文章を書く練習をする場

丸井零

000_文章を書く練習を始めます、という宣言

 率直に言うと、今私は小説を書きあぐねている。

「小説を書きあぐねる」

という言葉を使うと、小説指南本を読み漁っている人はある一冊の本を思いつくかもしれない。

『書きあぐねている人のための小説入門』

 私はこの本をたぶん十回以上読み返している。それにも関わらず、私は依然として小説を書きあぐねている。少し前までは、ギリギリまで待ってもらってなんとか完成させるという形で小説を書き上げることが多かったのだが、最近は体力が落ちたのか、書けなくなったときに気合いで徹夜でとにかく書き上げるという最終手段が使えなくなってしまった。元々、筆が速いほうではなかった。二次創作の時から、半年に一作くらいかけたらいいほうかなという程度の速度でしかなく、それは一次創作を始めてからも、サークル活動を始めてからも変わらなかった。

 小説を書いている人たちは、小説を書くことを楽しいと感じているのだろうか。私は九割苦しんでいる。というのも、ずっと悩みながら書き続けて、やっと書きたいことが見つかって一気に筆が進む瞬間があるのだが、そのときだけは本当に気持ちがいい。脳内麻薬という言葉は比喩として正しいのだなと感じる。もちろん麻薬をやったことは無いですが……。音楽家などが薬に手を出してしまう気持ちも、少し分かってしまうような気がする。

 ある一定のクオリティのものを作るというのは、いつも事前の想定の数十倍くらい苦しい作業になる。不思議なことにやめたいと感じることはないのだが、今直面しているこの原稿からはもう手を引きたいと思ってしまうことは本当に頻繁にある。というより毎回それは思っている。その後奇跡的に書きたいことを見つけられるか、見つけられないかという運に頼ることになってしまっている。

 一応私は、小説を書くことを生涯の自分の活動にしたいと思って取り組んでいるし、やるからには何か賞を取りたいと思っているし、読んだ人に何らかの影響を与えられたらいいなと思っている。一人のアマチュアとしてそれくらいの野望は持っている。だがそれをやりとげる、というよりそこにいたるまでに継続するための体力や精神力が絶望的に足りていない。そのことをここ一年くらいで痛感している。

 私は書きあぐねてしまうと文章指南本・小説指南本を読みあさる癖がある。これまでに読んできたものを振り返ると、


『書きあぐねている人のための小説入門』

『工学的ストーリー創作入門』

『スクリプトドクターの脚本教室・初級編』

『スクリプトドクターの脚本教室・中級編』

『文章表現 400字からのレッスン』

『新人小説賞の傾向と対策』

『書く人はここで躓く!』

『マナーはいらない 小説の書き方講座』


 最近まで(そして今も)原稿と格闘しているのだが、部屋を見まわしただけでもこれくらいの文章指南本が見つかった。他にも何冊か段ボールの中に隠れいている本がある。(これは埋もれているわけでなく、わざわざ本棚を買ってそこに入れなくても、段ボールの中にしまったり取り出したりすれば何の不便も無いと思ってそうしているだけだ。決して整理整頓ができないわけではない)


<1280文字。ここまで一息で書いた。ここで集中力は途切れた。>


 しばらく時間をあけてからまた書き始めた。自分が何を書こうとしていたのかはきれいさっぱり忘れてしまっている。正確には、書こうとしていたこと自体は分かる。

 しかしそのときの情動を過去に置き去りにしてしまっている。


_____

<書こうと思っていた内容>

 文章指南の本を買い漁り、読み漁るほど悩んでいるのに小説が書けない。最近新しく読んだ文章指南本である『原稿用紙10枚を書く力』に、質を上げたいならまずは量をこなすしかない。マラソンのフルコースを走ったことがなく、ただ筋トレだけをしている人は絶対にマラソン選手にはなれない。400字がどういうものなのか。2000、4000字を何度も書き、この文字数を書くときに自分はどれくらいの時間がかかるのか、どのくらい疲れるのかを性格に把握しておくことが重要だ、ということをこの本から学び、ならばまずは文字数をひたすら増やすだけの練習をしてみようじゃないかとこの文章を書き始めた……

_____


 といった内容の文章を書こうと思っていた。思っていたのだ。

 しかしその文書を書こうと思っていた時の勢いがもうなくなってしまったから、上記のあらすじを膨らませて読める文章にするという気力がもうない。いつもこうなってしまって、時々思い立っては小説やエッセイを書いてみはするものの何も完成させられずに、もう二度と開かれることのないテキストファイルが1つ増えるのだった。


 文章を書くに当たっての呪いがある。構成の呪いと、文章の呪いだ。構成の呪いとは、文章を書きながら(そろそろ起承転結の起が終わる頃だな……結は決まってるけど転はまだ決まっていないのにこのまま書いて大丈夫だろうか……。もう少しプロットを練り直してみようかな)そんなことを考えているうちに筆が止まって、自分が今書いている文章が最悪の出来だと感じて全部消してしまいたくなる、そんな状態のことだ。

 文章の呪いとは単純に、あらすじは決まっているのにそれを肉付けしようとして文章を書こうとしても、まったく魅力的だと思える文章が思いつかず、あらすじに書いた文章をそのまま繰り返すだけになってしまう状態のことだ。

 この二つの呪いがあるから、文章を書けるときは構成の呪いに足を引っ張られ、構成が思いつくときには文章の呪いに道を塞がれてしまう。

「何をそんなに悩んでいるのか。それが人様に提出する原稿だったとして、完成させられない方が迷惑をかける可能性が高いのだし、不完全な原稿を出しても校正者や読者に怒られるのは自分だけだが、原稿が遅れに遅れたり完成させられなかったりして迷惑を被るのは原稿を受け取る側の人間なのだから、そんなことを言っていられる立場ではないだろう」

 というのが一般常識的な意見だと思う。私も頭の中では分かっているのだが、あまりにドツボにはまり込むと、もはや「苦し紛れで提出する」ことができるような原稿すら完成させられなくなってしまう。小説を書き、他の人の小説を読み、という活動をすればするほど、自分の中の呪いが強くなってしまい、執筆の手を絡め取っていく。


 そんなこんなで、文章を書く練習をすることにした。文章を完成させる練習ではない。ぎりぎり完成品だとは自分で思えない文章でも、人の目に触れるところに投稿する。まったく文字数が稼げなくても投稿する。構成もなっていない、文章もただの箇条書きみたいな文章になってしまったとしてもとにかく人の目に触れるところに出す。

 そういう練習をすることにする。

 投稿場所の候補としては、カクヨム・note・GitHubなどがあるが、noteは自分の投稿がすべてフォロワーさんに見えてしまうので、クオリティが全く補償できない文章を投稿するのは後ろめたい。GitHubはその点誰にも通知が行かないからやりやすいのだが、読もうとした人が読みやすい媒体ではない。というわけで、作品を新しく書き始めたときにだけ通知が行き、それ以降の更新は作品をフォローしていなければ通知されないカクヨムが最も自分の投稿目的に合っているということがわかったので、これからカクヨムで文章の練習をしていくことにする。

 既に更新が止まってしまったエッセイを横目で見ながら……。


<3050文字>

<ここまで書いて力尽きた。原稿用紙10枚は4000字。まだまだ道のりは遠い>

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