9月30日(金)
朝早く学校に着いたのが運の尽きだった。
「はぁ~い、マツザキくん……」
教室のドアを開けるとタツミ……ではなく窓辺にウンノが立っていた。俺がドアを開けると同時にこちらに振り返り、意味深な笑みを浮かべて軽く手を振った。
心底意味深な笑みだった。ウンノは舌先を蛇のようにチロッと出して唇を湿らせ、ショートカットの前髪を左手でそっと撫でた。意味深な動作だった。それら一挙手一投足が、背が高く、全体の作りがほっそりとしたウンノにあまりにもお似合いだった。つくづく妖しい女の子、それがウンノ。
意味深で妖しげなウンノのおかげで、俺は昨日のことを思い出してしまった。昨日のことが、脳内で4K画質並の鮮明さで再生されてしまった。昨日の光景と目の前のウンノが頭の中で重なった。その湿らせた唇は昨日、教師と重ねた唇。チロッと見せた舌は教師と絡ませた唇。髪を撫でた手と指は教師と貪るように弄りあった手と指だった。
おかげで朝っぱらから変な気分になってしまった。欲情とは違った、もやもやとした、決して晴れやかではないが、そこまで重たくもない微妙な気分。明るい薄曇りの日のようなとても微妙な心模様。
そんな俺の気分を知ってか知らずか、ウンノ切れるような鋭い目をさらに細めて俺を見た。それもやはり意味深だった。そのあとすぐにクスッと小さく笑ったかと思うと、急に口を真一文字に結び、目だけで微笑んだ。
「よ、朝早いんだな」
俺はテキトーに挨拶して自分の席についた。まだ登校後数分しか経ってないというのに、俺はもう疲れを感じていた。
そこへウンノが足早にやってきた。俺はあえてウンノの方を見なかった。今ウンノを至近距離で直視するのは色々としんどい。
「ねぇ、
ウンノの一言に、俺はドキッとさせられた。ウンノの言う昨日のことと言えば、もう昨日のアレしかないだろう。さきほど頭の中で再生された映像がリピートしはじめた。
「昨日って? 何か面白い番組とか動画とかあったっけ?」
俺はすっとぼけた。しかしそんな手は通用しなかった。
「わかってるくせに。ここじゃなんだからさ、ちょっと来てよ。マツザキくんにとっても大事な話だから」
「俺にとっても大事なこと?」
「そ。お互いのために、ね」
また意味深に微笑んだ。本当に意味深な女の子だな。しかも、今日はその意味深さに拍車がかかって色気すら感じられる。意味深過ぎて俺はもうお腹一杯だった。辟易し始めていた。
しかし一応、ついていくことにした。面倒だが、
着いた先は俺がよく昼休みに一人で休んでいるあの場所だった。
「私、マツザキくんのこと、結構知ってるんだよ。いっつも昼休みになるとマツザキくんがここで寝てることも」
ウンノが笑って言った。それは今日始めてみた、意味深じゃない笑いであり動作だった。
「で、話って?」
俺が言った。
すると、ウンノは笑った。今度はたっぷりと意味深な微笑みだった。
「昨日、体育倉庫でタツミさんとキスしてたでしょ? だから私たちもあなたたちに倣って同じことしたんだよ」
やっぱりバレていたらしい。しかし一つ誤認がある。それは絶対に正さなければならない。
「俺とタツミは、お前たちと違ってキスなんかしてないよ」
「ふぅん、じゃやっぱりタツミさんと二人でいたんだ」
「いたけど、それがどうした?」
「うふふ」
ウンノが無邪気に笑った。今度は意味深じゃなく、色気も飾りもない笑い。
「なんだよ?」
「ごめんごめん。マツザキくんが体育倉庫にいるのはわかってたんだよ。入るの見てたから。でも、他に誰かがいるって確証はなかったんだ。だから、ちょっとカマかけさせてもらった」
「じゃ、なんでタツミの名前が出るんだよ……」
「だって、あんなところですることって一つしかないじゃん? で、マツザキくんの相手と言ったらタツミさんしかいない、どう? 名推理?」
