草むらを履帯戦車で踏み潰していくがごとき話。

「くそっ、おい! どこ行った!? そのヌマ高の奴ぁよ!」


「ここです剛田ごうださん! ほら、あそこで伸びてる七人! やられた連中です!」


「うっわ……見ろこれ。すげぇ跡だ。そーとー気合入った一発だぜ」


「しかも六人を一人で瞬殺したってマジか?」


「こんなことできるバケモン、そうそういねぇだろ。それこそ、『雷夫ライオット』の女リーダーとか、あとは——」


「——誰であろうと関係あっかよ。たとえヌマ高だろうとな。こっちが何人集めてきたと思ってんだ。それにヌマ高の奴ら、いつもいつもデカい顔しやがって。バカの分際で。この際だ、本気でキレたらドコ高だろうとヤベーってこと、思い知らせてやろうじゃねぇの」


「さすがイケ高の『アタマ』だ。剛田さん、期待してますよ」


「バカヤロー、オメェもガンバんだよ。戦いは数だ。卑怯とは言わせねぇ」


「剛田さん、見てください。コレ」


「あぁん? ……血痕じゃねぇか。これがどうしたよ?」


「ほら、この血をたどっていくと……」



「……おい、オメェら。行ってみるぞ」


「ええっ? 行くんですか剛田さん?」


。いなかったら、すぐ戻りゃいい。行くぞ」










「疲れたぁ————っ」


 思いがけぬ強行軍に、僕は疲れ果ててどっかり尻餅をついた。


 はいお水、と水筒のカップを差し出してくれる女の子の優しさで心が潤う。冷たい水を飲んで喉も潤う。


 今僕らがいるのは、路地裏にあるゴミステーション前だった。


 本当は女の子が案内したかった隠れ場所はもっと遠くにある小さな神社だったそうだが、正直言って僕の今の体力では樺山をここまでしか連れてこれない。


 何より、途中で思い出してしまったのだ。ことに。余裕が無かったとはいえ、なんという痛恨のミスか。


 「援軍」とやらが、それを察知しないとは思えない。さらに移動速度も、人間一人を担ぐ僕より敵さんの方がずっと早い。


 なので仕方なく、歩きだしてすぐの所にあった路地裏のゴミステーションの中に樺山を放り込んだ。臭いしゴキもいるが、我慢してもらう。


「はぁーっ……そんなに遠くには来てないけど、時間稼ぎには十分かな。ありがとう」


 女の子はふるふるとかぶりを振った。可愛らしいおかっぱヘアーが揺れる。


「僕、月波幸人つきなみゆきと。君はなんていうんだい?」


「……夏子なつこ荷川取にかどり夏子だよ」


「夏子ちゃんか。よろしくね。あぁ、あとこのゴミ入れに入ってるデカくて怖いお兄ちゃんは樺山孝治かばやまこうじ。カバちゃんって呼んであげてね」


「殺すぞ」


 ゴミステーションの中から、樺山の声がツッコんできた。


「どーう? 調子はー?」


「くそっ、ダメだ。まだグラグラしやがんぜ。お前のせいでとんだ迷惑だ畜生」


「ごめんって。だからこうして庇ってあげてるんじゃん」


「だからいらねぇ世話だと何度言えば——」


「しっ。……。あの制服、イケ高だ」


 樺山は息を潜めた。


 緊張した様子の夏子ちゃんに「大丈夫」と言ってあげてから、僕はスマホを起動して閲覧していた。……より正確には、閲覧しているフリ、だ。


 すぐに、小さな人の群れが、顔のパーツがくっきり見えるくらい近くにやってきた。


 その先頭にいるのは、見るからに「格上」と分かる男子だった。


 ムースでパキパキに固まったオールバック、サイを連想させる屈強な顔つき、ノーネクタイでブレザー開けっぴろげに着崩された制服。何より——二メートルに近い身長。


 そのオールバックサイ男は、僕らの前までやってきて、止まった。それに他のイケ高生もならう。それだけで、このオールバックがリーダー格であることは明白だった。……不良の観察力上がったなぁ、僕。大学行ったら論文でも書こうかな。


