第17話 ユリアスの特製ディナーをいただきに。

 あの少年の名はリッタル・ヘンダーソン。

 世界的名門、グリンデルワルト魔術学院に通っていたが、そこまで目立つ生徒ではなかった模様。


 ヘンダーソン邸に赴いたが、あの事件のせいで家主は処罰され、家のことでゴチャゴチャとした手続きがまだ行われているとのことだ。


(世界的な権威、だったらしいからな親父さん……)


 時間は夕刻。

 学院から帰ってくる学生からもいくらか話が聞けた。

 

「やれやれ、こっちが貧乏人だからってジロジロと……お金持ちのガキはこれだからよぉ」


 そそくさと帰る中、内容を整理する。

 死んでほしいと願う奴はいるものの金も力もない。

 学院内でも目立たない生徒ということで、誰も気にもとめてはいなかった。


 考えても頭がぐちゃぐちゃになるばかり。

 一旦自宅に戻り、ひと休みしたあと、また出かけた。


 調査ではない。

 ユリアスとのディナーだ。


 彼女の家を訪れノックすると、落ち着いた声量の彼女が返事をしてくれた。


「ゲオルさんだね。どうぞ」


「入るぜ」


 テーブルに並ぶ料理たち。

 幻が見せる美しい夢かと思うほどに豪華で食欲をそそる品々に、ゲオルはダランと顔を撫でた。


「これあとで請求ないよな?」


「気に入ってくれたようでなによりだ。さぁ座って」


 静かに注がれるワインを横目にソワソワとしながら座る。

 キャバレー・ミランダでも見たことのない品々に涎が溢れそうになるのを禁じ得ない。


「じゃあ、いただきます……」


「召し上がれ、ボクもお腹すいちゃった」


 お互い会話はない。

 とろけるほどに柔らかな肉の旨味に舌鼓を打ちながら、至福の時間を堪能するのみ。


 ワインなど格別だ。少なくとも安酒じゃない。

 風味も舌触りもこれまで飲んだものとは次元が違う。


「う~ん……美味かった」


「ほんと美味しそうに食べるもんね君」


「お前だって」


「さ、どうかなー。……食器こっちに持って来てくれるかな?」


「洗い物か? なら俺も」


「いや、いい。ここは職場の厨房とは全然違う。ボクにとってこのキッチンは聖域だ。持って来てくれるだけでいい」


「そういうのなら」


「どうも。デザートを用意するから、そのまま座って待ってて」


「至れり尽くせりだな。ティアリカが知ったらなんて言うやら」


「"なんで私も誘ってくれなかったんですかー"ってわめくに決まってる」


「違いない」


 ある程度片付けが終わったあと、ゲオルにデザートが運ばれてくる。

 小さなチョコが添えられたホワイトケーキと、香ばしい薫りのするコーヒー。

 

「ボクの手作り」


「嘘ォ!?」


「まぁ食べてみなよ」


「あ、あぁ、いただくよ」


 味覚が贅沢になった舌に、甘い風味と滑らかな舌触り。

 落ち着いた味がたかぶった気分を緩めていくのがわかる。


 コーヒーをすすりながらひと息。

 気がつけば皿についたクリームも残さずさらえて口の中へ。


「ふぅ、美味かったなぁ」


「おーおー、綺麗に食べちゃって」


「ケーキなんてガキのときに食って以来だよ。それより遥かに美味い」


「そりゃあよかった」


 しばらく満たされた感覚に揺られながらお互いソファーでひと息する。

 ユリアスはゲオルの仕事のことを聞いてはこなかった。


 向かいのソファーで、ただ黙って読みかけの本に目を通している。


(こんな夜もたまにはいいもんだ……)


「ふぅ、さてと……ねえゲオルさん。1杯どう?」


「おいおいさすがにこれ以上は……」


「さっきのワイン同様、いいのがあるんだ」


「……なんだって?」


「ボルツ・スターって銘柄の。知らない?」


「一度飲んでみたかったやつだ。今じゃどこも取り扱ってないって聞いてる」


「うん、じゃあカウンターへどうぞ」


「カウンター? 窓際がか……、おっ?」


 窓際にイスを移動させると、ふとリビングが薄暗くなった。

 窓から差し込む街の光と、ぼんやりとした灯り。

 そして背後から聞こえる、琥珀色の液体が注がれる音。


 カランとグラスの中の氷が揺れて、彼に渡される。

 

