修行の成果が出たって話。

 もう、目的地……太田コンクリート跡地まですぐそこだった。


「よしっ、後少しで——」


 僕がそう安堵を抱きながら、細い路地を自転車で駆けていた時だった。


 通り過ぎようとしていた小さいやしろの裏から、一人の人影が飛び出してきて、僕の横合いにぶつかってきた。


「うわ!?」


 自転車が倒れるのに巻き込まれ、僕も横倒しになる。


 腕を強く地面に叩きつけられ、そこから衝撃が胴体に染み渡り、思わず咳き込む。


 このタイミングで現れたということは、わざわざ刺青をチェックする必要は無い。今出てきた男も武陣会だ。


 僕は素早く立ち上がろうとするが、その男が僕の足を掴んで離さない。そのまま、僕の右ポケットへと片手を伸ばしてくる。


「離せ、このっ!」


 やけくそに男の顔面をグーで殴る。が、男は歯を食いしばってそれに耐え、ポケットの中のスマホを奪おうとしてくる。


 まずい。力じゃ全然敵わない。じゃあどうすればいい? 腕力以外の力。視力? 聴力? 握力? ……握力!


 僕はポケットを狙う男の手の人差し指を掴み、関節とは逆方向に力を加えた。


「————っ!!」


 男は痛々しそうに叫ぶ。顔面や股間だけが急所じゃない。指だって立派な急所だ。


 脚の拘束が緩む。僕はそのスキを突く形で、男の顔面に膝を叩き込んだ。


 男が顔を押さえて悶える。僕は素早く立ち上がり、駆け出した。自転車はこの男がのしかかっているため頼りにできない。もはや後は親に賜わった両足に頼る他無い。


 僕は走った。すでに散々酷使して詰まったような疲労感があるが、不思議と足枷にならない。天井知らずに吹き上がったアドレナリンとドーパミンが、感覚を鈍くしているのだ。後になってから、筋肉痛で渋い顔をしながら動くことになるだろう。


 ——その「後」というのを、絶対にハッピーエンドにしなければならない。


 それをどうしても阻止したいのか、さっきの男が追ってくる。


 負けられない。


 だから、逃げる。


 逃げることが、今の僕にできる「戦い」なのだ!


 あと少し。あと少しなんだ。


 もう何度目かの曲がり角を曲がり、遠くに太田コンクリート跡地の入り口がうっすら見えた。


 やった、着いた、後は真っ直ぐ進むだけだ——と安心したところで、またも邪魔が現れた。


「——げぇっ!?」


 六人!!


 六人もの男達が脇道から出てきた。

 

 そいつらから口々に聞こえてくる言葉はやはり中国語だ。


 今までとは桁違いの数の妨害。なんてこった。どうすればいいんだ、こんなの!


「くそっ! なんとかなる————っ!!」


 もはやここまで来た以上、「諦める」という選択肢は絶対に取れない。僕は中国人達めがけて一直線に突っ走った。


 やってやる。できるかわからないけど、サッカーのドリブルみたいに全員避けて、抜けてみせる。イチかバチか、だ。


 そう考えながら、一人目の男の間近に迫った時だった。




(————え?)




 目の前に迫り、こちらへ掴み掛かろうとしている中国人の男。


 その男は、両腕を大きく開いて、抱きつくように僕を捕まえにくる。


 それが、分かる。


 


 パーになった両手、かすかに持ち上がった両肩の筋肉、力みで筋張った首筋、強張った唇、息を吸い込んで膨らんだ胴体、一瞬の「溜め」が出来た脚……それらの情報を全て見て、次の行動がタックルであることが分かった。


 僕は、一気に腰を低くし、斜め左へダッシュした。


 ダッシュした次の瞬間、僕のすぐ頭上をそいつの右腕が高速で駆け抜け、すぐ隣を圧力の塊が通過した。


 男のタックルは見事に空振って失敗。僕はなおも走行中。


 次の相手と対面した。……左肩が持ち上がり、左半身が後方へひねられ、左脚に「溜め」がある——それらの動きを瞬時に見据えた僕は、次の動きが「左ラリアット」と予測。


 僕は再び腰を低くし、ラリアットの下をくぐり、二人目も通過した。


 三人目も、四人目も、五人目も、六人目も。


 僕は、相手のを予測して動き、ことごとく避けてすり抜けてみせた。


 後方で六人が驚きを見せていた。


 しかし、一番驚いていたのは僕だった。


 ——先読み。


 そう。今、僕がやったのは、まぎれもなく「先読み」だった。


 偶然ではない。偶然は六度も続かない。


 僕が、僕自身の能力でやったのだ。


 でも、そんな能力なんて、今まで持ってなかった。もし持ってたら、今までもっと上手くやれていたはずだ。カバちゃんのパンチにだって当たらなかっただろう。


 土壇場で潜在能力が開放された、みたいなマンガ的展開?


 いや。


(『ロウソク修行』……!!)


 思い当たるフシは、それしか無い。


 無風の部屋で、動きに乏しいロウソクの火の「微細な揺れ」をひたすら捉えようとする修行。


 一点に気持ちを集める集中力を鍛え、なおかつその「一点」の細かい変化を捉えて次の動きを冷静に予測する能力を養う……そんな成果を期待して、僕が考案し取り組んだ修行。


 その修行の成果が、今、出たのかもしれない。


 こんなに早く成果が現れたのは、きっとさっきまで「ロウソク修行」をやっていたからかもしれない。その時に発揮していた集中力が、今なお残っていたからかもしれない。


 きっとこの「先読み」も、長くは続かないだろう。


 でも、今、僕は確かに六人を。その事実だけは確かな現実として目の前に存在する。


 目的を見失うな。桔梗さんのところへ走るのだ! 今はそれだけ考えろ!


 僕はもう目前にある、阻むものの無い太田コンクリート跡地の導入路へ向かって突っ走った。


 当然ながら、六人の中国人もそうはさせぬと追ってくる。


 そんな六人を振り返って——僕は「いいこと」を一つ思いついた。


 ……この一件、

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