「なかなかの推理だな。だけどタツミの名誉のために言っておくけど、俺たちはお前と違ってキスなんかしてない。俺たちはお前やアホ教師と違って分別つくからな」
「うふふ。じゃ、そーゆーことにしてあげる」
ウンノはやけに楽しそうだ。秘密を共有する仲間ができたとでも思っているのかもしれない。こっちとしては迷惑でしかないのだが。
「そういうことも何も、事実として俺たちはなんにもしてないからな」
「じゃ、このことはお互いのためにも言いふらさないようにしましょ?」
「こっちは事実無根だけどな。ま、元から誰にも言うつもりないから安心しろよ」
「彼女にも言っておいてよ?」
「タツミのことか? あいつも言いふらしたりするようなやつじゃないと思うけど、一応言っとくよ」
「ありがと。じゃ、協定成立、ということで、はい」
ウンノが手を差し出した。白く細くしなやかで艷やかな指だが、昨日教師の身体をまさぐった指だと思い、俺は握手を躊躇ってしまった。それはあくまでも一瞬で、しっかりとウンノの手を握った。おもったよりも手は冷たく、とても握り心地のいい手だった。ウンノという女の子は全部が妖しげにできてるらしい。
「うふ、秘密を共有するってなんだか楽しいね」
お得意の意味深な笑み。俺は俺お得意の苦笑いで返してやった。
「じゃ、教室戻ろっか。あ、でも二人で戻って皆に見られたら、彼女さんに悪いか?」
「タツミは彼女じゃないし、俺は平気だよ」
「ふぅん。秘密を共有してる仲なんだからさ、そこは素直でよくない?」
「俺はいつだって素直だよ」
二人で教室に戻る道中、タツミとばったり偶然出くわした。
そのとき、何を思ったのか突然、隣のウンノが俺の手に触れてきた。それはさり気なくも大胆で、自然を装った露骨さだった。あえてタツミに見せつけるようなニュアンスを含んでいた。
「あ、それじゃあまたね、マツザキくん……」
まるでタツミと出会ったのは不都合と言わんばかりの妖しげな流し目を見せて、ウンノは足早に去っていった。
やれやれだ。何のつもりかわからないが、おそらくはジョークなんだろう。とても趣味のよろしくないジョークだ。ウンノの趣味が悪いのは男に限った話じゃないらしい。
まったく困ったやつだ、と思いながらふとタツミを見ると、タツミは見たこともないような絶妙かつ微妙な顔をしていた。怒っているような悲しんでいるような笑っているような、なんとも言えない顔だった。
「あの人、昨日の人だよね……」
声に抑揚がなかった。機嫌はあまりよろしくないらしい。
「ああ、そのことで後で話があるんだ。昼休みに例のところで」
「うん、いいけど、その前に一つ聞かせて欲しいんだけど、いい?」
「なに?」
「マツザキくんって、あの子のこと、好きなの?」
俺は思わず噴き出してしまった。
「まさか! そんなわけないだろ! あいつはほら、昨日のアレがいるし、俺はあいつを好きになるぐらいなら、断然タツミの方がいい!」
俺もどうかしているらしい、こんなことを人目のある廊下で結構大きめの声で言ってしまったから、タツミは顔を赤くして走り去ってしまった。今度は俺が顔を赤くする番だった。周りがこちらをジロジロ見たり、クスクス笑っているのがはっきりわかった。
俺はダッシュで教室に戻った。こんな恥ずかしい目に遭うのも、きっとウンノのせいだ。あいつが朝っぱらから変な感じで変なことを変な風にするからだ。人のせいだ。八つ当たりっぽい自覚もある。が、今はそうでも思わないとやってられなかったし、五分くらいは、実際にウンノのせいだとも強く確信している。ウンノが扇情的過ぎるのが悪い。俺はただそれに
朝から疲れ果てた。一日はまだ始まったばかりだった。
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