5-6 悪魔との対峙

「警部! やっぱりここだったんですね」


 声の主に一同が目をやる。列車の横を走る馬車の窓から顔を出す男があった。


「ケリー! なぜここへ?」

「警部の声が響いていましたからね。『逃げろ』だなんて、ただ事ではない証拠ですよ。列車が停車駅を通過したって、目撃情報がありまして。外はすっかり暗いし、おかげで探すのに苦労しましたよ」

「警察特有の喧しい声が役に立つこともあるのだな」

「喧しくて悪かったな!」


 夏目の嫌みに対し、苛立つホワードだったが、エドワードの耳には届いていない。


「ケリーさんは確か――」


 ――奴はヤードでも一二を争うほどの銃の腕前なんでな。腕が落ちていねぇか、それだけが気がかりだ。


 ホワードの言葉を思い出し、頭の中で対策を組み立てていく。


「上手くいく保証はない。けれど、どのみち危険なことに変わりありません。一か八か」


 エドワードの言葉を待っていたかのように、夏目の口角が上がる。

 エドワードは機関士の方を見た。


「水の入った瓶をこちらへ。蓋をして持って来てください」

「わ、分かった」


 機関士は慌てて水を取りに行く。

 ホワードはヘンリーの手に手錠をかけ、客車の中に寝かせた。


「馬車を加速させてください。ホワード警部と夏目は、僕と一緒に炭水車と客車を繋ぐ連結部分を」


 エドワードとホワードは客車側、夏目は炭水車側に分かれ、車両を結びつける鎖を外す。


「せー、の!」


 三人は懸命に連結部分を外そうと、互いの車両を押し合った。ガタンという音とともに、二つの車両を繋いでいたブレーキ・ホース以外の連結部分が外れ、大きく揺れる。


「夏目!」


 炭水車側にいた夏目をホワードとエドワードが客車側に引っ張り上げたところで、先程の機関士が戻って来る。


「ケリーさん! 連結部分についたホースを撃ってください」


 ケリーは無言でホースに狙いを定める。

 撃った弾丸は一発でホースを射抜いた。


「ここからは一か八か。夏目、機関車に届くギリギリのところで頼んだよ」


 エドワードは、機関士から受け取った瓶を夏目に託す。


「客車との距離をできる限り稼ぐということですね」


 夏目は力いっぱい機関車の方へ目掛けて瓶を投げた。


「クソッ、あれでは火室まで届かねぇぞ」


 心配するホワードをよそに、ケリーが狙いを定める。

 一発、二発、三発――。

 弾丸はいずれも瓶をかすめ、瓶は空中でくるくると回転した。


「僕に拳銃を!」


 ケリーと馬車に同乗していた警官が拳銃を差し出す。

 四発目を撃った瞬間、ケリーは差し出された拳銃を構え、再び瓶に狙いを定めた。


「あと一発!」


 放たれた弾丸は再び瓶をかすめ、瓶は回転しながら火室の中へと入っていく。


「爆発するぞ! 総員退避だ!」


 ホワードの掛け声とともにケリーの乗った馬車は離れ、エドワードたちは客車の中へと避難した。

 直後、爆発音が辺り一帯に響き渡り、車体は大きく揺れる。

 エドワードたちは無我夢中で椅子の背もたれに掴まった。

 しばらくして、揺れがおさまると、エドワードは窓から顔を出した。

 客車は線路から脱線し、停車していた。

 エドワードは、安堵の溜息をついた。


「夏目、大丈夫かい?」

「私は大丈夫ですが、ここにいた乗客たちは?」


 夏目が起き上がり、周囲を見回す。


「成功したようだな」


 反対側の扉からソールズベリーがこちらへ向かって来る。


「ソールズベリー侯爵、ここにいた方たちは?」


 エドワードが尋ねると、ソールズベリーは得意げに答えた。


「心配はいらない。全員、後続の客車へ避難させた。機関士が知らせてくれたのでな」

「水の瓶を持って来た時だな」


 夏目が頷く。


「ったく、アンタといると命がいくつあっても足りねぇ」


 流石のホワードも肝を冷やしたらしく、しばらくの間座り込んでいた。


「ですが、まだ解決したことにはなりません。を捕まえなければ」


 エドワードはチャリング・クロス駅のある方角を見つめていた。警察の馬車や近くにいた辻馬車などが客車の周りに集結し、乗客たちを手分けして運んだ。






 チャリング・クロス駅のホームは、事故のことを知らずに待ちぼうけを食らう人々で溢れかえっていた。


「列車はまだ来ないのか!」


 苛立たし気に怒鳴る人々の姿を横目で見ながらホームを後にする男。帽子を深く被り、向かった先はトラファルガー広場だった。ベンチに座り、懐中時計を見つめている。


「ジャコバイトの旗の絵が示していたのは、あなたがステュアート朝の血を引く、ジェームズ二世の末裔であることの主張。エヴァンズ卿を殺害し、トーマス・エヴァンズになりすました」


