口火

「ここってめぐりくんとよく来るカフェなんでしょう? 素敵なところだね」

 鵺雲やくもがそう言って佐久夜さくやに微笑みかけてきた。普段は巡が座っている席に彼が着いていて、巡とは全く違った笑みを浮かべている。

 そのことに違和感を覚えていいはずなのに、九条くじょう鵺雲やくもは全ての出来事に『これが正しい』とお墨付きを与えてくれるような表情を浮かべてくるものだから、上手く拒絶反応を引き出せないのだ。これが当たり前になってしまったらどうしよう、と佐久夜は密かに危ぶんでいる。

 仮住まいにしていたホテルから、また別の旅館に移動した鵺雲は、佐久夜を呼び出してカフェに連れて行ってほしいと言ってきた。そこは、巡とよく食べに行くお気に入りの店だった。

 有名な場所だから行きたがるのはおかしくない。ただの偶然なのかもしれない。ただ、鵺雲が自分達の行動をすっかり把握していることを暗に示してきたようにも思える。疑いを抱いたまま、佐久夜はその通りにした。

「それで? 佐久夜くんのおすすめは? あ、巡くんのおすすめでもいいけど」

「店のおすすめはこのライチとあんこのパフェですが」

「ふふ、じゃあそれにしようかな」

 そう言いながらも、鵺雲は色々なスイーツが載ったプレートを注文した。佐久夜もミルクコーヒーを注文する。

「コーヒーだけでいいの? 君は随分な健啖家けんたんかなのに」

「これから巡と食事を摂る約束をしているので」

「そうだったの? それは申し訳ないことをしちゃったな。僕のお願いなんて断ってくれても構わないのに」

「断りませんよ。あなたの言ならば」

「リーダーだから?」

「俺がそうすると決めたからです」

 九条鵺雲に御斯葉衆みしばしゅうを率いてもらうと決めたのだから、彼の望むことは何でも叶えよう。そう決めた。腹の底にあるものが違っていたとしても、辿り着くべき場所は同じだ。栄柴さかしばめぐりのいる大祝宴だいしゅくえんを、鵺雲ならきっと実現させてくれる。

「流石は秘上ひめがみの家の社人やしろびとだね。君の両親は素晴らしい教育を授けられた」

「ありがとうございます」

「僕の両親も、教育と愛の面では最高のものを与えてくれたものだけど。あそこを離れなければならなかったのは悲しいよ」

 鵺雲は心の底からそう言っているように見えた。確かに、舞奏まいかなずを極める上で、九条家ほどサポートが受けられる場所もないだろう。今の栄柴とではまるで比べものにならないくらい、一族から脈々と継いできた血ぐるみで大祝宴を目指す人々だ。

「それなのに、何故あなたは相模國さがみのくにを離れたのですか?」

 佐久夜はまっすぐに鵺雲を見つめながら尋ねる。

 彼が遠江國とおとうみのくにに来た理由は、色々と噂されている。一番有力視されているのは、彼が弟の比鷺ひさぎげきの座を譲り渡す為に、他國の覡になったというものだ。確かにそれは分かりやすい上に、理解の及ぶ動機だ。

 だが、こうして鵺雲という人間に対峙してみれば分かる。彼はそんな生ぬるい動機で動くような人間じゃない。鵺雲は舞奏まいかなずというものに関して、おぞましいほどに真摯だ。実力の及ばない人間を舞台に立たせようとはしない。ややあって、鵺雲が困ったように首を傾げた。

「みんなそれが聞きたいみたいだよね。うんうん、わからなくもないよ。そのくらいしか興味関心の幅が広げられないんだろうしね。その所為で、口さがない人々に僕の比鷺が貶められるようなことになってしまって、とても悲しいよ」

