匂わせ上等って話。

 昼。


 樺山孝治かばやまこうじは昼休みの喧騒の中(授業中も変わらずやかましいが)、教室の椅子に座りながら文庫本を読んでいた。


 ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」。

 タイトルの通り、無人島に漂流した十五人の少年達の話だ。

 最年長はたった十四歳……そんな年端も行かない少年達が、力を合わせ、時にぶつかり合い、難局を打破していき、家に帰るまでの物語。

 

 面白いのが、漂着した名も知らぬ無人島に、自分達の通っていた学校の名前をつけたことだ。チェアマン島、と。たしか「チェアマン」は「議長」とかを意味する英単語だったか。


 少し前に気まぐれで買った本だが、孝治はこの物語が気に入っていた。

 

 不用な奴が一人もいないからだ。


 ドニファンの腰巾着達も、狩りの上手さなどを発揮して「役割」を果たしている。

 ちびっ子組も、一緒に来たファンまでも、自分の「役割」を果たしている。

 「その島で生きていく」という共通の目的のために、各々が各々に出来る「役割」を果たしている。


 ——味方に寄りかかるしか能のない「団子だんご」どもでは、とても望むべくも無い展開だ。

 

 今日は火曜日。このクソ溜めみたいな学校に入って、すでに五日が経過していた。


 学校に来た日数だけならまだ三日目だが、孝治は早くもこのクソ溜めにうんざりしてきていた。


 不良だヤンキーだ俺らは世間の型にはハマらないだと吐かしている連中の集まりだが、こいつらも結局はと同じ「団子」だ。群れないと威張り散らすどころかケンカもまともにできないカス共。


 そこらへんから、そんな団子どもの下卑た談笑が耳をつついてくる。他の従業員脅して仕事押し付けられるからバイト楽だとか、前行ったコンビニ店員の女の乳がデカかったとか要らぬ情報が聞こえてくるたびに、ぶん殴って黙らせてやろうかと思った。


 静かな図書室でも行って時間潰そうかと一瞬思ったが、さすがは腕力が支配する底辺高らしく、この学校には図書室というものが存在しない。まぁ、読書なんか死んでもしないであろう連中ばかりだし、そんなもんを作るくらいなら喫煙所でも作ってやればいいのだ。……ここは本当に学校なのか?


 それにもうすぐ授業なので、ここを離れない方がいい。諦めて、ここにとどまることにした。


 そもそも、教師どもはこんな学校でよく授業などやるものだ。


 教師を尊敬したことは一度も無いが、一人しか真面目に聞いていない授業を続けられるその胆力には驚嘆すら覚えた。自分だったら我慢できずに全員殴り倒して笑顔で懲戒免職を食らっているだろう。


 ……いや、訂正。俺以外もう一人いたな。真面目に授業聞いてる奴。


 孝治はあるへ目を向けた。


 ——月波幸人つきなみゆきとの席。


 最初に彼を見た時「こいつ入る高校間違えたんじゃねぇか」と思った。


 それくらい、このクソ溜めには不釣り合いな存在に見えた。


 でも、その分面白そうだと思った。


 あんな見るからにカモって感じの奴が、悪辣な不良が跳梁ちょうりょう跋扈ばっこするこのヌマ高でどう立ち回っていくのか、密かに興味があった。


 しかし、視線の先の空席を見るに、どうやらそれを見ることはできない感じだった。


 やはり彼は、このクソ溜めに耐えかねたのだろう。


 遠からず、彼はこの学校からいなくなるに違いない。


 恥ずかしい事とは思わない。人間、やはり個人によってどうしても合わない環境が存在する。そこで苦痛ばかり味わって無駄な時間を浪費するくらいなら、スパッと去ってしまったほうがいい。


