書き下ろし特別エピソード

EverydayClothes in Mayabashi


 阿城木あしろぎ入彦いりひこの赤いライダースジャケットは、バイクに乗ってきているという目印である。大学では自動車・バイク通学が禁止されているのでなかなか出番は無いが、休日は多く出動している。主に車を出すほどでもない用事の時にバイクを用いることが多い代物だ。

 『街中でこのジャケットを着ている入彦を見かけたら、足に使える』というのが、馬屋まやばしでまことしやかに唱えられているライフハックだ。現に阿城木は、大抵の場合、自分の知り合いの足になることをいとわない。多少遠回りになってもちゃんと目的地に送り届けるし、安全運転と快適な乗り心地を意識している。

 だから、こんなに不評なのは初めてだった。

「うわあああーん! 怖いよー! 風が! 風が怖い! お耳取れちゃう! 速いよー!」

「お前さあ……もっと静かに乗れねーのかよ……こっちはあの廃神社くんだりまで迎えに来てやってんだぞ。ていうかヘルメット被ってんだから耳は飛ばねえだろ」

「やだー! 車がいいー! こんなの全然嬉しくないぞ! 車でぬくぬく送り迎えされたかったー!」

 今阿城木が後ろに乗せているのは、同じ水鵠衆みずまとしゅうの仲間であり──自称・上野國こうずけのくにの九尾の狐である拝島はいじま去記いぬきだ。廃神社に住み着き、真っ白い耳とふわふわの尻尾を生やしたところは、確かに彼を千年以上生きた異形の狐のように見せかけている。彼の元には人生に悩んだ人々が集い、お狐様からのお言葉を待つわけだ。

 だがしかし、耳も尻尾もあくまで偽物。彼はれっきとした人間である。生えている耳はフェイクファーで出来たお飾りだし、千年生きているわけでもない。設定を声高に主張する割にブレの大きい彼のことを、阿城木は微妙な気分で見守っている。

「もうやだあ、我歩いて帰る! 降ろしてー!」

 そう言って去記は悲しそうにひんひんと泣き声を漏らした。自慢じゃないが、阿城木のバイクの後ろはなかなかの人気なのだ。乗せて泣き叫ばれる経験は初めてだった。七生ななみなんかもバイクでの移動を気に入っていて、洋菓子店の開店ダッシュなどにバイクが駆り出されている。

「入彦ぉ、これ法律守ってる? 大丈夫? 我もう法律すれすれのことするのやだぁ」

「ちゃっかりすれすれのジョーク言ってんじゃねえ。法定速度は守ってるっつーの」

「入彦ってスピード狂だったりする?」

「だったりしねーよ」

 そう言いながら、阿城木はもう少しだけスピードを上げてやる。先程までは去記が怯えていたので出さなかった、本物の法定速度ギリギリだ。去記がまたひゃあーと間の抜けた悲鳴を上げたので、阿城木は少し面白いような気分になった。

「もう入彦がそのジャケット着てる時は近づかないぞ! もう絶対、ぜえーったい、こんなものには乗らぬ! 九尾の狐が乗っていいものではない!」

「なんだよ。むしろ喜ぶと思ったんだけどな」

 軽く舌打ちをしながら、阿城木はバイクを家へと走らせる。

 それにしても、丁度良い具合に服の話題が出たものだ。

 今日はまさに、その服について話し合うために去記を阿城木家まで連れ出してきたのである。


 事の始まりは、メイプルシロップと居候いそうろうの話に遡る。

 阿城木入彦は、水鵠衆のリーダーである七生千慧ちさとと暮らしている。

 出自不明のこの少年は、ある日いきなり阿城木家の蔵の中に現れたのだ。小柄で生意気で、ついでに甘い物に目がなく、小さな身体でバクバク食べる様はネズミに似ている。正直言って、可愛げのない奴だ。

 だが、彼は化身けしんを持たない阿城木のことをげきにしてやると宣言し、紆余うよ曲折きょくせつがありながらもその通りのことを実現してくれた。

 阿城木にとって、七生は居候であり、チームメイトであり、これから先一生忘れることの出来ない恩人である。

 さておき本日の朝食は、久しぶりのパンケーキだった。最近、あまりにも七生が甘いものを摂取し過ぎていたので、阿城木は密かにパンケーキなどの『追いソースが無限に出来てしまうもの』を減らしていた。七生はそれに対しぶーぶーと文句を言っていたが、そういう時は無視して饅頭まんじゅうでも食わせておけば黙るのだ。

