屑繭紡いで糸となる

桑鶴七緒

第1話

今の不自由さのある生活が好きだ。誰かが言っていた。遠い未来には車が空を飛び、手に入れたい物も直ぐに手に取れる時代が来ると。迷信に決まっている。そんな事より今は大好きな人の傍で生きている事が一番の幸せだ。今日も一日が終わろうしていた。


退勤の時間だ。タイムカードを切り、更衣室に入り少し背伸びをした。衣服に着替えて、店の外に出た。新宿駅の東口の階段を降りて、ごった返す人混みの中を、同じペースでホームに向かって歩いていく。電車に乗って自宅のある大塚駅に着いた。商店街のスーパーで食材を買い、自宅に着くと、ジュートはまだ帰って居なかった。今のうちにあれを作ろう。戸棚から探る様にボウルや計量カップを取り出し、生地作りから始めた。ある程度型取り、オーブンで焼いていく合間に、次はクリーム作り。材料を入れてミキサーで混ぜ合わせ、程良くふんわりと出来た。生地が焼けて粗熱を取り、クリームを塗って、全体を更に塗って伸ばしていき、カットした旬の果物を飾り出来上がった。


ジュート「ただいま。…ん?ケーキ作ったのか?」

ナツト「おかえり。試しに作ってみたんだ。なんとか上手くいったよ」

ジュート「何の日だっけ?」

ナツト「やっぱり忘れてる。今日自分の誕生日でしょ?だから作ったんだよ」

ジュート「そうか。すっかり頭から抜けていた。…てか、台所のシンクが凄い事になってるぞ」

ナツト「あぁ…今片付けるよ」

ジュート「夕飯まだだろ?」

ナツト「御免なさい。買い出し行っていない」

ジュート「片付けたら、近くの食堂に行くか?」

ナツト「そうだね。行こう」


一旦冷蔵庫にケーキを入れて、衣服に着替えてから、近くの食堂に行った。ジュートが洋物が食べたいと言ってきたので、2人で同じ物を注文していただいた。食事を済ませて外に出ると、凍てつく風が吹いていた。


ナツト「まだ寒いね。手袋持ってくれば良かったな」

ジュート「ナツト。手貸して」


珍しく彼から手を繋いできた。僕は心臓がトクトクと温かな音が聞こえてくる感覚になりながら、彼の手を握った。後ろ姿を見ながら歩くのはあまり無いけど、なんだか何時もより嬉しかった。肩に寄りかかると彼は足を止めた。


ジュート「それは家に帰ってからにしろ。その方が落ち着くんだ」


照れながらまた歩き出した。だから、僕はこの人が好きなんだ。もう一度肩に触れようとしたら、既に自宅の前に来ていた。家に入ったら沢山甘えてやる。

ケーキを取り出してナイフで切り分け、皿の上にケーキを置きジュートに渡した。


ナツト「さぁ食べよう」

ジュート「…冷えたな。こんな冷たいケーキは食べた事ないな」

ナツト「たまにはこんなケーキも良いじゃん」


ジュートが食べ終わると、僕はもう一切れ取った。半分程まで食べていくと、彼が顔を近づけてきたので、フォークでケーキを掬い差し出すと無言のまま食べた。少しだけクリームが付いたフォークを口に含むと、僕は顔が綻んだ。すると彼は僕の顔を見つめてこう言った。


ジュート「そのフォーク、どんな味がした?」

ナツト「甘いよ。甘くて優しい味がする…かな。もう何言わせるんだよ」

ジュート「初めて作った割には上手くいったじゃん。違う洋菓子も食べてみたい。今度作ってくれ。シャワー浴びてくる」


そう言って彼は浴室へ行った。残りかけのケーキを見つめて、彼の甘い言葉に酔いしれてしまった。


今晩、僕から彼を抱きたいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る