8.厨房より台所で可愛く揺れる尻尾



 渡り人とは、こちらの世界に渡った者のことをいう。


 海から渡った者はホウライ。


 山から渡った者はクンルン。


 ホウライは水の属性を帯び、その身に水飛沫の痣が浮く。


 クンルンは土の属性を帯び、その身に破砕岩の痣が浮く。


 ホウライとクンルンはその身に帯びた属性を一生涯に渡って外すことはできず、無理に外せば命を落とす。


 その身のあざもまた、どのようにしても消すことはできず、上塗りしようが切り落とそうが、また新たに刻まれる。


「――ちゅうのが、渡り人の話や。で、次は属性。この世界にある属性は光、闇、火、水、風、土の六つ。光を帯びた者は闇を帯びることはできん。火と水、土と風も同じく対立関係にあってな、同時に二つを帯びることは不可能や」


 最大で三つの属性を帯びることができ、その術を使えるようになるのだとか。


「ただ、属性を帯びてない術もある。これが、無や」


 一応、無属性という呼び方はされているが、属性がないので属性の一つとしては数えないとのこと。


 これは誰しも生まれつき使える純粋な術。わば術の根源のようなもので、無いという認識のものを有るとして扱うという訳の分からない考え方が必要らしい。


「せやから、非常に扱いが難しいんやわ。使いこなせる者はほとんどおらん。わしの見せた【障壁】と【異空収納】がそれや。習得に難儀なんぎしたわ」


 これらが、食事中に聞いた話の一部。カタセ君が質問してくれたお陰で、その後も色々と知ることができた。


 この世界で月日と時間を知る方法はステボ。右上にある砂時計に似たアイコンをタップすると、月日と時刻が表示される。


 六十進法で二十四時間。月日は春夏秋冬が三期構成で、現在の表示は夏一期二十九日。


 元の世界では六月二十九日だったので、八月までが夏の期間に当たるようだ。


 各一期三十日で、春夏は一期と三期、秋は一期のみ三十一日まであり、冬にはない。そして四年に一度のうるう年もない。


 どこに行っても、四季は変わらず時差もないという不思議設定。リンドウに訊いても首を傾げられる始末。


 こちらでは常識らしく、俺たちの世界では違うと説明したが「んな阿呆な」と信じてもらえなかった。


 世界が球体ではないとか、自転や公転、重力がどうのこうのと渡り人三人で話し合ったが、結論は異世界だからで済ませられた。


 そもそもステボが出たり、うるう年がないのに日付が元の世界と一致している時点でおかしいのだし、考えるだけ無駄だと早々にさじを投げた次第。


 別にこの世界について解き明かす気などないので分からないことは分からないでいい。


 カタセ君とマツバラさんも、そういったことに執着しゅうちゃくするタイプではないようだったので良かった。


 考えても分からないことは考えない。そういった方向に思考を運べない人は面倒臭くて仲良くやっていけそうもないと思っていたので、俺は二人がそうでないことを知ってひっそりと安堵していた。


 マモリについても、軽くだが話を聞かせてもらった。リンドウとスズランの役割の名前だそうだ。


「これはまた追々おいおいくわしく話すが魔素まそまりっちゅうものがある」


 魔素は世界のありとあらゆる場所にあって、なくなると悲惨なことになるらしい。


 とはいえ人為的に集めでもしない限りは枯渇することはあり得ず、もしそうなった場合は原因究明が急がれ、場合によっては戦争にまで発展するそうだ。


 さて、そんな魔素だが、厄介なことに溜まりすぎても不味いのだとか。


 その溜まったものを魔素溜まりと言うらしい。これがふくれ上がると、魔物が大量にいる世界と繋がる巨大な穴が開いて、魔物の氾濫はんらんが起こるとのこと。


「それを止める為に魔素溜まりを早い段階で探知し、イノリノミヤ様に舞で消滅の願いを届ける役割がシラセ。ウイナとサイネがそれや。そしてシラセを守護するのがマモリであるわしとスズランの役割っちゅうことやな」


