴブリン軍師は首を振る。
「ゴブリンたちを、スイレン法国の盾にするつもりでしょうね」
「もちろん。いつからお考えになっていたのかと思えば、背筋か寒くなるほどだ。アインズ様は、君たちを召喚するマジックアイテムを、はじめから二つ渡していた。スレイン法国は、人間種以外は認めない。森妖精(エルフ)すら奴隷としてしか認めない国だ。亜人種が隣接に建国したとなれば、確実に攻めてくるだろう」
「……解っていながら、法国と隣接する場所に、国を作れと言われるのか?」
「断れると思うかね?」
ゴブリン軍師はデミウルゴスをじっと見つめた。隣のジュゲムと視線を合わせる。確認だろう。しばらくして、長く、深い吐息をした。
「……あなた一人で、レッドキャップスをはじめとしたわが軍を全滅できるでしょうね。しかし、それだけの力がありながら、なぜ盾が必要なのです? 邪魔な存在ならば、自ら滅ぼせばいいのでは?」
「それをすれば、君たちは存在しなかった。それは、誰にとって利益になるのかね?」
ゴブリン軍師は驚いて目を見開いた。
「では、このジュゲムを召喚する前から、ゴブリン部隊で法国を滅ぼそうと考えていたということなのですか?」
「そういうことになるね。我が君の鬼謀は、常人の及ぶところではない。ただ滅ぼすだけではない。人間種最強の国が、ゴブリンに滅ぼされるということが必要なのだよ。それによって、人間という思いあがった者たちは、自分の価値を思い知らされるのだ。加えて、君たちゴブリンは忠義を尽くせる。何か問題かね?」
「……では、伺います。建国にあたっての支援は得られるのですか?」
「アインズ様は、王国に賠償金を支払わせるとおっしゃった。その金が最後だろう。君たちは、十分に力を持っているのだ。これ以上要求するのは、不興を買うことになるだろうね」
当然、それはスレイン法国との戦争に置いても同じことだ。ゴブリン軍師は、再びジュゲムに視線を向ける。エンリ将軍ともっとも長く戦った兵士に意見を聞きたいのかもしれない。
「……エンリ将軍閣下のお心次第です」
「それは心配いらない。今頃、アインズ様が直接説得しておられるだろうからね」
自らの主人の力を信じて疑わないデミウルゴスは、ただアインズの智謀に恐れをなしていた。とても敵わないまでも、少しでも役に立たなければと、ゴブリン軍師と建国に当たっての細かい条件を突きあわせた。
※
アインズは村長の家から外に出た。背後に、エンリとネムの姉妹が続く。
村の中は、多くの死者を出したという重い空気もありながら、決して暗くはなかった。自警団も多く生き残った。子供以外の村人のほとんどが戦いに臨んだという。以前のカルネ村からは、考えられない変化だった。
「そう言えば、食料は無事だったんだな」
「はい。でも……わたしが王だなんて、嘘ですよね」
エンリは周囲の視線を確認しながら、声を落としてアインズに問いかけた。エンリが王になるのだと聞かれれば、すぐにその話は広まるだろう。そうなれば、引き戻せなくなるのは間違いない。
正直言って、アインズも驚いていた。しかし、何よりデミウルゴスの考えだし、よく考えれば、悪くないアイデアだと思えた。
「村人の数がまた減ったが、全滅を免れただけでも、よしとするしかないのかな」
「……はい。あの……わたしが王だなんて、嘘ですよね」
「ゴブリンたちの食料としては、攻めてきた5000人の王国軍の死体を当てるといいと思うが……ゴブリンたちは問題ないが、村人には不快だろうか?」
「いえ……ゴブリンたちともほぼ打ち解けていましたし、命の恩人です。それに、わたしたちを殺そうとした人間たちです。ちょっと怖がるかもしれませんが、問題はないと思います。ところで、わたしが王だなんて……嘘ですよね」
村の中をゆっくりと歩くと、アインズを見かけた村人が深々とお辞儀をしてくる。アインズのことを救世主だと信じているのだ。結果的には、アインズが渡したマジックアイテムで、今回も生き延びたのだから。
「当面はいいだろう。だが、今後はどうする? ゴブリンたちを食わせるためには、ただ森に頼るだけでは無理だろう。数が多すぎる。移動しながら餌を求めるか、計画的に家畜を繁殖させるしかない。ああ……もし巨妖精(トロール)を捕獲できて、ゴブリンたちがトロールの肉を食うのに抵抗がなければ、無限に食い続けられるな。しかし、集まってくるのはゴブリンやオーガばかりではない。人間も、この村のことを聞いて逃げ込んでくるかもしれない」
