5-2 別れの夜
翌日の昼、ソールズベリーがマイヤー邸を訪れた。
ソールズベリーの向かいにエドワード、その隣にジェームズが座る。エドワードは、緊張した面持ちでソールズベリーの顔を見た。
ソールズベリーは、執事の出したコーヒーに口をつけ、一息ついたところで話を切り出した。
「突然すまない。昨夜の件に関して貴公と話がしたいと思った
エドワードは、安堵の表情を浮かべた。
「レッド・ダイヤモンドはどのぐらい回収できたのでしょうか」
「おおよそ九割といったところだ。残りは犯人、もしくは昨夜の招待客で持ち帰った者がいたかどうか。だが、所詮我々も全部が戻ることは困難であると踏んでいた。九割ならまずまずといったところ。しかしながら、犯人がわざわざ本物のレッド・ダイヤモンドをばら撒いたとなると、何らかの意図を感じてならないのだ」
「ソールズベリー侯、実はこんなものが」
ジェームズは、昨夜エドワードに見せた懐中時計をテーブルの上に出した。
「“H.Jenkins”……ジェンキンス卿の物か?」
「中をご覧ください」
ジェームズに言われるがまま蓋を開けるソールズベリー。
「ん? 紙?」
折りたたまれた紙を広げるなり、目を大きく見開いた。
「こ、これは……」
「恐らくはジャコバイトの旗の絵かと。これが何を意味しているのか」
ソールズベリーは表情を曇らせる。
「どこでこれを?」
「バッキンガム宮殿の会場で見つけました。ジェンキンス卿が帰りに落としたものです。実ははめ込み式の板が一枚取り付けてありまして、その裏に隠れていました」
ジェームズは、取り外した板をソールズベリーの前に見せた。
ソールズベリーは腕を組み、唸るようにして絵を眺めていた。
「……マイヤー卿、貴公を信じて宜しいのだな?」
これに対し、ジェームズは間髪を容れずに答える。
「勿論です。もし、仮に私がジェンキンス卿から時計を奪い、濡れ衣を着せようとしているなどとお考えならば、私をロンドン塔へ連れて行けば良い」
「に、兄さん!」
昨夜ジェームズに言われた言葉を受け止め、余計な口を挟まないよう努めていたエドワードだったが、これには流石に動揺を隠せない。
だが、ジェームズの目は真剣そのものだった。
「無論、私の疑いが晴れるまで」
ソールズベリーはごくりと息をのんだ。
「……覚悟はあるようだな」
ジェームズは首肯した。
「中を改めた時から覚悟はできております」
「では、近々ホワード警部に取りに来させよう。それまで厳重に保管するように。紛失した場合、証拠を隠滅したとして逮捕せざるを得なくなる」
ソールズベリーは懐中時計をテーブルの上に戻した。
「心得ております」
淡々と答えるジェームズの横で、エドワードは二人のやり取りを黙って見ていることしかできなかった。
「これにて、失礼する」
ソールズベリーが屋敷を出ると、ジェームズは執事におかわりのコーヒーを要求した。
エドワードは茫然とした様子で、ソファから動かなかった。
「こうなることは初めから想像はついていた。驚く話ではない」
出されたコーヒーをすすり、息を吐くジェームズ。
「しかし、兄さん。よりによって、なぜあんなことを。本当にロンドン塔へ連れて行かれたらどうするつもりですか」
ジェームズは「ふっ」と、鼻で笑った。
「そんなにおかしいですか?」
「私を収監したところで、事件は何も解決にならない。犯人は別にいるのだから、当然の話だ。私がロンドン塔にいる間に事件でも起こってみろ。立派なアリバイになる」
「ですが、もし何が起こらなかったら……」
ジェームズはコーヒーカップをテーブルの上に置いた。
「あくまで仮の話だ。それに言っただろう、エドワード。焦らずチャンスを待て、と」
その日の夕方、ジェームズはハイド・パークのベンチにいた。
ロンドン中心部にほど近い立地とは思えぬほどに緑豊かな自然が広がる公園で、都会の喧騒から逃れて訪れた人々にとっては、まさに憩いの場である。今は辺り一面、真っ白な雪景色が広がっていた。
ジェームズは「ふぅ」と、長く息を吐いた。彼の目は、園内の木々をねぐらにする鳥たちが飛ぶ姿を追っていた。