 まるで佐久夜の心中を読んだかのように、鵺雲が悲しげに言う。

「ひーちゃんは実力不足なんかでも、怠惰たいだなんかでもないのにね。そのところを理解してもらえないのは悲しいよ。佐久夜くんも一目見ればわかるだろうに」

「あなたのご令弟の実力を疑ったことはありませんが」

「違うよ。そうして比鷺を貶める人間達の口にする『努力』が、ただの空費に過ぎないことがだよ」

 タイミングでも計ったかのように、鵺雲の前にスイーツプレートが置かれる。この店のスイーツプレートは大きな木の箱に入っており、蓋を開けるとドライアイスの白い煙が溢れ出てくる。遊び心に溢れた仕掛けだ。

 「わあ、すごく豪華で素敵だね」と言う鵺雲の表情は、相変わらず微笑んだままだ。少し遅れてやってきたミルクコーヒーに、手をつけるタイミングを見失う。

「話が逸れちゃったね。僕がどうしてここに来たのか、だね。相模國・九条家の跡取りであるこの僕が、何故この遠江國にやって来たのか」

 ミニパフェを手元に寄せてから、鵺雲は続けた。

「君にだけなら教えてあげる。巡くんには秘密に出来る?」

 わざわざ小さく首を傾げながら言われた言葉に、佐久夜は黙って頷いた。また巡に言えないことが増えてしまったが、今更だ。

「一口には言えないんだけど、まあ……人間関係上のトラブルがあったんだよ。こうして言ってしまうと陳腐な理由だけどね!」

「あなたが人間関係でトラブルを起こすとは思えないのですが」

 むしろ、そうなる前に策を練っておくのが鵺雲だろう。すると、鵺雲は困ったような顔をして首を振った。

「僕じゃなくて、僕以外の二人がね」

「……そうなんですか」

「僕が組んでいた舞奏衆まいかなずしゅうは概ね素晴らしかったんだよ。一人はその化身に相応しい実力を備えていた覡で、もう一人は──正直、化身に見合うだけのものがあるとは思えなかったけれど、許容範囲内の化身持ちだった」

 昔話を語る時の穏やかさで、鵺雲が言う。

「その、実力を備えた覡というのは、どこかの有名な家のご子息ですか?」

「そういうわけでもなかったよ。幼い頃から舞奏が好きだったというから、カミに愛されていたのかもしれないね。もう一人の化身持ちは、そんな彼と一緒に過ごしているうちに、縁と恵みを得たのだろう」

 血筋や家柄に関係なく鵺雲に認められる才能というものが、佐久夜にはあまり想像がつかなかった。

「その舞奏衆はあなたの理想だったのではないですか?」

「理想ではないけどね。ともあれ、僕はその舞奏衆に満足していたんだけど、僕以外の二人に問題が起きた」

「問題?」

「カミに奉じるに相応しい舞奏を奉じれば、カミは本願を叶えてくれる──。その本願を巡って、二人の間に諍いが起きた。折角片方が願いを叶えようとしていたのに、化身持ちが才能のある覡の本願を良しとしなかったんだ。対立する願いを持つ舞奏衆は、いずれ必ず崩壊する。僕らもその道を辿ったというわけだね」

 大祝宴にて本願が成就するという話を疑ったことはない。今まで大祝宴に辿り着いた覡達は、その舞に見合うだけのものを受け取ったのだろう、と思っている。鵺雲がかつて組んでいた舞奏衆の覡も、同じくらい本願に真剣だったに違いない。

 願いが基本的に人間の欲望から生まれ出ずるものである以上、それが争いの種になることはままあるはずだ。たとえば、佐久夜の本心が巡のありようとは決して相容れないように。

「そうして、化身持ちの方が、先に相模國を出ることになった」

「鵺雲さんと、その才能のある覡が残っているのであれば、ご令弟を加えた舞奏衆を組めば良かったのでは?」

「そこがややこしいところでね。この一件を受けた僕は、その才能のある覡の方とも袂を分かってしまった。ままならないよね。その才能のある覡と僕もまた相容れないのだと、仲違いの一件で分かっちゃったんだよ」