「でも……わたしには……」
「私だってそうだったさ。ある日、突然支配者としてまつり上げられた。どう見ても私より優秀な連中が、命を投げ出すことも厭わずに私にひれ伏した。私はどうしたと思う?」
「……支配者として、君臨しているのですよね?」
魔導国の王を勤めあげている。まだ、王になったばかりだが、そう見えるだろう。
「毎日、胃の痛くなるような思いをしているよ。私の部下たちには、決して言えないがね。黙っていてくれると嬉しい。私たちだけの、秘密だ」
「うん」
元気よく、ネムが応える。よくは理解していないだろう。エンリは、自分のお腹を抑えた。同じように悩み、胃を痛めているのだろう。
「……できるでしょうか?」
「やるしかないだろう? 責任は重いさ。だが、他の者が変わることができないんだ」
「……助けてくださいますか?」
「助けはしない。だが、愚痴ぐらいならいつでも聞く。その代わり、私の愚痴にも付き合ってねらうがね」
エンリは、青白い顔をしながら、少しだけ笑った。アインズが手を差し伸べると、エンリが握る。驚いた顔をした。アインズの手は、幻術の魔法で再現しているだけだ。
「……あの、手、どうしたんですか?」
「もう、素顔を見せてもいいだろう」
アインズはお面を外す。エンリはアインズの顔を直視した。肉や皮が一切ない、むき出しの骸骨だ。
「怖いか?」
「……いいえ。救世主様です」
「私はこの通り、人間ではない。食べることも眠ることもできない。悩みを抱えたまま、忘れるのに非常に時間がかかる。それに比べれば、眠ることによって休息を得られる分、エンリ女王がうらやましいというものだ」
アインズは再びお面をつける。村人には、まだアインズの正体を知って、忌避反応を示すものがいるかもしれない。それは、これからのエンリの統治に支障をきたすかもしれない。
「あの……国王って、何をするんですか?」
「私にもわからないさ。ゴブリン軍師に聞くといい。おそらく、何もしなくてもいいんだろう。部下のやることに許可を出して、責任だけとってやればいいのさ。その点では、私もエンリ女王も恵まれている。間違った許可を出しても、我々を攻めるような部下はいないだろう?」
守護者たちもシモベたちも、アインズを責めることなどあり得ないと断言できる。先ほどから見ている限り、エンリに呼び出されたゴブリンたちも同じに見えた。
「……そう、ですね」
エンリが、先ほどよりさらに緩んだ笑みを浮かべる。ゴブリンたちのことを思い出しているのかもしれない。
「それから……たまに無理な注文をだしてやると喜ぶようだ。やりがいがあるっていうのかな」
「……そうかもしれません」
エンリが苦笑した。経験があるのだろう。
「貸し出していたゴーレムも、返してもらうとしよう。もう、君たちだけでやっていけるだろう。もし必要というのなら、今後は有料でのレンタルとする」
「はい」
「お互いに、貸し借り無しだ。食料や必要な物資についても同様だ。困ったら相談するといい。相談は無料だが、食料は有料だ」
「はい」
「ゴブリン王国の覇王エンリか。これからが楽しみだな」
「楽しみじゃないですよ。なんですか、覇王って」
「ゴブリンたちの絶対支配者だ、ふさわしい名が必要だろう。私の、魔導王と同じくね」
アインズが覗くと、エンリは頬を膨らませていた。
手を伸ばし、骨だけの手で頭を撫でる。
エンリが破顔し、アインズの手に自分の顔を押し付けた。まるで、そうすれば安心とでも言うかのように。
「お姉ちゃんだけ、ずるーい」
ぴょんぴょん飛び跳ねるネムを抱き上げ、アインズは知者たちが待つだろう、村長の家に足を向けた。
※
同日、リ・エスティ―ゼ王国内にあったカルネ村に、ゴブリン王国が誕生した。
ゴブリン王、覇王エンリを頂点に、5000の精強なゴブリン兵を有する王国は、周辺の過当競争に敗れたゴブリンや亜人種を吸収し急速に拡大していく。
首都はカルネ村の南方、約20キロの位置に定められた新都市エモットである。
東西を山脈に挟まれた、攻めにくく守りにくい要衝の地に建設される。
建国の布告は、魔導国、法国、王国、帝国の4か国に大々的に出された。
ただし、決まっているのは首都の名前と位置だけで、いまだ建築には至らない。
カルネ村に首都を建築しなかったのは、宰相の地位についた小さな亜人が、将来の戦を見越したのだと言われるが、詳細は伝わっていなかった。
※
カルネ村での戦闘から二週間が経過し、城塞都市エ・ランテルの行政官たちが揃って逃げだしたことが判明した。