 もう月波幸人のことは忘れることにしよう。


 孝治は改めて「十五少年漂流記」の紙面に視線を移した。現在、対立していたブリアンとドニファンがようやく美しき和解を果たしたばかりだった。


 そこから読み進めようとした瞬間、上からの引力によって本を持っていかれた。


「——おう、樺山ぁ。面白そうな本読んでんじゃねぇの?」


 本を奪い取った男は、まったく知らない顔だ。


 あからさまにケンカを売っているような表情と態度。左胸の校章は赤色。どうせ、自分が以前ぶちのめした何某なにがしかの「強い先輩」だろう。


 案の定、その先輩の後ろには、昨日この教室でぶちのめしたナイフ野郎がニヤニヤしながら控えていた。


「……ここは一年教室だぞ先輩。単位と脳みそが足りな過ぎて留年ダブったのか?」


「おう、テメェよぉ、昨日俺のコーハイいじめてくれたらしいじゃん。ちょっとツラ貸——」


 常套句を言い切る前に、樺山の蹴りが真下から先輩の顎に突き刺さった。


 イナバウアーのように天を仰いでから、ぶっ倒れる先輩。


 ピクリとも動かない。完全に伸びているようだった。


 残ったナイフ男にひと睨みくれてやると、途端にすくんだ顔で硬直した。もう何もしてこないだろう。


「団子が」


 そう吐き捨て、先輩の持つ「十五少年漂流記」を取り返そうとした時だった。





 うぉんうぉんうぉんうぉ————————ん!!! という、無数のエンジン音の重複が聞こえてきた。





 それは、次第に大きくなってくる(こちらに近づいているのだ)。


 やがて、学校のあらゆる音を塗りつぶすほどの轟音と化した。





 うぉんうぉんうぉんうぉんうぉんうぉんうぉぉぉぉぉぉん!! うぉんうぉんうぉ————————ん!!!





 頭が痛くなるほどの音。


 無数のオオカミの群れが強く威嚇しているような、エンジン音の重なり。


 その音源の正体は——校庭にいくつも集まっただった。


 バイクの機種は全員異なるが、ほぼ全てが250cc。


 それに乗る面々は、一人を除いて全員がを着用していた。


 そのジャケットの背中には、等しく「同じマーク」が刺繍されていた。


 ——アメコミ調で描かれた、

 

「おい……あいつら、まさか『雷夫ライオット』かぁ!?」


 教室内の誰かが、そのように叫んだ。


 『雷夫ライオット』。


 聞いたことがある。


 神奈川県で幅をきかせている暴走族ゾクの一つだ。


 仲間意識が強く、自分達からは手を出さないが、身内が不当な暴力を受けたら全力で報復に来る、専守防衛の少数精鋭。


 頭数は『自転車チャリ乙徒オット』や『邪威暗屠ジャイアント』などといった巨大ゾクに比べると少なめだが、個々の力量はかなりのもので、他の大勢力に決して劣るものではないという。過去に『フォ流手ルテ』という巨大なゾクが『雷夫ライオット』へ一方的に抗争を仕掛けたことがあるが、一夜にして惨敗したという。


 そんな連中が、どうしてこんなクソ溜めに?


 理由は分からない。威嚇するオオカミの群れのように、ただただエンジン音を高らかに吹かせるだけだった。


「おい、見ろ! リーダーがいるぞ!」


 またも教室の誰かが叫び、その指差す方向へと視線を滑らせる。


 同じジャケットを着た群れの中で、唯一ジャケットを着ていない人物。女だった。


 女性らしい曲線美と細さを誇るプロポーションをうっすら示唆する形で着用された黒いライダースーツ。その首から上は、武士兜のようなデザインの黒いフルフェイスヘルメット。


「あれが……」「マジでカブトだよ」「うへへ、エロい体してんじゃん。あの美脚に顔挟まれてぇ」「バッカ、あいつめちゃくちゃやばいんだぞ?」「「ライフォル戦争」知ってんだろ? 『フォ流手ルテ』の連中の四割くらいは、あの女が一人で削り取ったらしいぞ」「さすがにそりゃ嘘だろ? 女だぜ?」「じゃあ今すぐ降りてケンカ売って確かめてこいよ。あの美脚で挟まれてーんだろ?」「うっ、無理だ。持病のシャクが」