 いくら甘い物を食べても不自然なくらい太る様子が無いのが七生だが、見た目に変化は無くても栄養面的なところは気になる。ただでさえ妙な体質をしている男だ。健康面に何かあっては遅い。おまけに、七生は保険証を持っているかすら怪しいのである。

 そういうわけで、起床後即台所へと献立チェックにやってきた七生は、阿城木が作っているものを見て目を輝かせた。

「ねえそれ……もしかして……もしかしなくても……パンケーキ!?」

「お前、メイプルシロップ一瓶使い切るとかは止めろよな」

「ありがとう阿城木! 最高! やったー! あ、洗濯機回ってたよね? 僕朝ご飯までに干してくる!」

「メイプルシロップじゃなくてハチミツならいいとかそういう話でもないからな」

 阿城木の忠告を聞いているのかいないのか、七生はダッシュで洗濯機の方へ向かった。

 阿城木家にはコインランドリーと見紛うばかりの巨大な洗濯機が二台もあるが、乾燥機は生憎と一台しかない。その為、洗濯物の半分は乾燥機、半分は外に干すのが慣例になっている。何となくの区分ではあったが、タオル類や阿城木の母親である魚媛うおめの服は乾燥機に、そして阿城木と七生の服は外に干すのがお決まりだった。

 パンケーキに浮かれた七生はせっせとネズミのように走り回り、まずは阿城木の服を干し終えた。そして、次に自分の服をかごまとめ、廊下を歩いて行く。

 自分の服──とは言ったものの、基本的に居候の七生が着ているのは、ほとんどが阿城木に借りた服だ。七生が持っている服は、蔵に忍び込んできた時に着ていたものしかない。

 最初は七生用の服を買うべきなんじゃないかと思ったが、それを止めたのが魚媛だった。

「ちーくんのお洋服を買うのは、それはもう全ッ然、全ッッ然やぶさかじゃないのよ? でも、入彦の小さい頃の服を着てるちーくんを見ると、なんかもう可愛くて可愛くて仕方ないんだもの! まだまだ着てもらいたいお洋服がいっぱいあるの! ねえねえ、この際だからちーくんのファッションショーを開いてもいいのよ?」

「ち、小さい頃の服って……小さい頃っていつですか!?」

 微妙なところに食いついた七生が、食い気味で尋ねる。阿城木は「中学二年くらいだな……」と優しい嘘を吐いてやった。本当は、小六くらいのものも混じっている。魚媛の方もよく残していたものだ。

「あんたってばグイグイすくすく伸びちゃったもんだから、一瞬しか着なかった服とか沢山あるんだもん。小五の時もうそんくらい身長無かった? あーあ、もっと着てほしかったな」

「いいことだとは思うけどな……うわ、このデザイン見たことある。小……中学校で流行ってた」

「今小学校って言った!?」

 辛うじて今着るには厳しいデザインの物を廃し、小学三年生頃の流石に入らない洋服を捨て、お下がりを選定していくと、上手い具合にオールシーズン対応出来そうな量の服が揃った。基本的に、服は四、五着あれば着回せるだろう。七生は「小さい頃の服って言わないで」とだけ釘を刺し、大人しくお下がりを着るようになった。

 小さい頃の自分の服が干されているのを見ると、阿城木は何だか妙な気分になった。まるで急に弟が増えたような気分だ。そんなことを七生に言ったら烈火の如くチューチュー言い出すだろうから、絶対に言わないのだが。

 この話で肝心なところは、七生にはあまり替えの服が無いということである。あるいは、七生はパンケーキに浮かれきっていて、脳味噌がメイプルシロップに浸されてしまっていたということだ。

 七生が自分の服を干す前に、阿城木はパンケーキを焼き終えてしまった。その焼きたての匂いを七生が逃すはずもなく、七生は廊下に洗濯籠を置いて台所へと駆けた。

「出来た!?」

「出来たけど、お前洗濯物は?」

「う……終わった」

「嘘吐くな」

「と、とりあえずメイプルシロップだけ運ぶから! 干したらすぐ食べれるように! ね!」

 こういうことを言う時の七生はほぼ一〇〇%嘘を吐いている。メイプルシロップを運んだら、そこからなし崩しにパンケーキを食べようとするに違いないのだ。その証拠に、メイプルシロップの瓶を持つ七生は、既に蓋を開けようとしていた。早すぎる。