政治体制を構築するために駆り出されたデミウルゴスが必要な処置を終え、再び実験場がある聖王国に戻ろうとした時、守護者統括から呼び出しを受けた。
アインズはエ・ランテルに居場所を移したいという意向があるらしく、守護者たちの全員でそれをとどめようとしていたところだったが、アインズの決定に逆らうことはできなかった。
そのための相談かと思ったが、少しばかり違ったようだ。
守護者統括に呼び出されて向かうのは、アインズの執務室である。
予想通り、アルベドがいた。
「アインズ様の住まいのことですか? アルベド、その件については、アインズ様の意向どおりということで決着がついたはずですが」
「ええ。もちろんよ、デミウルゴス。来てもらったのは別件だわ。魔導国あてに文書が届いてね。少し、説明してもらいたいの。アインズ様の許可はもらって、開封してあるわ」
アルベドが羊皮紙を持ち上げた。デミウルゴスは前に出ながら手を伸ばす。
「どのような内容です?」
「アインズ・ウール・ゴウン魔導国の領内の一部に、新しい国ができたみたいね。その布告よ」
「その件なら、説明してあるはずですよ。法国に対する、剣です」
デミウルゴスは布告を受け取った。目を走らせる。大した内容ではない。隣に国を作ったから、仲良くしてね。という程度だ。布告とは、通常は、おおむねそのような内容だ。
「私は、盾だと思っていたわ」
「そう説明しましたか? しかし、かの法国のことを考えれば考えるほど、この一手は剣と言ったほうがいいのだと思いましたよ」
「……私が説明してほしかったのは……アインズ様がいつからこのことを考えていたかだけど、まず内容を聞かせてくれない? どうして、ゴブリン国が剣となり得るの?」
「法国の在り方を考えれば、簡単です。かの国は、人間種を絶対だと信じて、亜人をすべて殺そうとしています。エルフですら奴隷としてしか認めていないのはご存知でしょう。そのような国の隣接に、亜人の――この場合はゴブリンですが――国ができれば、間違いなく攻め入るはずです。しかし、あの国のゴブリン軍団は強い。当然、ナザリックの敵ではありませんが、まず人間の軍隊では歯が立たない程度には強い。アインズ様が警戒している、かつてアインズ様と同格だった存在や、それに連なる者を頼らなければ、攻めても敗北するだけのはずです」
「それを知っても、攻めなければならないの?」
「そうでしょうね。それがあの国の意義です。ゴブリンの国を滅ぼさずにいれば、国としての大義を失います。国として、存在する意義を失うのは避けるでしょう。ゴブリン王国の存在を国民に知られれば、まず世論を抑えきれません。法国の国民には、ゴブリン王国の体勢が整い次第、その存在が大々的に広がるよう、手配してありますしね」
「……なるほど」
法国を滅ぼす算段は付いているということだ。アインズが警戒しているプレイヤーがいたとしても、表に引きずり出せば、情報さえ得られれば、アインズが対処できないとは思えなかった。そのために、適度に強いゴブリンたちは絶好の餌だと言える。
「先ほどの質問ですが……アインズ様がいつから計画していたのかという……アルベドは、エンリ・エモットという少女を覚えていますか?」
「いいえ」
「アルベドも会っているはずですよ。アインズ様が助けた、最初の人間です」
「……ああ。あの、角笛をあげた……」
そこまで言って、アルベドは顔色を変えた。アインズが初めてナザリックの外部と接触を持った事件だ。その時、ゴブリン将軍の角笛を渡したのだ。
「でも……まさか……あの時から、計画していたの?」
「あの角笛を受け取った少女が、ゴブリン王国国王、覇王エンリです。しかも、ゴブリン将軍の角笛という、あまり価値のなかったアイテムの真の力を引き出し、5000の精強なゴブリンたちを呼びだしました。それが、アインズ様のお考えでなかったはずがないでしょう」
「そうね……その通りだわ」
アルベドは言葉を失う。
「私たちは、まだまだアインズ様の足元にも及ばないわね」
「私も、そう思います」
守護者たちの中でも優秀に作られた二人が、絶対なる知者の前にまるで子供のように遊ばれている。それが、二人の感覚だった。
絶対者への憧れと同時に、新たに忠誠を誓い、デミウルゴスは己の任務を果たすために聖王国へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます