「それにしても、すごいわね……」


 お母さんは頬杖をついて、悩まし気にしていた。リビングの机には大量のパンフレットや名刺、書類が置かれている。


「これが全部春菜へのスカウトなんだから、未だに信じられないわよ」


「安心して。本人もまだ信じられてない」


 ゲームに関わる仕事をする。というのは決めたんだけど……どう活動をしていくのかまでは決めていない。


 お母さんはいつの間にか買った本をペラペラとめくる。『プロゲーマーになるための本』『世界と日本のeスポーツ』『子どもが芸能界に入ったときにはこれを読め』……すごいタイトルの本だけど、お母さんが真剣にそれを読んではパンフレットを見ているので、何とも言えない。少なくとも芸能界ではないんだけど。


「春菜、とりあえずコラボのお仕事は別に事務所に入ってなくてもできるんでしょ?」


「え⁉ ああ、そうみたい」


「それなら、高校の間は事務所に入らずお仕事をしてみたら? そこで相性のいい事務所が見つかるかもしれないし」


 確かに、別に急いで入らなくてもいい。ツバキさんとの話もあるし、卒業を目途に決めるのもいいかもしれない。


「お母さん頭いいね! そうしよっかな。実はね、昨日ツバキさんに『事務所を立ち上げるからそこに来ない?』って誘われたの」


「……ツバキさんって西園寺財閥の?」


「うん」


「そこにしなさい。もしゲーマーとして活動できなくても、どこにでも就職させてもらえそうだし」


「ちょ、なんでそうなるのよ!」


 お母さんの掌返しに、つい笑ってしまう。


「娘が大企業と繋がって働けるなら、それをすすめるのが親の心ってものよ! まぁ、助言はするけど決めるのは春菜だからね」


「……ありがとう」


 最近、両親の存在が前より大きく感じるようになった。困ったとき、わからないとき、一緒に考えてくれる家族の存在は本当にありがたい。


「そう言えば、ヤマトくんとはどうなの?」


「特に何も変わらないけど……」


「動画で有名な人達同士が付き合ったりするとね『ご報告』っていう動画を出すのが普通らしいわよ?」


「そういうのもあるけど、ヤマトはプロゲーマーとしての活動に重点を置いてる選手だし、私は一般人だから特に宣言する必要はないみたい。隠す必要もないけどね」


「まぁ、幸せならそれでいいわ。それにしても春菜があんなイケメンとねぇ。お父さんは怒ってたけど」


「うそ!?」


「そりゃあ可愛い娘に彼氏ができたら怒るでしょうよ」


「あんな無口なのに、何考えてるかわかったもんじゃないね……」


 そんなことを話していると、スマホの着信音が鳴った。


「はい、もしもし」


 電話をかけてきたのは、青龍杯の運営委員会だった。


 内容を聞きながらメモを取る。お母さんはそれを覗き込むようにしていた。


「――わかりました。少し考えさせてください。では、失礼します」


 電話を切るやいなやお母さんが詰め寄ってくる。


「仕事の電話?」


「違う、ちょっと信じられないんだけどね……」


『ハル選手が、日本代表選考大会の出場権を得ました』伝えられたのは、その一言。

 これはREVOに出られるということ……。


 REVOは、Revolution championshipのこと。日本最大の格闘ゲームの大会。ヤマトは去年のプロだけの大会・朱雀杯ですでに出場権が与えられている。だから今まで、まっすぐにREVOに意識を向けて努力をしてきたのを私は知っている。


 REVOで優勝した場合……REVOよりさらにうえの、世界大会への権利が手に入るからだ。


 ヤマトは、この大会で優勝することを目的にずっと頑張っている。

 ある程度の実績がないと出場すらできないのに、どうしてこのタイミングで……。


 ずっとヤマトのことを応援していたのに、いざ大会で戦うとなると、いい気はしない。ヤマトが日本代表選手を目指して努力していることを、彼女である私が一番わかっている。



 夕ごはんを食べたあと、私はツバキさんに相談することした。発信のボタンを押すと、ツバキさんは思いのほか、早く電話に出てくれた。


『はい、わたくしですが』


「春菜でございます……じゃなくって、すいませんこんな夜に」


 ツバキさんと話していると、ときどき喋り方がうつってしまう。

 私は自分の感情を整理するかのように、REVO出場のことを含めてツバキさんに相談をした。


『なるほど。で、ございますわね』


「ツバキさんなら、どうします?」


『むしろ春菜さんが迷っていることの方が驚きですわ』


「と、言うと……?」


『自分のために、春菜さんが出場を辞退するなんてすごく嫌な気分になりますわよ。そんなの、愛じゃありませんわ。ただ、春菜さんはヤマトさんと戦いたくないだけ』


「そ、そんなことは……!」


『いーえ。そうですわ。だいたい、あなたが知っているヤマトさんは、そんな気遣いをもらって喜ぶ方なんですの?』


 ……それは、違う。


『まぁ、本人に話してみなさいな。例え選ばれる代表がひとりだとしても、そんな気遣いをしてはいけません。春菜さんはプロゲーマーになるのでしょう? そんな腑抜けた考えは、今お捨てなさい! だいたい、あなたが出場したらヤマトさんは絶対に負けますの?』