 だが、七生の気持ちは分からないでもないし、洗濯物だって少し放置していたところで問題は無いだろう。七生がパンケーキを一枚飲むくらいの時間だったら構わないはずだ。そういうわけで、阿城木もそこまでうるさく七生を注意したりはしなかった。

 すれば良かった。

 少し考えれば分かることだった。脳味噌をパンケーキにされてしまった七生は、自分が廊下に洗濯籠を置いたことをすっかり忘れてしまっていた。リスは自分がどんぐりを埋めたところを忘れてしまうという。それと同じだ。

 そうして、愚かな七生・バカリス・千慧は、蓋を開けたメイプルシロップの瓶を抱えたまま、籠に思いっきり躓いた。七生に蹴り上げられたメイプルシロップの瓶がくるくる回り、そのまま籠の中にスポッと入った。

「わああああああああああ!」

 つんざくような七生の悲鳴と共に甘いメイプルの香りが辺りに立ちこめる。七生は慌てて籠から瓶を取り出したが、全てはもう遅かった。七生の服はほぼ全てがメイプルシロップ浸しになり、べとべとになってしまった。

「……流石に食うなよ。服は」

「食べないよ……」

 籠を挟んだまま、阿城木と七生はしばらく呆然としていた。


「ふむふむ。事情は分かったぞ。千慧のお洋服がべとべとになってしまったから、新しい物を仕立てたいのだな」

「洗えばなんとかなんだけど、結構面倒だったんだよな。被害が少なかったやつは手洗いでなんとかしたけど、残りは捨てた」

「うう……メイプルの匂いがしてるのにあんなに嬉しくない状況があるなんて……」

「でもまあ、いつまでも俺のお下がりを着てるわけにもいかないだろ。一着くらい自分の服、……新しく買ったって」

 持っておいたって、と言いかけてやめたのは、七生がここに来た時の服を大事にしているようだったからだ。今や殆ど着られることのないその服が庭の隅でひっそりと干されているのを、阿城木は時々見かける。きっと、定期的に洗って干しているのだ。そうして七生は、あの屋根裏部屋にちゃんとその服を仕舞っているのだろう。

「でも、我もそう思うぞ! 千慧は可愛いのだからな。ちゃんとその素材を生かしてお洒落しゃれをした方が、観囃子みはやしも喜ぶ我らも喜ぶ、歓心かんしん待ったなしなのではないか?」

「……正直なところを言うと、服よりも甘い物が買いたい……」

「おい」

 阿城木が言うと、七生はしゅんとした面持ちを見せた。どうやら、服が駄目になったことよりもメイプルシロップを無駄にしてしまったことが堪えているらしい。

 去記は洋服の話が楽しいのか、バイクのダメージを感じさせないほどにこにことしている。

「お前はいつもキレーな洋服着てるな。どうしてんだそれ」

「これはお洋服ではなく我の毛皮であるぞ」

「いつもキレーなお洋服着てるよな。どうしてんだそれ」

 毛皮設定を無視して言うと、去記はしぶしぶと言った風に話し始めた。

「これは我のことを慕う人の子達が特別に誂えてくれたものでな。上野國の九尾の狐といえば白狐びゃっこであろう? 我の綺麗な御髪も白であるしな。コンセプトをしっかりと体現した素晴らしいデザインになっているのだ」

「……コンセプト……はともかくとして、生地も良さそうだしな」

 九尾の狐イメージなのだろうもふもふの毛皮も、随分ずいぶんと高級感に溢れている。余裕があるのにも関わらず服は去記の身体にぴったりと吸い付くようであり、傍目はためから見ても丁寧に作られたものだと分かる。

「『去記様に生半可なものは着せられない!』って言っておったからの。きっと生半可なものではないのであろうな。ところで、生半可ってなんか美味しそうな響きがあって良いとは思わぬか?」