「これが例の酒か……」


「少しずつ飲もう、乾杯」


 これまでに飲んだ酒にはない円熟味を口の中に含み、風味を鼻で愉しむ。

 

「……最高だ」


「まだティアリカにも振る舞ってない代物だよ」


「アンタ、こうしてアイツにもメシを?」


「うん、君みたいにすっごく美味しそうに食べてた。そして泣いてた」


「最初のころだな?」


「うん。今ではそれ以上の笑顔で食べてくれるよ。あーでも、最近はお互い忙しいからねぇ」


「いや、助かった……アンタ命の恩人だよ」


「え、い、一体なにさ急に」


「ごちそうさん。今日はいい夜だったよ」


「うん、ごめんね。ボクのわがままに付き合わせちゃって」


「こんなわがままならいつでも大歓迎だ」


「ははは、君らしい」


 玄関を出て夜風の心地良さに目を細めたあと、見送りする彼女に手を振り輝くネオンと人の波に消えていった。


 街を歩きながらユリアスの家で飲んだ酒の味を思い返しつつ、別の店で飲もうかと思ったがなにかしろのトラブルがあったら気分を害してしまう。


 思いはそのままにするため、真っ直ぐ自宅へと戻った。


「俺の家って、めっちゃ汚いんだなぁ……」


 自分では綺麗に整えているはずなのだが、さっきのを見ると自分のズボラさが目立ってしょうがない。

 安酒を飲んで寝ようとも思わず、余韻のままベッドに寝転がった。


「明日また学院付近洗ってみるか」


 あの時間の余韻を頭の中でぼんやりと残しながら、ゲオルは眠りの中へと意識を沈ませていく。


 次の日。

 あれだけ飲んだというのに、妙に頭はスッキリしていた。

 軽くシャワーを浴びて、服を着てから、カラッと晴れた街を歩く。

 調査の前にまずは朝食。


 公園でコーヒーとサンドウィッチを適当に。

 ベンチでひと息入れながら新聞に目を通しているとき、うしろのベンチに覚えのある気配が座った。


「お前も朝飯か」


「私は勤務の合間を縫って来てんの。……なにか情報は集められた?」


「はっきり言ってなにもない。怨恨の線も探ってみたが、とてもじゃないが軍基地にわざわざ忍び込んで復讐するなんていうリスキーなことするほどぶっ飛んだ奴はいなさそうだ。殺し屋を雇う金もなさそうなのばっかだしな」


「……そう、相変わらず手掛かりなしか」


「そっちはどうなんだ?」


「ヘンダーソン氏の論文をいくつか読んでみた。『悪性環境における適応について』、『人間と魔物に含まれる魔素因子の比率』、あとは……」


「あ~お勉強は結構」


「大事な資料よ。あのガキンチョもこれに触発されたのかもって」


「ふぅん。それであの人体実験か? にしては度が過ぎてる。いくら金持ちでもガキひとりでできる規模じゃあない。アイツの人間関係、もっかい洗ってみるわ」


「お願い。私も引き続き軍内部からの情報を集める」


 ミスラは木漏れ日あふれる並木道の奥へと消えていった。

 その背中を横目にコーヒーを飲み干し、新聞を折り畳んで調査へと向かう。


 向かうはグリンデルワルト魔術学院がある住宅区。

 ここの階層の住人は金持ちも多く、治安も比較的に良い。


 心なしか空気が穏やかに感じる。

 

「すっかり顔覚えられたかな。貧乏人がそんなに珍しいってか」


「────あの、すみません」


「あれ、アンタ昨日の……」


 確か生徒会長だったか。

 多くの聞き込みの中で特に印象に残っていた。


「リッタル君のことでまだ調査を……」


「まぁね」


「熱心ですね。軍の関係者でも彼の関係者でもないアナタがなぜ?」


「……そうさなぁ。もしかしたらあの少年は誰かに操られていたのかもって思ってね」


「え?」


「いくらなんでもさ、あそこまでできると思うか? もしかしたら誰かが彼を悪の道に引き入れたのかもしれないって、そう思うといてもたってもいられなくてね」


 適当に誤魔化してみたが、意外にも通じた。

 

「そう、ですか……私も、我が校でこんな残虐な人間が出るだなんて、信じたくないです」


「だろ?」


「優しいんですね」


「それが俺の売りでね。……ところで、俺になんか用事?」


「いえ、用事と言うほどじゃないんですが。少し思い出したことがありまして……」


 生徒会長は語りだした。


 

 

 

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