第18話 Mission(1)
月が出ていなかった。
空は分厚い雲に覆われている。
全身黒のバトルスーツに身を包んだ二階堂康介は、警視庁が用意した装甲車の運転席で夜空を眺めていた。
この地域にデッドマンの姿はなかった。
東京都内の荒川よりも南は、ほぼ制圧が完了している。
この先にある橋を越えたエリアは、まだ未制圧の場所だった。
荒川に架かる橋は自衛隊によって爆破されていた。
これはデッドマンの侵入を防ぐための措置であり、制圧エリアを確保するためには仕方のないことだった。
川の向こう側には、小菅という地域がある。
東京都葛飾区小菅。そこに今回の目的地である、東京拘置所が存在していた。
今回、二階堂のチームが受けた任務は、ひとりの男を東京拘置所から連れてくることだった。
その男は死刑囚であり、拘置所の特別房と呼ばれる独居房の中にいる。
チームは二階堂とその部下3名だけだった。
全員が黒のバトルスーツを着込んでいる。
所属は警視庁公安部。その下の所属はバラバラであったが、今回のために招集されてチームを組んだ。全員がプロフェッショナル。それだけは確かだった。
30分程前に、1時間の仮眠時間を取った。
それぞれが車の座席で眠りに入ったが、二階堂は30分もしないうちに目を覚ましてしまった。
緊張しすぎている。二階堂は自分のことを客観的に見て分析していた。
脇に置いた水筒からホットコーヒーを注ぐ。温かいコーヒーを飲むことで、少しは緊張がほぐれた。
音を立てないようにして二階堂は車から降りた。
外の空気は冷たくなっていた。
少し強張ってきている体を動かし、深呼吸をする。
川岸を歩くと、向こう側に複数のデッドマンが動いているのが見えた。
川の向こう側はまだ非制圧エリアなのだと実感させられる。
荒川を渡るにはボートが必要だった。
しかし、モーターを積んでいるようなボートでは、音によってデッドマンたちに気づかれてしまう。
そのため、二階堂たちが用意してきたのは、手漕ぎのゴムボートだった。
出発の時間になった。
装備を背負った3人が車から降りてくる。
全員が全身黒ずくめで、ヘルメットを被り、ゴーグルを装着していた。肩からさげているのは、サブマシンガンのMP5だった。
この荒川を渡れば、東京拘置所は目と鼻の先にある。
今回の作戦で使用できる入り口は、ひとつだけだった。元々は拘置所の職員たちが出入り口として使っていた場所であり、今回の作戦のために約束の時間に1分だけ扉のロックを解除する。
もしも、その1分以内に拘置所内部に入ることができなければ、デッドマンだらけの非制圧エリアに取り残されてしまう。
二階堂たちは川に係留しておいたゴムボートに乗り込み、全員で腕時計の時間を合わせた。
いまから30分で約束の場所に辿りつく。そのことをお互いに確認すると二階堂は、ヘルメットについている無線のスイッチを入れた。
「これよりデルタ作戦を開始する」
二階堂の言葉と共に、ゴムボートが静かに水面を進みはじめた。
川の向こう側には思っていた以上にデッドマンたちが生息していた。
街灯の明かりの下をウロウロとするデッドマン。自動販売機に体当たりを続けるデッドマン。川沿いの土手をウォーキングでもするかのように歩き続けるデッドマンなど、様々なデッドマンの姿を見かけた。
「そこにしよう」
ちょうど葦が生い茂っているエリアを見つけ、そこから上陸することにした。
ゴムボートをゆっくりと進め、着岸すると二階堂を含めた3人が降りた。
残りのひとりはゴムボートに乗って、対岸へと戻る。この隊員は帰還する際に必要な人間であった。
葦の中に身を潜めるようにして、湿地帯を進んだ。
途中、土手に住むホームレスが建てたと思われるブルーシートの小屋があったが、中からデッドマンのものと思われるうめき声が聞こえたため、予定よりも少し遠回りをして拘置所を目指した。
大きな塀が見えてきた。
まるで要塞のような作りをしたこの建物こそが、東京拘置所だった。
3人は予め決めておいたフォーメーションを組んで進んだ。
約束の場所が見えてきた時、二階堂は足を止めた。
ちょうど、約束の場所の前にデッドマンがいるのだ。
約束の時間まではあと5分だった。
どうにかして、デッドマンたちを排除しなければならない。
隊員のひとりがMP5を構えたが、二階堂がそれを手で制した。
サイレンサーを装着しているMP5であっても、音を出すことは危険に繋がる。
そのため、重火器は使わずに背負っていたリュックサックから発炎筒を取り出すと、アスファルトに擦りつけて着火した。
これは賭けのようなものだった。
デッドマンが音に反応しやすいということはわかっているのだが、光などの視覚効果のあるものに反応するかどうかは、よくわかってはいなかった。
投げられた発炎筒は弧を描いて草むらの中に落ちた。
一瞬間があったが、デッドマンはその発炎筒の明かりに反応し、動きはじめた。
どうやら、効果はあったようだ。
二階堂たちはそのチャンスを逃さず、足音をたてないようにしながら、約束の場所である職員通用口へと向かった。
約束の時間まで、あと1分。
デッドマンは周りにはいなかったが、その60秒はとても長いものに感じられた。
緊張感に包まれながら、二階堂たちはMP5を構えて時間が来るのを待っていた。
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