「……つまり、いくらくらいか分かるか……?」

「んーと、車とおんなじくらいと言っておったな!」

 去記はけらけらと楽しそうに笑っているが、阿城木は一歩引いてしまった。目の前の男の着ている服があまりにもお高いことを知ってしまい、尻込みをしてしまったのだ。

……この服を着て、去記は粉の舞い散るきな粉餅を食べ、ボロボロとクッキーの欠片を溢し、ほこりっぽい蔵をバタバタと歩き回っていたのだと思うと目眩めまいがしそうになる。これからは一々その服を脱がせて、作務衣さむえか何かを着せてやった方がいいんじゃないだろうか? と思うほどだった。

「そうだ! ならば、むしろその人の子に、千慧の服もデザインしてもらえばよいのではないか?」

「え、そんなこと出来るのか?」

「入彦よ。我を何だと思っている? 我こそは上野國の愛され九尾であるぞ! 少し待つがよい。召喚出来るか聞いてみるぞ」

「ちょっ、デザイン? デザインって何?」

 困惑する七生と阿城木を余所に、去記はてぷてぷとスマートフォンを操作し始めた。現代の九尾の狐の呪術は、かなり簡便になっているらしい。


 そうしてやって来たデザイナーは、阿城木の想像よりもずっと普通の男性だった。灰色のスーツを上下で着た、四十絡みの小柄な男である。

「おお、急な求めであるのに来てくれて嬉しいぞ。朝川あさかわ

「滅相もございません。去記様より優先することなどこの世にはございませんから。私の仕立てたものを身にまとって頂けて、大変嬉しく思っております。そちらは水鵠衆の七生千慧様と阿城木入彦様ですね」

「あ、ああ……はい、そうですけど……」

「こ、こんにちは……」

「去記様のことを日々支えてくださり、本当に感謝しております。舞奏まいかなずの方も常に歓心を向け、水鵠衆の観囃子として精進しております朝川と申します。どうぞよろしくお願いします」

 朝川は深々と頭を下げた。こういうタイプの人間が来ると思っていなかった阿城木は、正直困惑していた。もっと、去記に負けず劣らず個性が強い、強火のファンみたいなのが来ると思っていたのだが──いや、これこそが強火のファンの見本みたいなものだろうか?

「この度は千慧の新しいお洋服の為に、主の腕を振るってもらいたくてな。素晴らしいものを仕立てた暁には、最高の誉れを与えようぞ」

「いえ、私は去記様のお役に立てるだけで嬉しくてならないのですよ」

 朝川はそう言うと、七生の方に視線を向けた。

「去記様から頼まれた以上、生半可なものは着せられません。七生様にぴったりのものをご用意しますよ」

「え、えっと……そうは言われても、僕はデザインとかよく分からなくて……」

「じゃあ、我思いつくやつある! 千慧に着せたいもの!」

「去記はファッションセンスありそうだもんね。ところでどんなの?」

「耳と尻尾!」

 去記は何故か誇らしげに宣言した。あまりに堂々と提案されたお陰で、七生が「……えーと、」と言葉を詰まらせる。

「ちなみに何の耳と尻尾だ?」

「阿城木! 変な風に話題を広げないで!」

「んー、千慧はちっこくて可愛いからの。ハムスターなどはどうだ」

「ハムスターだと分かりにくくねえ? ネズミにしようぜ」

「ちょっと! 勝手に話を進めないで!」

「去記様はとても柔軟な発想力と可愛らしいセンスを持っていらっしゃいますね。それでは、モチーフはハムスターとネズミということで……」

「朝川さん! 耳と尻尾は全部忘れて! そもそも衣装じゃなくて私服だから!」

「む。千慧、それだと我のお耳と尻尾が衣装みたいになってしまうのだが……?」

「なら、どんなのがいいんだよ」

 阿城木がそう言うと、七生は分かりやすく言葉をつまらせた。

「イメージで構いません。後で採寸も行いましょうね。何か好きなものとか、着てみたいものなどはありますか?」

「好きなもの、ケーキ、大福、シュークリーム、フレンチトースト、キャラメル、バニラアイス、抹茶パフェ、小倉トースト、きんつば、金平糖、というかメイプルシロップ、どら焼き、バウムクーヘン、カステラ──」

「おい、それ全部甘いもんでくくれるだろ。他には無いのかよ」

 阿城木がツッコミを入れると、七生はぱたりと口を噤み、そのまま首を傾げた。まさか、好きなものが他に無いのだろうか。七生の自我はどうなっているんだ? そんなことを考えていると、不意に七生が口を開いた。