「……おう、そこのチビッコ。何鼻血垂らしてんだ、あ?」


 やっぱり訊いてきた。


「…………その、鼻血ブーしちゃいまして」


「んなこた見りゃ分かるっての。なんでそうなったのかってのを訊いてんだよ」


「その……エロサイトを見てたら、ブーって」


「ほう? 漫画みてぇな鼻血ブーだな? そんなにエロい画像あんのか」


「いや、それはもう」


「見せてくれよ、どんなのだ? え?」


「いや、やめた方がいいですよ。あまりにエロすぎて失血死しちゃうかも」


 くいっ、くいっ、と夏子ちゃんが袖を引っ張ってくる。


「ねぇ幸人お兄ちゃん、「えろさいと」ってなに?」


「綺麗なお姉さん達の写真がたくさん載ってるウェブサイトのことだよ」


「そうなんだ。わたしも見てみたい。どうやって見れる?」


「多分、夏子ちゃんの携帯じゃ無理なんじゃないかな? お父さんのスマホなら——」


 言おうとして、胸ぐらを掴まれた。オールバックとは違う奴。


「テメ、剛田さんの質問だぞ!? イケ高『アタマ』の剛田さんだぞっ!? 真面目に答えろやコラァ!!」


 至近距離で凄まれつつ、僕は冷静に思考を巡らせていた。


 なるほど、『アタマ』クラスか。そりゃ強そうなわけだ。


 オールバックの男——イケ高『アタマ』の剛田とやらが問うてきた。疑り深い声と眼差しで。


「その頬っぺた、随分腫らしてんなぁ?」


「アンパンマンのコスプレです」


「ほう? じゃあ——そのコスプレを手伝った奴の顔でも拝んでやろうかねぇ」


 剛田は言いつつ、ゴミステーションの取手を掴もうとした。


 だがそれより早く、僕は取手を守るように取手の上に倒れた。


「どけよ」


「いや、すみません……エロサイトで鼻血ブーしすぎたせいで血が足りなくて、頭くらっとしちゃって」


 剛田が胸ぐらを掴んできた。


「——邪魔すんな。殺すぞ」


「いや、だからエロサイトが……」


 ごっ!!


 至近距離から頭突きをくらった。


 お寺の鐘にゴッチンしたような鈍く響く痛み。視界がチカチカする。


「もっかい言うぞ。邪魔すんな。殺すぞ」


 痛みの余韻に耐えながら、僕は「んべ」と舌を出した。


「……僕みたいなの痛めつけて、それで満足? スライムをワンパンで倒して経験値5ポイントで満足? さすがはイケ高、『アタマ』までハンパ者ってわけだね。ってことは、あんたがゾロゾロ連れてきた有象無象の皆様も推して知るべしかな?」


