第11話 Convenience store(2)
入ってきたのは、上下黒のライダースーツにフルフェイスのヘルメットといったスタイルの客だった。
背は小柄で、細身のため男なのか女なのかはわからない。
コンビニに入ってくるときぐらい、ヘルメットは脱げよ。怖いだろ。
杏奈は心の中で客に毒づいた。
店内に入ってきた時にヘルメットを脱がない客はけっこういたりする。
こういう客が店に入ってきて、そのままレジに直行してくるのは心臓に悪い。
大抵は煙草を買ってそのまま出て行くのだが、もしかして……という気持ちにならないといったら嘘になる。
店の外には『ヘルメットはお脱ぎください』という貼り紙があるのだが、そういう客に限って貼り紙などは見向きもしない。
フルフェイスのヘルメットを被った客は、店内をひと通り見回したあとゆっくりとした足取りでレジへと向かってきた。
「マルボロライトメンソール」
ヘルメットの中からくぐもった声が聞こえてくる。
声は甲高かったが、間違いなく男のものだった。
杏奈は煙草の置いてある棚からマルボロライトメンソールを取ると、客に差し出して値段を口にした。
男はライダースーツのヒップポケットへと手を伸ばす。
普通の客ならここで代金を払ってお終いなのだが、この客は違っていた。
財布の代わりに男が出したのは刃渡りの大きなナイフだった。
「いいか、騒ぐな。金を出せ」
ナイフの先端が杏奈の胸元に突きつけられる。
突きつけられたナイフの先端は小刻みに震えていたが、それ以上に杏奈の体も震えていた。
「大人しく金を出せば、何もしない」
男はそういいながら、杏奈にレジを開けさせる。
恐怖心から、杏奈はパニックに陥りそうだった。
落ち着かなきゃ。落ち着かなきゃ。自分にいい聞かせようとするが、そうしようとすればするほどパニックは広がっていく。
手は震えレジを開けるのにも一苦労するほどだった。
「余計な時間を稼ごうとするな」
男は震える手で必死にレジを操作しようとする杏奈に冷たく言い放つ。
ようやくレジが開いた。
入っているのは今日の売り上げ、三万六千円と小銭だけ。
あとのお金は店長が事務所の中にある金庫にしまってから出掛けている。
レジに入っているのは、危険を冒してまで取るには少なすぎる金額だ。
男はそこまで困っているのだろうか。
もう少し先に行けば、大きな銀行だってあるのに。
一万円札を三枚取り出したところで、来客を知らせるチャイムが鳴った。
救いの神が現れた。
杏奈はそう思って開かれた自動ドアの方へと目をやった。
しかし、現れたのは歩くのもやっとなおじいさんだった。
おじいさんは小刻みに震えるようにしながら、小さな歩幅で歩いている。
顔色が良くない。
大丈夫だろうか、このおじいさん。
こんな時だというのに、杏奈はおじいさんのことを心配してしまっていた。
「さっさと入れろ」
男に言われ、杏奈は我に返る。
男はレジ袋の中に札と小銭を入れるように要求してきていた。
杏奈はその中に一万円札を三枚、千円札を六枚、それと小銭をたくさん入れる。
その作業をしている間も、ナイフは杏奈の胸に突きつけられたままだった。
「なんだ、じじい。なに見てんだよっ!」
男が怒鳴り声を上げた。
杏奈の胸元にあったナイフが横にスライドしていき、おじいさんの方へと向かっていく。
ナイフの刃はおじいさんの頬に当たり、ぱっくりと頬の皮膚を切り裂いた。
「舐めんじゃねえぞ、じじい」
男は興奮した様子で、おじさんにいう。
おじいさんは無表情なままであり、切られた頬からはどす黒い血が流れ出ていた。
「次は殺してやるからな」
男の言葉におじいさんが目をかっと見開いた。
そして、男に掴みかかるように腕を前に伸ばす。
男は掴みかかってこようとしたおじいさんに、体当たりを食らわせる。
ナイフの刃先がおじいさんの腹部に吸い込まれるように刺さるのが見えた。
二人はもつれ合うようにして床に倒れ、男がおじいさんの上に乗っかるような形となった。
「なめんな、くそジジイ」
男はナイフでおじいさんの体を何度も、何度も突き刺した。
杏奈はどうすればいいのかわからず、ただ呆然とその光景を見ているだけだった。
そして、自分でも気がつかないうちに失禁していた。
めった刺しだった。男はおじいさんが動かなくなるまで、ナイフを動かし続けていた。
「ざまあみろ、ざまあみろ」
おじいさんが動かなくなったことを確認すると男は立ち上がり、手に持ったナイフを再び杏奈に突きつけた。
「あーあ、殺しちゃったよ。殺しちゃったのに、レジから奪う金は三万ちょっとだもんな。笑っちゃうよな。そうだ、お姉さんあんたの財布も出せよ。持ってんだろ」
ヘルメットを被っているため男がどんな顔で喋っているのかはわからなかったが、声からすると興奮しているようだった。
レジ棚の下に置いてある自分の財布を杏奈は取り出す。
中に入っているのは一万と数千円だけ。
レジ棚の下には、強盗が入った際に知らせる防犯スイッチがあったが、それを押したら自分も殺されてしまうかもしれないという恐怖心から、杏奈はそのスイッチを押せなかった。
杏奈が財布から取り出した一万円札と千円札数枚を男に差し出そうとした時、男の背後に人影がある事に気がついた。
あのおじいさんだ。
刺されて死んでしまったと思っていたおじいさんはまだ生きていたのだ。
その気配に男も気づいたのか、後ろを振り返る。
そして、男のナイフが再びおじいさんの体に吸い込まれていく。
しかし、おじいさんは倒れなかった。
おじいさんは男の体にしがみ付き、口を大きく開ける。
そして、そのまま男の首に噛みついた。
それは、まるで猛獣が獲物を狩る時のようだった。
おじいさんの歯が力強くと男の首に食い込んでいくのがわかった。
男はヘルメットの中で悲鳴を上げていた。
噛み付かれながらも、男は何度も、何度もおじいさんの背中をナイフで刺していた。
もう見てはいられなかった。
立ち眩みに似た症状に襲われ、杏奈はその場にうずくまってしまった。
そして、目の前にあった防犯スイッチへと手を伸ばした。
杏奈が覚えているのはそこまでだった。
防犯スイッチを押した後で、気絶してしまったのだ。
目を開けたとき、そこは店の事務所だった。
店長の大和田と制服姿の警察官、刑事と名乗るスーツ姿の男が数人いた。
何が起きたのか、杏奈は全てを刑事たちに話したが、刑事たちは杏奈の話をなかなか信じてはくれなかった。
なぜならば、その場所に刺されたはずのおじいさんも、フルフェイスのヘルメットを被った男の姿もなかったからだ。
しかし、すべては防犯カメラの映像で証明された。
防犯カメラに記録されていた映像は警察が持ち帰ることとなった。
杏奈が気絶したあとの映像、それは信じられないものだった。
その映像を見た店長と杏奈は、このことは公言しないようにと刑事たちから釘を刺された。
公言したところで誰が信じるだろうと杏奈は思っていた。
めった刺しにされたはずの老人が立ち上がり、男の首に噛み付くと、まるで獲物を捕らえた獣の様に男をひきずって店を出て行ってしまったということなど。
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