「……私、調子に乗ってましたね」


『そうですわ。出場権がいらないなら、わたくしに譲ってくださいませ』


「ツバキさん、ありがとうございます」


『どういたしましてですわ。それでは、私はトレーニングがありますので』


 たしかにツバキさんの言う通りだ。ちゃんと、ヤマトにこのことを報告しよう。逃げてちゃ、ダメだ。




 私は困っていた。


 学校が終わったあとに、ヤマトがひとり暮らしをしているマンションに向かった。お家デートってやつ。ふたりきりだし、これなら人目も気にせずに話せる! 今日、REVOに出場をすることを話そう。


 と、考えていたんだけど……今日に限って、ヤマトがデレデレモードだった。


 部屋にいるのに手を絡ませて、ぴったりとくっついてくる。真剣な話をしたいのに、ヤマトから発せられる空気が甘すぎて、話が切り出せられない!


「ねぇ、ヤマト?」


「なに? そんな可愛い顔して」


 そう言いながら私の額に自分の額を当てる。


 ――なにこれ⁉ もしかして今日、私達ファーストキスしちゃうの⁉


 まだ心の準備が……じゃなくて、大会のことをちゃんと話さなきゃ。


「ほんっと春菜可愛すぎ……」


 ヤマトは付き合ったら少し性格が変わったような気がする。

 キスなんて、私達付き合ってまだ二ヶ月くらいでしょ!?

 いや、それならしていいの? わかんない!


 ヤマトが覆いかぶさるかのような体制で、私を抱きしめる。

 顔が熱くなってくらくらしてきた。だけど、先に言わないと……言えなくなる気がする。


「その前に! ヤマトに伝えたいことがあるの」


 やっと私の真剣な表情がわかったのか、ヤマトは体勢を正してくれた。



「実はね……青龍杯の運営から連絡があったの。私にREVOの出場権があるって」


 ヤマトは真剣な顔をしている。


「ヤマトがずっとREVOに向けて頑張ってたのを知ってる。正直、出場するかどうか迷った。ヤマトを応援したいから。ヤマトのことが好きだから。でも、そんな気持ちで出場しないのは……選手として、間違っていると思ったの」


「だから……私、REVOに出場する……!」


 喉から出にくかったその言葉を話すと、視界が涙で滲んだ。


 ヤマトが好き。

 アタックウォリアーズが好き。

 周りの期待、私の想い。

 たくさんの気持ちが混ざって、溢れてきてしまう。


「春菜……」


 ヤマトは眉を下げて、私を抱きしめた。ヤマトの胸に体を預ける。


「ごめんな、言うの怖かっただろ」


 嫌われそうで、話すのが怖かった。私は気づいてしまう。自分のことより、ヤマトを大切にしたい。本当にヤマトのことを、愛してしまっているんだ。


 胸の奥が切なくて、目が熱い。ヤマトは私の気持ちをただ受け止めて、頭を撫でてくれた。


「大丈夫。そう決断してくれて本当に良かったよ。というか、春菜が出場しないんだったら選考委員会に不信感が出るから、逆に安心した」


「へ? どういうこと?」


 私が顔を上げると、ヤマトは私の頬をぷにっと押した。


「プロゲーマーのなかでも最上位の俺と対等に戦えるんだぞ。そんなプレイヤーが選考大会に呼ばれないなんておかしいだろ」


「そう言われてみれば……たしかに……」


「だろ? だから俺は春菜と戦うことになるかもしれないとは予想してた。だけど、俺も負けるつもりは全然ない。選考大会のその先も……世界での戦いも。だから、春菜も全力で勝ちにきてほしい。じゃないと、俺達は成長できない」


 ヤマトは私の両肩を持つと、まっすぐな目で見つめてくる。


 ……この人を好きになれて良かった。


「わかった! 本気で行くからね」


「こっちだって」


 ヤマトがニヤリと笑った。


「あーあ、でも残念だな」


「なにが?」


「本当は今日、春菜とキスしたかったんだけどな。それはREVOが終わるまで我慢するよ。これ以上もっと愛しくなったら、春菜じゃなくて俺がダメになるかもしれない」


「……キ、キスって‼」


「だからさ、大会が終わったら……春菜の唇、予約してもいい?」


 ずるい。

 そんな真剣な表情で言われて、拒否できる女の子なんていないよ。


 私は小さく頷くと、ヤマトは嬉しそうに笑う。ヤマトの耳も真っ赤だったけど、そこは見なかったことにしておこう。


「よし、そうと決まればトレーニングだ!」


 ヤマトは照れ隠しかのようにアタックウォリアーズの準備をする。



 私達は恋人であり、ライバルでもある。ただ、今は技術を磨こう。


「REVOは2先だよね? ルールもREVOのでやろう!」


 私はコントローラーを握る。


 ――ずっとこんな関係が続きますように。

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