「海が好き……」

 それは、自分達に聞かせる為というよりは、思わず出てきてしまったような呟きだった。その所為で、一瞬反応が遅れる。すると、七生はハッとしたように首を振った。

「今のは無し。むしろ嫌い。海全然いいとこない。潮風もやだし。しょっぱいし甘くないし」

「なんだ急に……お前、」

「だから馬屋橋に来たんだし……海が無いから……」

「そうだったのか! 我は海が無いことを少し残念に思ってたのだが、そのお陰で千慧が上野國に来てくれたのなら嬉しいことだな!」

 去記がにこにこと笑って言う。その明るさに引きずられて、阿城木は口を挟むタイミングを逃してしまった。朝川が仕切り直すように「他にモチーフにされたいものは?」と言う。

「お菓子以外だと……好きなもの、好きなものか……」

「ここに来て以来、お前食っちゃ寝してるばっかだし、口開きゃ菓子菓子言ってるもんな。そう考えると、お前去記より設定薄いぞ」

「ちょっ、僕ほど盛り盛りな覡もいないと思うんだけど!? えー、だって、……ほ……いや、あれは僕のじゃないし、猫……だとさっきの耳とおんなじことになるし、うーん……」

 そう言う七生の顔は、単にモチーフに悩んでいるというだけではなさそうな深刻さがあった。まるで、自分のことを改めて定義し直しているかのようだ。

 阿城木は好きなものが沢山たくさん挙げられる方だと思う。──舞奏が好きで、バイクが好きで、祭とか、あるいは人助け? はモチーフにならないだろうか。こうして考えると、服のデザインを考えるのは、オリジナルの化身を考えるのに似ている作業だ。

 いよいよ煮詰まってしまったらしい七生に、去記が優しく助け船を出す。

「あまり難しく考えなくてよいのだぞ。上野國に来て、千慧は何に喜び、何を愛した?」

「あ、」

 そう言うと、七生は顔を上げた。

「僕、水鵠衆が好き。…………かも」

「かもじゃねえだろ」

 阿城木はそう言って、七生の髪をぐしゃぐしゃと撫でてやった。


 二週間ほど経った後、朝川から七生の服が届けられた。ご丁寧に、朝川手ずからの配達である。

「わざわざ来てくれてとーっても嬉しいぞ! ありがとうな朝川! 我はこのご恩を絶対に忘れないぞ。九尾の狐はやりがい搾取さくしゅをせぬからな!」

「はい……それではこう……またよろしくお願いします……」

 朝川はいよいよ恐縮した様子で、ぺこぺこと頭を下げていた。去記の力になれたことがよっぽど嬉しいらしい。──と、そんなことを考えながら朝川のことを見つめていると、彼は今までにないくらいの笑顔を見せて言った。

「私は人生がドン底になった時、去記様に救って頂きました。このくらいは当然です。それに──水鵠衆である皆さんがいるお陰で、ドン底から立ち直れる方もいらっしゃると思うので」

「……まあそれは、確かに。俺達はこれからも、水鵠衆でやってくと思うし……その、ありがとうございました」

「僕からも! ありがとうございました! その……あんまり具体的なこととか言えなくて困らせたと思うんですけど……凄く嬉しかったです。……大切にします」

 七生の言葉に、朝川は笑顔を浮かべる。

「これからも、去記様及び水鵠衆を応援していますよ」

 そう言って、朝川は去って行った。


 水鵠衆の舞奏装束は、かなり明るい色合いで纏められている。化身を持たない覡を廃してきた舞奏衆まいかなずしゅう不在の上野國舞奏社まいかなずのやしろは、残っている伝承の量に反比例するように、所属していたはずの覡の記録が少ない。従って、ともすればポップ過ぎるような衣装がどこから来たものかよく分かってはいない。そこに去記や七生があれこれアレンジを加えたから尚更なおさらだ。

 去記の時は『九尾の狐』がコンセプトになっていたのだろうが、七生の場合は正しく『水鵠衆』というテーマを汲んでいた。明るい色合いは普通に身につけるのは勇気が要るようなものだと思っていたのに、七生はそれを見事に着こなしていた。緑色のシャツもピンクのベストも、七生の個性に合っている。