 口々に益体もない言葉を話しだすバカども。


 だが次の瞬間、そのバカどもが更なる驚きを発した。


「おい! リーダーのうしろ! !?」


 ぼんやりと見ているだけだった孝治も、その言葉には引き寄せられるものを感じた。


 その「うしろのヌマ高生」は、かぶっていたヘルメットを脱ぐ。


「……あ?」


 常に半眼気味である孝治の目が、少し見開かれた。


 その「うしろのヌマ高生」とは——月波幸人だったのだ。


 どういうことだ。どうしてあの普通そうな奴が……ゾクなんかと一緒にいる?


 孝治のかすかな困惑をよそに、幸人はバイクから降りる。


 女リーダーに一礼してから——


 ざわぁっ!!


 この教室だけでなく、他の教室までもが大きくざわめいた。


 そして何故か、他の団員もビクリと反応していた。









「ちょ、ちょちょちょちょちょちょちょ、ゆ、ゆき、ゆきゆきゆきとくんっ……!?」


 僕の耳元にある桔梗ききょうさんの頭から、うわずったような声が聞こえてくる。


「すみません。こうやって念入りにやっておかないと、になりませんから」

 

「そ、そそそそそうよね。う、うん……」


 桔梗さんはどういうわけか、いつもらしからぬおどおどした声だった。


 そして、おずおずと、僕の背中に手を回し返した。


 ——お腹が痛い。


 そう感じたのは、他の『雷夫ライオット』メンバーたちからの、殺気に満ちた眼差しを食らったからだ。


 彼らは専守防衛のため、桔梗さんに危害を加えない限りは何もしてこない。襲いかかってくる心配は皆無だが、それでも怖い。


 特に久里子くりこさん。

 

 分かる。ヘルメット越しでも、血涙を流しそうなくらい血走った眼差しで僕を睨んでいるのが。視線だけで腎機能がマヒしそうだ。


 メンバーの一人の後部座席から降りたいっちゃんが、顔面を蒼白にしていた。


 ——僕達二人は、今日の昼十二時頃、桔梗さんと待ち合わせをしていた。


 待ち合わせ場所には、桔梗さんを含む『雷夫ライオット』のメンバー全員が勢揃いしていた。桔梗さん以外はみんな迷惑そうな顔をしていたが、リーダーである桔梗さんと僕の「約束」なので、そこはご愛嬌。