 男は声の主に目をやった。顔を見るなり、目を見開く。


「ロンドン市内で起きた連続殺人事件の犯人である“The Ripper切り裂き魔”を影から操り、ヘンリー君に宝石の盗難、列車の事故を起こすよう指示していたのは、あなたですね」


 男は作り笑いを浮かべる。


「マイヤー教授、久し振りじゃないか。探偵の真似事かい? それだったら丁度いい。大切な手紙を失くしてしまってね。途方に暮れていたところなんだ」


 男の青みがかった灰色の瞳に映し出されたエドワードは、首を横に振った。


「最初におかしいと思ったのは、タイプライターで打たれた論文の文字です。磨り減った文字の特徴が予告状と酷似している。ソールズベリー侯爵との文通も、以前は手書きでやり取りをされていたのが、ある時からタイプライターに変わったそうです。バースにあるカントリーハウスは、いわくつきの場所として周辺の住民たちに恐れられているそうです。屋敷の持ち主であるトーマス・エヴァンズ卿が謎の死を遂げられたと。エヴァンズ卿を殺害し、彼に成り代わったのでは?」


 男は眼鏡の奥から鋭い視線を送る。


「では聞くが、仮に私が、君の言う“The Ripper切り裂き魔”と内通していたとして、薬瓶が消えた時にわざわざ君に声をかける理由がないだろう」

「僕が事件に関与していることを知り、様子をうかがったのではないですか? 事件の真相にどの程度気付いているのか、と。スチュアート君の余命が幾ばくもないことを知っていたあなたは、彼の意志を尊重し、ヘーゼルダイン卿に事件の真相を知らしめる必要があった。だからこそ、事件の解決をあえて急いだ」

「それから?」


 男は声色を低くして、エドワードに尋ねた。


「あなたが学会を出席したと言っていた八月三十一日、この日はそもそも学会など開催されていませんでした。舞踏会に出席すれば、なりすましたことがバレてしまう。そう危惧をしたのではないですか? だからこそ、ソールズベリー侯爵と直接会うことを避け続けていた」


 男は歯をきりきりと言わせながら、エドワードを睨んだ。


「侯爵家になりすましていたあなたなら、僕らよりも先に王室でパーティーが開かれることを知っていても不思議はありません。第四の事件後、ダミーの予告状であるメモを、遺体のすぐそばに置くことも可能です。第五の事件前に警察へ送られた予告状と違い、あのメモは予告状というには随分となものでした。あれでは、被害者が予告状と考えるか分かりませんし、あのメモを持って現場に現れるとは限らない」


 男は眉をひそめたが、エドワードは構わず続ける。


「二つの星座の記号をわざわざ書き記して現場に置いた理由。普通に考えれば、警察に見つかるかもしれない危険な行動です。それをあえておこなったのは、その後の毒殺事件と関連を持たせるために他なりません。予告状という繋がりから、こちらは疑うこともろくにしなかった。最後に、バッキンガム宮殿を舞台にした理由。女王が臨席する場であえて毒殺事件や宝石をばら撒いて騒動を起こしたのは、王室に対する根深い恨み――自身の血統が王族にふさわしいという主張からだった。仮に、あなたが証拠がないと、しらを切るつもりであれば、あなたの自宅にあるタイプライターと、ソールズベリー侯爵がかつてのエヴァンズ卿とやり取りをした手紙の筆跡を見れば明らかです」

「ヘンリー・ジェンキンスの身柄を確保し、すでに供述も得ている。おとなしく観念しろ!」


 ホワードが手錠を構え、エドワードの後方で睨みをきかせる。

 男は声を立て、冷ややかに笑った。


「そこまで見抜かれていたとは。大したものだよ」


 懐から拳銃を取り出し、銃口をエドワードへ向ける。


「お別れだ、マイヤー教授」


 一発の銃声が辺りに響いた。

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