第16話 拓海の合格発表の日に起きた事件

 家に着いたのだが、不自然なことに家に灯りはついていなかった。玄関ポーチの照明は夕方になると着くようになっているのだが、拓海の部屋もリビングもカーテンは開いたままで電気はついていなかった。

 何となく嫌な予感はしたのだが、私は思い切って玄関の扉を開けようとした。だが、玄関には鍵がかかっていたので開くことは無かった。拓海がいればわざわざ鍵なんて書けないと思うのだが、今は玄関に鍵がしっかりとかかっている。そして、家の中に電気はついていない。

 もしかして、拓海は帰って来ていないのではないかという思いが頭の中に浮かんではいたのだが、そんなはずは無いという思いも頭の中に浮かんでいた。拓海はそんな子ではないという思いはあるのだが、実際にこうして家の中は暗く玄関に鍵がかかっているという状況は私を不安な気持ちにさせるには十分すぎる事実なのである。

「あ、パパさんお帰りなさい」

 玄関を開けると、朝と同じ位置に座っているミクが出迎えてくれた。その顔は少し寂しそうにも見えたのだが何か不安があるようにも見えた。

「拓海は帰ってきてないのか?」

「うん、こうしてずっと待ってるんだけど、拓海はまだ帰ってきてないよ。パパさんの方が早いとは思わなかったけど、拓海はパパさんより忙しいのかな?」

「どうなんだろうな。ちょっと電話してみるか」

 私はスマホを取り出して拓海の番号に電話をかけることにした。昼前にかかってきていた履歴からかけ直していたのだが、拓海の電話に出たのは拓海ではなく聞きなれた女性の声だった。

「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません」

 何度かけ直してみても同じことを繰り返しているのだが、番号を確認しても拓海の携帯番号で間違いないのだ。LINEで通話を試みても結果は変わらずに拓海が出ることは無かったのだ。

「拓海は電話に出ないみたいだ。ミクはずっと玄関にいたようだけど、誰か来たり電話があったりしなかったか?」

「何人かは来てたと思うけど、新聞の人か郵便の人だと思うよ。中に入ってこようとしてる人はいなかったし、電話もいつもみたいに何回か鳴ってたけど私は分かんないかも」

「そうか。もしかしたら家に電話かけてたかもしれないから着信履歴を見てみようか。私に知らせるのと同時にミクにも電話してみようかと思ったかもしれないしな。電話に出れなくても留守電にメッセージを入れればミクでも聞けるって思ったかもしれないしな」

 私はリビングに置いてある電話の着信履歴を確認してみた。着信は四件あったのだが、一番最初にかかってきたのは拓海の番号であった。私に電話をしてきたよりも五分ほど時間は早かったようなのだが、留守電には何もメッセージを残していないようであった。知らない番号から二件着信があったのだが、どちらもこの近所の番号だと思われるので町内会か何かの用事で電話をかけてきたのだろう。最後の一件は非通知だったのだが、私が家に着く五分ほど前にかかってきていたのだ。

 拓海がスマホの電源を切っているという事は、結果は良くなかったのだという事なのだろうが、ダメだったとしてもそんなに落ち込むことは無いと私は言いたい。むしろ、あれだけ勉強を頑張っていたという事なのだから誉めてもいいのではないかとさえ思っている。拓海に連絡が取れないのだし、今の状況から言っても結果は見えているのだ。私は枡花学園のサイトに受験番号と管理パスワードを入れてみたのだが、そこに表示されたのは意外にも『合格』という二文字だった。