 僕達は彼らに乗せてもらい、メンバー勢揃いでヌマ高へとこうしてやってきた。


 その光景を窓から見たヌマ高生たちは、さぞ腰を抜かしている様子だった。


 そこからさらに、同じヌマ高生である僕へと注目が集まった。


 その注目を浴びたまま、僕はさらに桔梗さんと抱き合った。


 これによって、ヌマ高の連中は必ず騒ぎだすだろう。




「おい、あいつ知ってるか……?」「知らねぇよ。ってかあいつ、なんかヌマ高っぽくなくね?」「ああ。どっちかっつーと、フツーのガッコの奴みてぇだ」「間違えてヌマ高の制服着ちゃったんじゃねーの」「間違えだったらガッコ来たりしねぇだろ。頭悪いなオメェ」「……俺、あいつ知ってる。確か、1—Bの月波って奴だ」「嘘だろっ? 正式な生徒なん? あんなフツーそうな見た目して、俺ら並にバカなのか……世の中広いな」「つーかあいつ強いの?」「見りゃ分かんだろボケ。クソ雑魚だクソ雑魚。ひと蹴りで終わるよ」「でも……見ろ。あれ」「ああ……『雷夫ライオット』のリーダーとしっかり抱き合ってやがる」「え、マジ? あいつらそういう関係なの?」「嘘だろ、あんなチビが……ベッドの上であのエロい体にむしゃぶりついてんのか」「うるせーよ下半身バカ。それよりもっと重要な問題があんだろ」「あのチビが『雷夫ライオット』のリーダーと親密だってんなら、あのチビに何かするとマズイことになる」「『雷夫ライオット』は身内に手ェ出されたらマジで容赦しない連中だ。もしもあいつがリーダーとねんごろだっつーなら……」「バ、バカ言えっ、まだそうと決まったわけじゃ……」「でも見ろよ、あの大群勢。あれ、きっと『雷夫ライオット』全員だぜ。つまり、それだけの存在だってことだろうが」「マジかよ……」「俺、ダチの撮った動画で見た事あんぜ。あのリーダーが『フォ流手ルテ』の奴らを瞬殺していくシーンをよ……」「もしあのガキに手ぇ出したら、その瞬殺シーンが再現されるわけだな」「つーかそれで済めばいい。『雷夫ライオット』の連中からリンチってコースもあり得るだろ」「うわぁ……」




 校舎の窓から、いくつものおしゃべりが聞こえてくる。


 狙い通りの方向に進んでいることを、僕は確信した。


 僕がこんな大所帯で学校に来たのは、ひとえに——僕と『雷夫ライオット』との間に「関係」があることをほのめかすため。


 いわゆる「匂わせ」だ。


 匂わせることで、僕らの学内における安全を強めることが狙いだ。


 身内の損害に厳しい『雷夫ライオット』が味方であると分かれば、相手もおいそれと僕らに手は出せないだろう。


 ……まあもっとも、そんな「関係」など最初から存在しないわけだけど。


 だからこそ、「演出」を工夫する必要があった。


 メンバー総出でヌマ高敷地内に乗り入れ、威嚇するようにエンジン音を派手に轟かせ、さらにはリーダーのバイクに同乗し、別れ際に抱き合う——そうやって、僕と『雷夫ライオット』との「関係」を


 桔梗さんの受け売りだが……三国志に出てくるしょくは、諸葛孔明しょかつこうめいの死後も、その死を利用した。孔明を似せて作った人形をこれ見よがしに司馬しば仲達ちゅうたつに見せ、まだ孔明が生きているように見せかけてその威光で仲達を撤退させた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事だ。「演出」というのは、なかなか侮れないものである。


 まあ、僕は『五輪書』の中から得た知識を自分なりに応用しただけだけど。


 とにかく、ヌマ高生らのおしゃべりを聞く限りでは、なかなかうまくいったようだった。


 しばらく抱き合ってから、僕らはそっと離れた。


「ありがとうございます。あの、これヘルメット」


「あ、ああ、そうね、ヘルメットね、うん、うん」


 僕に貸していたスペアヘルメットを受け取った桔梗さんは、なぜだか首が真っ赤だった。







 






 ばがっしゃぁん!! という激しい音が、一年B組教室に轟いた。


 孝治が机を蹴倒した音だ。


 ぶっ倒れたままの先輩から「十五少年漂流記」をかっさらうと、孝治は足早に教室を出た。


 廊下を歩いている途中、誰かとぶつかった。


「ってぇなぁ!! 気ぃつけろこのカス——」


 言い切る前に、孝治の裏拳が顔面に炸裂。その男子は派手にぶっ倒れた。


 孝治はそれに一切かまわず、ひたすら歩き続ける。


 目的地は分からない。


 ……ただ、幸人の姿が見える場所に居たくなかっただけだ。


 最高にを見せられた。


 孝治の胸中に渦巻いていたのは、失望と軽蔑。


 その黒々とした感情のおもむくまま、孝治は小さく吐き捨てた。


「結局、テメェも「団子」かよ……月波幸人」





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 また書き溜めてから、連投します。


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