 次の瞬間、イケ高の面々から、殺気が膨れ上がった。


 さらに次の瞬間、僕の頬に硬い感触が高速でぶつけられた。剛田に殴られたのだ。


「ぐっ!?」


 一回強烈なのを食らった部位にもう一発重いのをもらい、かなり痛い。


「このガキャ————!! ヌマ高だからって調子乗ってんじゃねぇぞボケがぁっ!!」


 剛田がそう怒鳴ったのを皮切りに、その他のイケ高生も僕を囲んで足蹴にし始めた。


 口々に罵りながら豪雨のように放たれる蹴りを、僕は頭を抱えてうずくまって耐える。


 情けないが、僕はここから離れるわけにはいかない。


 それに、こいつらの注意は今、


 痛いけど、今こうしているのが僕にとっての最良の選択なのだ。


「——やめてっ!! お兄ちゃんにらんぼうしないでっ!!」


 だが、それは僕だけのようだ。


 夏子ちゃんが、剛田の服の裾に抱きついて止めに入った。


 やっぱり、この子は無理矢理にでも帰しておくんだった——僕は今更ながら自分の考えの足らなさを悔いた。


「んだっ、このガキィ!? 離せ、邪魔だコラァッ!?」


 剛田は力任せに夏子ちゃんを振り払った。


「きゃっ!?」


 投げ出された夏子ちゃんが小さく悲鳴をもらした瞬間、





 ぼぉん!! と勢いよくゴミステーションが開いた。





 中から現れたのは、もちろんカバちゃんこと樺山孝治。


 見ると、きちんと直立していた。ようやく揺れがおさまったのだろう。


 僕を除く全員が、驚愕の表情でそれを見た。


「こ、こいつですよ、剛田さん! この馬鹿野郎です! うちのモンにちょっかい出しやがったの!」


 イケ高生の一人がカバちゃんを指差してわめき出す。……カバちゃんが取り逃した奴だ。


 剛田が鋭い眼光を向けるが、カバちゃんはそれを無視してゴミステーションから出た。


 そして、彼は見る。


 尻餅をついた夏子ちゃんを。


 ボロボロの状態で胎児のように丸まって倒れた僕を。


 僕は力無く笑った。


「な、治ったんだ……ははっ、じゃあ、もう安心だね……カバちゃん」


「おかげさまで。あと、カバちゃん言うなボケ」


 軽口を叩き合うと、カバちゃんはイケ高生の群れを見据えた。


 袋叩きにされながら数えてみたが、連中の人数は十七人。


 一対十七。


 その数の差が放つ魔力は揺るぎない。圧倒的にカバちゃんが不利であることは言うまでもないことだ。


 そのはずなのに——不安が全く無かった。


 この謎の安心感を、僕は以前にも感じたことがある。……桔梗ききょうさんだ。彼女が大の男十人以上と一人で対峙した時も、そんな謎の安心感を覚えたものだ。


 これは、気の迷い? あるいは確信?


 ——答えはすぐに分かるだろう。


「……なんだ? 土下座する……そんな顔でもねぇな? まさかとは思うが……この人数相手にろうってのか?」


 剛田はそこまで言うと、小馬鹿にしたような笑いを浮かべた。


「馬鹿かよテメェ。こっちは十七人だぜ? いくらテメェが腕立つってったって、ちょっと過信し過ぎなんじゃねぇか? それとも、ヌマ高ってなぁ、頭数の勘定すらまともに出来ねぇほどのバカしかいねぇのか?」


 どははは!! と十七人一同が爆笑する。


 だが、カバちゃんは心底つまらなそうに返した。


「うるせぇよ、団子。イケ高ってな、口喧嘩で鳴らしてんのか?」


「っ——おい、ぶち殺せ!!」


 カッとなった様子の剛田がそう命じた途端、手下のイケ高生の一人がカバちゃんに躍り出た。


「ひゃっほぅ!!」


 なんと、そいつは特殊警棒を持っていた。右手に持ったその武器を、間合いに入った途端に振り下ろしてきた。


 だが、その警棒がカバちゃんに当たるよりも早く、そのイケ高生が鼻血を散らしながら空を仰いだ。……カバちゃんが閃くような速度で間合いを詰め、警棒を振り下ろすよりも速く顔面にパンチを叩き込んだのだ。


 さらにカバちゃんの体が消える。——かと思えば、また一人顔面をぶん殴り倒されていた。


 またも風のごとく移動し、またも一人殴り飛ばす。


 およそ三秒にも満たないくらいのわずかな時間で、あっという間に三人が地べたに寝転がった。


 燃えるような殺気で盛り上がっていた場の空気が、静まり返った。


「………………は?」


 その呆けた声をもらしたのは、剛田だった。


 あいつが、僕を含む、一同の代弁者だった。


 そう。まさに「は?」としか言いようがない。


 それほどの早業。


 それほどの剛腕。


「ああそうだ。一対十七だ。だが——?」


 瞬間、カバちゃんの姿が消えた。


 かと思えば、一人殴り倒されていた。


 その電光石火の早業に、全員が唖然とした。


「だったら、。動く回数は十七回で済む。省エネだ。だから俺にとっちゃ、タイマンも一対多数も大して変わらねぇよ。相手は多くても、だからな。一人ぶちのめす力さえあれば、たとえ何人相手でも大して差はねぇよ」

 

 ——いやいやいやいや!! それができるのはあなただけです!!