「ミク、拓海は合格してるみたいだぞ。拓海は受かってるぞ」

 私はいつも以上に大きな声でミクを呼んでいた。ミクに私の声は届いているようなのだが、いつもと違ってミクは私が呼んでも駆け寄ってくることは無かった。

「やったよ、拓海は合格してたんだよ。帰ってきたらいっぱい褒めてあげないとな」

「拓海は大丈夫だったって事?」

「そうだよ。拓海の努力は報われたんだよ。拓海はママの卒業した高校に入れることになったんだよ」

「ママさんと一緒って事は、拓海も帰ってこないって事?」

「違うよ。そうじゃないよ。拓海はママの通っていた高校に合格したんだよ。ミクのお陰で拓海は合格出来たんだよ」

「よくわからないけど、パパさんが嬉しそうでよかった。ねえ、拓海はいつ帰ってくるのかな?」

「もうすぐ帰ってくるんじゃないかな。もしかしたら、学校の友達に祝ってもらってて遅くなるのかもしれないしな。拓海が帰ってきたらお正月に行ったお店に晩御飯食べに行こうな。ミクが犬の時も人間になった時も可愛がってもらってるあの店だよ」

「あの店楽しいから私も好きかも。拓海早く帰ってこないかな。パパさんも嬉しそうだし、拓海も嬉しいって思ってるんだよね」

「そうだよ。帰ってきたら拓海の事をいっぱい褒めてあげるんだぞ。拓海もきっと喜んでくれるからな」

「じゃあ、今日は抱き着いても良いのかな?」

「ああ、いいと思うぞ。拓海は恥ずかしがると思うけど、そんなの気にしないで抱き着いちゃえ」

 そうだよな。拓海はあんなに頑張っていたんだから合格しているのも当然だよな。今だって仲の良い友達に祝ってもらってるんだろうし、合格したことを色んな人に伝えてるうちにバッテリーが切れたんだろうな。拓海はスマホの充電をこまめにしてないから充電が切れることもよくあるしな。悪いことばっかり考えるのは良くない癖だな。私は妻が病に伏せてから良いことよりも悪いことの方が頭に浮かぶようになってしまっているようだ。

 そんな時、リビングの電話が鳴りだした。ディスプレイには相手の電話番号が表示されていないのだが、仕事相手かもしれないと思い私は受話器を取ってみた。

「はい、有村です」

「拓海君は預かっている。無事に返してほしければ私の言う通りにしろ。警察に通報なんてするじゃないぞ」

 電話の向こうの相手は機会を通したような不自然な声でそう言った。拓海を預かっているというのはどういう意味だろうか。拓海が怪我でもして治療してもらっているという事なのだろうか。

「いいか、今か三時間以内に一千万円用意して南ふ頭そばにある貸し倉庫まで来い。金さえ用意すればお前の息子は解放してやる。いいか、間違っても警察に通報なんてするんじゃないぞ」

「あんたは何を言ってるんだ。拓海がどうしたって言うんだ。行ってる意味が分からないのだが」

「お前はバカなのか。お前の息子を誘拐したと言ってるんだ。いいか、同じことは二度言わないぞ。南ふ頭に一千万円持ってお前一人で来い。一千万円で息子を返してやる。誘拐したという証拠にお前の息子の声を聞かせてやる」

 機械音声の声の主はそう言うと、少し間を開けて電話の向こうから拓海の声が聞こえてきた。

「父さん、ごめんなさい。僕は無事だから。ミクにはこのことを言わないでね。たぶん、理解出来ないと思うし理解出来ても心配させるだけだと思うからさ。母さんに似てるミクに心配かけたくないんだ」

「そうか、それは分かった。お前は怪我とかしてないのか?」

「大丈夫だよ。僕は怪我してないから。今のところ無事だから。無事だからさ、ミクには絶対に言わないでね。絶対に言っちゃダメだからね。せっかく人間になれたんだから危ない事させたくないし」

「わかったよ。お前が無事ならそれでいい。何とかお金を用意して助けに行くからな。不安だと思うけど、父さんを信じて待ってるんだぞ」

「うん、父さんとミクの事を信じてるよ」

「これでわかったな。お前の息子は今のところ無事だ。いいか、お前の息子のハレの日を穢すような事を考えるんじゃないぞ。金さえ渡してくれれば無事に解放してやるから安心しろ。くれぐれも、間違った選択をするんじゃないぞ」

