第15話 Shopping mall(1)

 ショッピングモールの中庭では、ちょっとしたパニックが起きていた。


 大勢の客がモール内を走り、出口へと我先に向かおうとする。

 恐怖は恐怖を更に呼び起こし、関係のなかった人間までもが恐怖に取り込まれ、さらにその恐怖が伝染していった。

 最終的に人々はなにが恐怖なのかわからないまま、モール内を走り出口を目指していた。


 恐怖の発生源。

 それは一人の若い男だった。


 こんがりと日焼けした茶褐色の肌に白地のタンクトップ、金色に近い茶髪をリーゼントにまとめた、線の細い男であり、彼女と思われる同じような髪の色をした若い女と一緒にショッピングモール内をブラブラと歩きながら、買い物をしていた。

 男の様子がおかしくなったのは、フードコートで昼食を取っていた時の事だった。

 二人は世界的にチェーン店を持つハンバーガーショップのハンバーガーとコーラで、空腹を満たしていた。


「そういえばさ、昨夜コンビニで立ち読みしていたらさ、変な奴に絡まれたんだよ」

「えー、なにそれ」

「ほら昨日って、週刊ジャンピョンの発売日だったじゃん。おれ、格闘少年バギーンを毎週読んでるからさ、立ち読みしてたわけよ」

「あれって面白いの。筋肉漫画じゃん」

「なにいってんだよ、おもしれえに決まってんじゃん。お前、読んだことねえだろ。一回読んでみろってハマっからよ。マジでスゲエからよ」


 椅子の上で立て膝をするように片足を上げ、唾を飛ばしながら大きな声で喋る男と、その男の話を聞きながら携帯電話を操作する女。

 似たもの同士というべきだろうか、二人はお似合いのカップルだった。


「でよ、バギーンのページをめくってたら、なんか変な女がいたんだよ。真っ黒い髪でさ、恰好はキャミソールにサンダルだったんだけどよ、なんかサダコみてえな感じの女」

「なにそれ。キモーイ」

「そうなんだよ、キモイんだよ。そしたらよ、その女がこっちに近づいてきたんだ。なんだよ、こいつ気持ち悪いなって思っていたらさ、女がニヤァって笑って……」


 急に男がそこで話をするのをやめた。

 上の空で聞いていた、女も話が途中で止まったのでどうしたのだろうかとスマートフォンから顔を上げる。


 女が顔を上げた時、男の顔が目の前にあった。

 え、こんなところでキスするつもり。人が大勢いるんだけど。

 しかも、どんなタイミング。

 女は少しだけ恥じらいを感じた。

 しかし、こんなところでキスをするもの悪くはないと思い、目を閉じた。


 男の唇が迫って来るのは気配でわかった。

 しかし、どこか違和感があった。

 キスをする前とはどこか雰囲気が違う。

 なにが違うかと聞かれても、答えられないけれども、どこか違和感があったことだけは確かだった。

 だから、女は薄目を開けた。


 目の前には男の顔が迫っていた。

 そして、唇も。


 しかし、唇は閉じられてはいなかった。

 その逆で大きく開かれ、犬歯がいつもよりも鋭くなっているように思えた。


 恐怖を感じた女は顔を後ろに引こうとした。


 しかし、男はそれをさせなかった。

 両手でしっかりと女の頭を抱えた男は、力強く自分の方へと引き寄せた。

 情熱的なキス。

 キスであれば、そうだっただろう。


 しかし、唇を重ねるというわけではなかった。

 男は女の鼻に噛み付いていた。


 鼻骨が折れる音、肉の引きちぎられる音、口の中で鼻の肉がくちゃくちゃと噛み砕かれる音。

 女が悲鳴を上げたことで、事態は周りに知れ渡った。


「なに考えてんだ、あんた」

 すぐ近くで孫と思われる幼児と食事をしていた初老の男性が、口の周りを血塗れにしている男に向かって言った。


 その時点で女はフードコートの床に倒れており、小刻みに痙攣を繰り返していた。


 男が次に襲い掛かったのは、この初老の男性だった。

 男が迫ってきた時、初老の男性は自分の孫たちを庇うかのように、男の前に立ち塞がった。

 初老の男性は両手を突き出し、男の事を突き飛ばそうとした。


 しかし、その両手は空振りに終わった。


 男はゆっくりとした動作だったが、的確に男性の首に向かって噛みついた。

 噛みつかれた男性は全身を痙攣させながらも、孫たちに向かってうわ言のように「逃げろ」と繰り返していた。


 フードコートではもう一つの異変が起きていた。

 男と一緒にいた女の方だ。

 最初の被害者となった女なのだが、この女が息を吹き返していた。

 しかし、目は虚ろであり、無表情なままだった。

 鼻のあった場所は血塗れになっており、近くにいたふくよかな体型をした婦人がフードコートの紙ナプキンで顔を拭いてあげていた。


「よかった。気がついたのね」

 婦人が女に声を掛けたが、女はその言葉に対して反応を示そうとはしなかった。

 ただ、虚ろな目で声を掛けてきた婦人の事をじっと見ている。


「いま警備の人を呼んでもらったから。警備の人が来たら救急車を呼んでもらいましょう。大丈夫よ、大丈夫。安心して」

 婦人は女に、励ますような言葉を掛け続けた。

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