 僕の心中のツッコミをよそに、カバちゃんは一歩進出する。


 それに合わせて、イケ高一同は一歩後退する。


 連中は、完全にカバちゃんの「気」に呑まれつつあった。


 彼は尻餅をついている夏子ちゃんを一瞥した途端、さらに「気」を強めた。


「腹ぁ括れよ、団子ども。……あんなチビたガキに手ぇ上げたんだ。俺のは偶発的な事故だが、テメェらは。——四人で済むと思うんじゃねぇぞ」


 イケ高の一人が、思い出したように言った。


「おい、そいつ、もしかして…………樺山孝治じゃねぇか?」


 イケ高全員が大きくざわついた。


「嘘だろ……あの?」「ああ、どっかのやばい半グレ組織を一人で半殺しにしたっていう。半グレなだけに」「つまんねーんだよバカ。二重の意味で」「ああ、こいつが本物の樺山なら……マジでつまらねぇことになるぞ」「こいつ、ヌマ高入ってたのかよ。つーかこんな強い時点で察しろよ、馬鹿かケンカ売った奴」「やべ、俺宿題あるの忘れてたわ。帰ってやらねぇと」「お前宿題なんて素直にやるタマじゃねぇだろ」


 敵の群れに弱気の虫が起きはじめるが、


日和ひよってんじゃねぇぞボケぇ!! 数の有利はこっちにあるんだよ!! それをもっと有効に使え!! 頭蓋骨に何詰まってだテメェらぁ!!」


 剛田の喝によって、逃げようとしていたイケ高生らがその場に縫い止められた。


 連中は、カバちゃんをグルリと囲んだ。


 なるほど。ここは狭い通りだ。密集されたら、大きな動きができなくなる。


 しかし、結論を先んじよう。——


「ごぉっ!?」「がほっ!?」「うぼぉ!?」「ぐぅっ!?」カバちゃんはまるで穴を掘りすすむかのように拳を振るって敵の輪を削って、あっという間に「穴」を穿ち、そこから飛び出してしまった。


 せっかく頭を絞って考えて実行した陣形は、あっけなく崩れた。

 

 それからはもう「樺山無双」と言うほかなかった。


 カバちゃんは本当に、一回の動きにつき、一人を殴り倒した。


 相手が攻撃を仕掛けてこようとしても、それをするよりも疾く間近へ踏み込み、強烈に殴打する。


 敵の数が五人くらいにまで減ったところで、もはや僕はそれを「ケンカ」とは思えなくなっていた。 


 そう。それはまさに、頑強な戦車が前方の草をキャタピラで踏み潰して進んでいくがごとき、一方的なものだった。


 僕が唖然としている間に、敵は最後の一人になっていた。


 剛田だ。


「あ……う……」


 あいつも目の前のアホみたいな光景を信じられないのか、顔面蒼白で口を金魚みたいにパクパクさせていた。


 そんな最後の一人に、戦車のような男は無感情で近づいていく。……呼吸ひとつ乱れていなかった。

 

「く…………くそぉぉぉぉぉ!!」


 剛田は拳を握り締め、捨て鉢になったような形相でカバちゃんに突っ込んだ。


 カバちゃんは頭の動きだけでパンチをあっさりかわすと、流れそのままに剛田の鼻っ面に頭突きをぶち当てた。


「——だけは、褒めといてやる。腐っても『アタマ』だな」


 鼻血を散らしながら天を仰いで倒れる剛田に、カバちゃんは静かにそう告げた。




>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 熱いゴミステーション推し。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る