 リンドウ一家は、イノリノミヤ様に仕える神職に就いているとのことだった。


 数は少ないが、イノリノミヤ神教のある地域ではリンドウ一家のような存在が同じことをしているのだという。


 俺とカタセ君が見た、空に吸い上げられていく黒い塊が魔素溜まりというやつで、それを消し去ったのがイノリノミヤ様、ということだ。

 

 イノリノミヤ神教のない場所には、当然、神職もいないので、また違った対処が取られているのだろうとリンドウは言った。


「それがどんな方法なんかは訊くなや。わしはこのやり方しか知らんからな。ま、色んな宗教あるけど、ミヤ様に仕えるんが一番ええと思うわ。教義と戒律は要約すると『優しさを振りいて自由に面白可笑しく生きましょう』やで」


 祝詞や経のようなものはなく、お布施ふせも禁じられているそうだ。お金が欲しければ自分で魔物の間引きをして、素材を売って稼げという教えで、自分が稼いだお金であれば贅沢しても構わないとのこと。


 そして、下手なことをすると天罰がくだるらしい。


 凄い神様もいたものだと思う。


 そんなつい先ほど経験したことを思い返しながら、俺はリンドウ邸の厨房に立っている。カタセ君とマツバラさんはいない。今頃二人は与えられた部屋でくつろいでいることだろう。


 こうなったことの発端ほったんは、俺が余計なことを口走ったことにある。昼食時に、ショウガありますか? からの、料理できるんか? の流れ。それで夕食を任されてしまったのだ。


 ショウガで通じたことに若干じゃっかん驚きはしたが、先の話の通り、異世界だからで済ませられる問題だ。深くは考えずにマモリ見習いの二人と一緒に料理の準備を始めている。


 厨房は昔の日本という感じで、台所と表現した方がいいかもしれない。土間にかまどがあり、側には積み上げられたたきぎ。勝手口近くに、流し場と排水路が設けてある。ただ、水道がない。


 サツキにそのことについて訊いたが、スミレが答えた。術で水を出すらしい。そのついでのように、サツキが話せないことを知らされた。


「舌を抜かれてしまったので」


 え?


 耳を疑った。体に太いミミズ腫れのようになって残った傷跡から、サツキが酷い扱いを受けたのだということは察していた。だが、そこまでとは思っていなかった。


 想像を遥かに超える酷い仕打ちを受けていたことを知り、俺は狼狽うろたえる。


「気にしないでください。もう終わったことです」


 スミレが困ったように笑って言った。側にいるサツキも同じような顔をしている。


 二人から明らかな気遣いを受けてしまい、なんとも情けなくなる。二人にそうさせるほど、酷い顔をしていたに違いない。まったく何をしているのか。


 一度、自分の頬を両手で挟むように叩き、気合を入れる。スミレとサツキは驚いていたが、俺が「よし」と笑顔を向けるとホッとしたように微笑んだ。


「それじゃあ、始めますか!」


 まずは手拭いを被って髪を覆い隠す。喧嘩被りだ。スミレとサツキは初めて見るようだったので、やり方を教えた。といっても被って後ろで縛るだけなのだが。


 材料と必要な道具に関しては、既にリンドウにお願いしたものが用意してある。ないものは最寄りのアルネスの街とやらで買い足してもらった。


 そういうこともあって他の料理は問題なかったのだが、昼食に出たワイルドスタンプの肉は俺の頭を悩ませた。


 以前解体したものをスミレが【異空収納】で保管しているというので見せてもらったが、血抜きが不十分なのか生の状態でもかなりの獣臭と血生臭さがあり、正直ショウガだけでどうこうできる気がしなかった。


 収納状態のときは時間が停止しているらしいので、腐敗の心配はない。取り敢えず、水に漬けてふやかした後でサッと湯掻いてトリミングしてみようと思う。食感や味は二の次。臭いが取れなければ話にならない。


 米に関してはサツキに任せた。知識はあるが実際に窯焚きをした経験はないので、俺はやり方を教わる方に徹した。


 窯焚かまだきを見学しつつ、昆布と魚のアラで出汁を取っていると、サイネが覗いていることに気づいた。目が合うとすぐに隠れてしまったので、その後は気づかない振りをして調理を進めた。


 視界の端で、ゆらゆら揺れている尻尾が可愛らしかった。

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