 受話器からかすかに拓海の声を聞いていたミクは私の隣で不安そうにしていたのだが、私は警察にではなく学校に電話をかけていた。警察に通報するなと言われたから警察に電話をかけなかったのではなく、拓海がどの時点まで学校にいたかという事を知りたかったからだ。

 それがわかってから警察に通報した方が捜査の手間も省けると思ったからだ。

 拓海の担任の先生に電話を替わってもらったのだが、開口一番に拓海の合格を喜んでもらえたのだ。何度かあった事はあるのだが、とても真面目そうな先生だったと記憶している。私は担任の先生にお礼を言った後、拓海がいつ頃帰ったのか聞いてみたのだが、意外なことに拓海は今日学校に来ていないという事だった。

 学校をさぼるという事は今まで無かったことなのだが、担任も同級生たちも拓海が合格発表を待つストレスに耐えきれなくて学校に来れなかったのではないかと思っていたのだという事だった。

 私は拓海が誘拐されたという事は伏せたままお礼を言って電話を切った。

 着信履歴を見て気付いたのだが、昼過ぎにかかってきた番号は学校からかかってきたもののようであった。おそらく、担任の先生が学校に来ていない拓海を心配して電話をかけてくれたのだろう。留守電にメッセージを入れてくれればよかったのだが、メッセージを残したことで家族に心配をかけたくないという思いもあったのかもしれない。

 もう一つの番号は調べても何も出てこなかったのだが、こちらに関しては何も思い当たるものは無かった。


 私はミクを連れて直接警察署に向かうことにした。今の時間では銀行の窓口も閉まっているので一千万円などという大金を引き出すことなんて出来ないし、どうすればいいのかという相談もしておきたかったのだ。もしかしたら誘拐犯から監視されているかもしれないという思いもあったので直接警察署に向かうのも怖かったのだが、要求額を用意することが出来ない以上は相談するのも仕方ないことだろう。

 警察署に着いたとほぼ同時に私のスマホに非通知着信が入ったのでドキッとしてしまったのだが、電話の相手は先ほどと同じ機械音声でやや高圧的に話しかけてきた。

「一千万円は用意できたか?」

「出来るだけ銀行は回ってみたのですが、窓口が閉まっているので一千万円は用意できませんでした。いくつかの銀行からおろして三百万円は引き出せました」

「三百万円か。まあいいだろう。その金をもって一人で南ふ頭の貸倉庫までやってくるんだぞ。もしも来なければ、お前の息子がどうなるかわからんからな」

 電話の相手は私が警察署にやってきている事には気付いていないようだ。もし監視をしているならそのことを言ってくるだろうし、今のタイミングで電話をかけてきたのも全くの偶然だろう。

 警察署の来客用駐車場に車を止めたまま電話をしている私の姿を不審に思ったのか、二人の警察官が近付いてきて窓をノックしようとしてきたのだが、私が電話の相手に言っている言葉を聞いて黙って待っていてくれたのだ。理解力のある警察官で良かったと私は心の底から思っていた。

「すいません。今の会話はご友人と何か計画されているという事ですか?」

「いえ、私の息子が誘拐されたようでして、その事について相談したいと思ってこちらにやってきました」

 私に話しかけてきた警察官ではないもう一人の警察官が無線で連絡をしているようなのだが、一分も経たないうちに私とミクは警察署の中にある応接室のような場所に通されていた。

 そこには制服姿ではない人たちが待っていたのだが、私を見るその表情は誘拐事件が本当なのか疑っているようにも見えた。私は先ほどの会話と家の電話にかかってきたときの録音を聞かせたのだが、それを聞いた瞬間にその部屋にいた全員の表情が一変して、部屋の空気が変わったのを肌で感じていた。

「息子さんは必ず無事に帰れますから安心してくださいね。私達は絶対にあなた達家族を家まで送り届けますからね」

 私は今までも色々な人に絶対という言葉を聞かされていたのだが、今以上にその言葉を信用出来るような相手を見たことは無かった。初対面ではあるのだが、この人は絶対にその言葉を裏切らないのだろうと感じていたのだった。

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