10月25日(火)
肌寒さを感じる朝だった。陽射しは暖かなのに、吹く風がやけに冷たく、思わず背筋が震えるほどだった。身体を暖める方法はただ一つ、チャリをぶっ飛ばすことだった。身体はいい感じに暖まると同時に疲れを覚えた。一度暖まればあとはいつもの巡航速度で走るだけだ。
通学路にある並木通りが赤や黄に色づき始め、地面に大量の葉を落としてた。はらはら散る枯れ葉に混じって二匹の蝶がもつれていた。朝見た蝶はその二匹だけだった。鳴くコオロギやキリギリスたちの音も小さかった。虫が減ってきている。秋が深まりつつある。そして、冬の始まりを予感した。
学校に近づくと、通学路上に同校の生徒たちが多くなってきた。急に訪れた厳しい寒さのせいなのか、それとも中間テストのせいなのか、皆の表情がやや引きつっているように見えた。静かに、ただ歩いたり、チャリを漕いだりする制服の群れ。小さな丘の上に向かって吸い寄せられるように集いつつある。
しかし、こう俯瞰的に観察してみると、男女で違うとはいえ、同じ服に身を包んだ人間たちが一箇所に向かって黙々と集結する構図は一種不気味である。怪しい宗教団体の集会に似た気味の悪さを感じてしまった。俺もその中の一人だというのに。
本来なんでもないはずのことをそんな風に感じてしまうのは、やはり俺もテストと寒さでナーバスになっているのだろう。テスト直前の緊張と憂鬱を、冷たい風が増幅させたのかもしれない。
学校まであと五分というところで、直前にある待ち時間が非常に長い信号にひっかかってしまった。運が悪かった。あと十秒早ければ変わる前に渡れたのに。
信号の前は、あっという間に俺と同じ信号待ちの被害者たちでいっぱいになった。
そこへ、タツミがやってきた。
「おっす、おはようマツザキくん!」
タツミはいつものタツミだった。テスト直前の緊張も、この秋一番の寒さも、タツミには関係のない話だった。太陽の化身かってくらい、タツミは朗らかでニコニコしていて、その姿のどこにも、緊張感や寒さといったものは見受けられなかった。
「おいっす、タツミ」
「今朝は寒いね~。この調子だと来年の夏にはマイナス二百度くらいになりそうだね?」
「本当に寒いと思ってるのか?」
「え? 思ってるからそう言うんじゃない」
「本当に寒いと思ってるなら、このままいけば夏にはマイナス――なんてしょーもないジョーク、朝からのたまうか?」
「えぇ~、今朝テレビで芸人さんが言ってて面白いと思ったから、マツザキくんにも聞かせて笑わせてあっためてあげようと思ったのに」
「あ、それ思いやりだったんだ……」
本当にタツミはいつものタツミだった。
「タツミはいつも変わらないな」
「なにそれ?」
「テスト前なのに、緊張感の欠片もないってこと」
「テストで緊張なんかしないよ~」
それもジョークかと思ったら、どうやら違うらしい。タツミの顔にジョークな表情はない。のほほんとしているが、至極真面目そうだった。
「マジか。テストで緊張しないやつ、初めて見た……」
「緊張というより、なんかワクワクするよね。今までやってきたことがどれだけ通用するか、自分の実力がどんなものか試せる一大イベントだからね」
凄いメンタリティだ。テストなんて俺にとっちゃ地獄の期間であり試練だ。俺はテストなんてものは学校や先生に無理矢理試されるものだと思っていた。タツミの考え方は目からウロコだった。俺はエラが出来てないか思わず確かめたくなるほど、タツミの言葉には驚かされた。テストに対してそこまで前向きでポジティブで建設的な考え方ができる人間を見て、俺は畏敬の念すら覚える思いだった。
「タツミ、お前って凄いよ」
「照れるなぁ~」
素直に照れるタツミ。そんなタツミが急に可愛らしく見えた。いや、前々から可愛らしい女の子だったのだが、今日のタツミはいつにも増して可愛らしく、凄いヤツに見えた。
そうこうしてるうちに信号が変わった。信号を待ってる間に俺のメンタリティも少し変わった。
そうだ、俺もタツミのような考え方で生きてみようかな。何事もポジティな方が上手くいくと聞いたことがある。タツミはそれに相応しい良い見本なんじゃないだろうか? これからはタツミを見倣うのもアリだな……。
「俺、タツミを見倣うよ」
あえて宣言するようにタツミに言ってみた。
「なに? 急に? どうしたの?」
タツミは少し驚き、少し笑いながら言った。
「前々から色々と凄いヤツだと思ってたけど、今朝のタツミは特に凄かったからさ」
「そうかなぁ、マツザキくんだって凄いと思うけどなぁ」
「なにが? どこが?」
「足が速いところとか」
「小学生じゃねーんだから……。それにクラスで五番目くらいだぞ。めちゃくちゃ速いってわけでもないし」
「他にもあるけど、今は思い出せないから、また今度会うときまでに考えとくね」
「……」
本当にタツミってヤツは……。
肌寒い秋の朝、テスト直前の束の間のひと時、タツミはいつものごとく面白くおかしなヤツだった。
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