「鵺雲さんの理想を叶えるに足る相手じゃなかった、ということですか」

「価値観の違いだね! そこで思ったんだよ。相模國を出た彼のように、僕も理想の舞奏衆を組む為に飛び出すべきだって! それで、僕は理解のある両親と大好きな弟を置いて遠江國にやって来たってわけ。でも嬉しいな。そのお陰でこうして理想の御斯葉衆を組むことが出来たんだからね! 本当に、佐久夜くんと巡くんに出会えてよかったよ!」

「そのお言葉には感謝します」

 ミルクコーヒーの中の氷が、口を付けないまま溶けていく。

 元々あった御斯葉衆を解散させた鵺雲は、相模國の舞奏衆で既に一度解散に行き当たっているということなのか。その理由が自分以外の人間の仲違いであった──というのは、鵺雲にとっても不本意なことだったのだろう。

 だが、それを素直に受け取れない自分もいた。果たして、鵺雲の言葉をそのまま受け取っていいのだろうか。二人が決裂した原因は、本当に本願にあるのだろうか?

「……もしや、あなたが才を認めた化身持ちが、櫛魂衆くししゅう六原むつはら三言みこと、ですか」

「うんうん、そうだよ。やっぱり彼のことは知っているよね。三言くんは素晴らしい覡だよ。彼に加えて比鷺が組んでいるんだから、今の櫛魂衆は負けるはずがないよね」

 鵺雲が嬉しそうに笑みを零す。言っていることは鼻につくのに、そのたおやかな声は、まるで春の訪れを喜んでいるかのような朗らかさだ。その隔たりにうっかり籠絡されそうになる。

「もう一人の……相模國を出た覡の方はどうなったんですか」

「さあ、化身持ちの彼は──どうしたんだろうね。彼も彼で自分の目的を達成する為に頑張っているのかもしれないけれど、彼の努力が実を結ぶことはないだろう」

 確信に満ちた口調で鵺雲が言う。

「何故ですか?」

「彼はカミの加護受けぬはぐれ者。カミに背く者。であるからこそ、彼は必ず報いを受ける」

 それは、行く末を知っている人間の声だった。カミの代弁者であるというよりは、そのものであるかのような声だ。そんな感想を抱いてしまった自分にも戦いてしまう。──目の前の人間は一体何なのだ?

「まあ、元気にしてくれていたらいいと思うよ。そうはいっても、彼は大祝宴を諦めないだろうけど。困っちゃうよね」

 ミニパフェをようやく食べ終えた鵺雲が、スプーンを置く。

「僕が相模國を出たことで比鷺が舞奏をやってくれる気になったのは嬉しかったけどね! やっぱり弟の行動を促すのは兄の行動なんだね」

「……六原三言と相容れない、あなたの求める理想とは──目的は、何ですか?」

「素晴らしい舞奏を奉じ、舞奏に豊穣をもたらすことだよ」

 鵺雲はよどみなく言った。

「……俺達は──御斯葉衆は、大祝宴に辿り着けるでしょうか」

 この質問は、どちらかというと認めさせたいからだった。六原三言と同じような才を、栄柴巡の中に見出して欲しかったからだ。だが、鵺雲はそのままの笑みで続ける。

「大丈夫だよ。僕はまだ一度も間違えていないからね」

 そう言うと、鵺雲はミニパフェだけが欠けたスイーツプレートを佐久夜に差し出してきた。

「ごめんね。お腹いっぱいになっちゃったんだ。……助けてくれる?」

 最中もなか羊羹ようかんが丸々残ったプレートを、そのまま自分の元に引き寄せる。

「俺はあなたの命令には逆らいません。あなたの意のままに動きます。ですが、それはあなたの意思に賛同するという意味ではありません。そのことをご留意ください」

「命令じゃなくてお願いだけど」

「そうですか」

「食べてくれる?」

「食べます。あなたが言うならば」

 佐久夜はさっきコーヒーを混ぜていたスプーンを手に取る。美しい羊羹の表面に、切り込みを入れていく。

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