 何より阿城木の目を惹いたのは、重ねた淡い青色のジャケットとズボンだった。敢えて指摘することはしなかったけれど、それはどこか水面を思わせた。七生が好きだと言って、嫌いだと言い直した海を思い出させる色だ。朝川は多分、あそこで溢れた言葉も掬い上げてデザインに生かしてしまったのだろう。

 七生はそれを知ってか知らずか、新しい服の裾を引っ張りながら怖々と尋ねてくる。

「ねー、これ派手じゃない? ちゃんと似合ってる?」

「あー? まあ、似合ってんじゃねーの。プロの技なんだし。お前は──」

「そうだよね! これなんていうか甘辛ファッション? っぽいし! 僕ってばかっこいーのも可愛いのも似合うんだよねー!」

「自信持つのがえげつねーほどはえーな」

「何を言うのだ! 自信を持って然るべきであろう! 千慧のことはいくら褒めても足りぬわ」

「もしかして、こいつのこれが自己肯定感を育ててんかな……褒めて伸ばすって本当だったんだな……」

「いいでしょー? 僕も似合ってるとは思ってたし! ちょっと派手かなーとは思ったけど。似合うことには違いないと思ってたよ!」

 七生はすっかりご機嫌になって、くるくると回ってみせている。

「はーあ、服、手に入れちゃった。本当はお下がりだけで回そうと思ってたのに」

「お前、それおふくろの前で言うなよ。今度こそ幼稚園の頃の服とか着させられるぞ」

「流石にそんなに小さくないんだけど!?」

「服くらい買えばいいだろ。水鵠衆として働いて貰った金とかもあるし、甘いもんなら自腹切らなくたってウチで出るし。そんな死にもん狂いで甘いもんに全ツッパしなくてもいいだろ」

「別に全額甘い物に使いたいから洋服にお金掛けたくないわけじゃなくて! そういうことじゃなくてさー……」

 七生はもう一度服の裾を摘まんだ。

「『これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った』」

「んー? それ、どっちかって言うと、秋から冬のものであると思うぞ」

「太宰だっけか、それ」

「うん。昔授業でやったなーって。でも、そこしか覚えてないんだけど」

 小中でやる内容ではなさそうだから、高校か何かで習ったのだろう。阿城木は七生が十九歳であるということを漠然と信じていなかったが──何しろ怪しいところが多すぎる──急に信じてしまいそうになった。

「こうして服を着ると、なんか衣替えのこと考えちゃうんだよね。次は冬服、その次夏服って。服ってなんか、季節とセットな気がする。借り物だとそういうの全然意識しないじゃん。貸してもらえるものを着るからさ」

「屋根裏部屋だって、冷房入れたり暖房入れたりするだろ。今更だろ。あんなに自分の部屋っぽくしといて」

「阿城木がそうしろって言ったんじゃん」

「ああ、俺が言った」

 素直に阿城木が言うと、七生はきょとんとした顔をした。そして、仕切り直しでもするかのように、こほんと咳払いをする。

「それにしても、今の僕らってかなりお洒落じゃない? 去記は今日もぴかぴかだし、阿城木はライダースジャケット着てるしさ。そして、僕はこの下ろしたての服! こうなったら、やることは一つしかないよね」

「舞奏だな」

「ちがーう! それ稽古着に着替えなくちゃならなくなるでしょ! 私服の意味無いじゃん!」

「どうせケーキ食いに行くとかケーキ買いに行くとかケーキ持ち帰りに行くとか、そういうことしか言わないだろ」

「う……言い回しを変えて完封してくる……」

「でも、入彦はそのライダースジャケットを着ている時はどこへでも乗せていってくれるのだと言っていたものな。ならば、千慧の行きたいケーキ屋さんにも一も二も無く乗せていってくれなくては道理が通らないのではないか? ふふん、我は賢い!」

「……その場合、バイク二人乗りだからな。お前は留守番ってことになるぞ」

「えっ、そ、そんなぁ」

「去記に意地悪しないの! 別にバイクも車もおんなじでしょ! さ、行こうよ」

「同じじゃねーよ」

 言いながらも、阿城木は車のキーをポケットの中に入れる。七生と去記はもう既に玄関へ向かっていた。

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