「どうかしましたか? ジェームズ様が溜息なんかつかれるなんて。花の美しさにでも酔いしれていらっしゃるのですか?」
にこやかに笑うクリス・アンドリュースの姿があった。
「ふっ」
ジェームズは声を立てて笑った。
「あら
顔を真っ赤にするクリス。
「すまない、つい……」
「もう、ジェームズ様ったら」
クリスはジェームズの隣に腰を下ろした。
「君に会うのも久し振りだな」
「本当なら舞踏会でお会いできたはずなのに。災難でしたわ。まさかあんなことになるなんて」
「確か、アーガイル鉱山の権利の一部を、君のお父さんが持っていたんだったかな?」
「その通りですわ。おかげで、お父様もすっかり躍起になってしまって。でも、聞きましたわ。宝石のほとんどが戻って来たって」
「ああ、どうやらそうらしい」
ジェームズは、あえて知らないふりをして見せたが、クリスにはお見通しだったらしい。
「そうらしいって、隠さなくても大丈夫ですわよ。ソールズベリー侯爵からお父様へ連絡がありましたから」
無言になるジェームズ。
だが、クリスは構わず話し続けた。
「まさかジェームズ様から電報が届くなんて思いも寄りませんでしたわ。私、嬉しくて! 大急ぎで来ましたのよ」
「前回のこともあるから、本当に来てくれるのか内心不安だったよ」
彼は、スチュアートがジェームズを装い手紙を出していたことを思い返していたが、当のクリスは、
「そんなこともありましたわね。後で聞いて驚きましたもの。でも、前回も守っていただきましたし、何かあっても、またジェームズ様が……」
と、妄想が止まらない様子である。
「クリス嬢、急に呼び立ててすまなかった。君にお願いがある」
「まあ、お願いだなんて。私にできることなら何でも」
クリスは目を輝かせ、ジェームズの顔を見た。
「……エドワードを、頼む」
「えっ?」
クリスは瞠目した。
「ジェームズ様、まだそんなことをおっしゃって……親同士が勝手に決めた相手と結婚だなんて。私は、あなたのことが……」
「前に、君にいつか言わなければいけないことがあると言ったね。聞いてくれるかい?」
クリスは首肯した。
「ありがとう」
一言告げてから、ジェームズはゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「私には昔、愛した
クリスは俯きながらも小さく頷いた。
「親にも認められ、すっかりその気でいたのだが、彼女は……」
そう言ってから、ジェームズの言葉がぴたりと止まる。
クリスは黙って、彼が話すのをじっと待っていた。
ジェームズは、自身の拳を握り、続きの言葉をゆっくりと紡ぎ出す。
「……病気で帰らぬ人となった」
「そんな……」と、口にしてからはっとした様子でクリスは黙った。
「もう、十年近く経つというのに未だに忘れることができない。私にとってはトラウマみたいなものだ。次も同じことが起きたらと思うと、不安で仕方がない。つくづく臆病な男だなと。これでも自覚はあるつもりだ」
「臆病だなんて。ジェームズ様は立派につとめていらっしゃいますわよ。貴族院議員としてのお仕事も、マイヤー家の当主としての役割も。だからこそ、エドワード様だって安心して教授をやっていられるんですもの」
ジェームズは首を横に振り、席を立った。
「しばらくの間、屋敷を留守にするかもしれない。エドワードには、君の支えが必要なんだ。だから、頼む」
「ジェームズ様……」
クリスの目から涙がこぼれる。
「……お気を、付けて」
翌日の正午を過ぎた頃、マイヤー邸の前に警察の馬車が止まった。
執事が出迎えると、ドアの向こうにホワードが立っていた。
「ジェームズ・マイヤーはいるか?」
執事から話を聞いたジェームズは、身支度を整えすぐに玄関へと向かった。
その様子を見たホワードは、目を見開いた。
「準備が良いな。んで、例のブツは?」
「ここにある」
ジェームズは懐から懐中時計と外した金属の板を取り出し、ホワードに差し出した。
中を見たホワードは、白い布に時計を包み、ポケットに入れた。
「ソールズベリーからは、『罪人ではない
「構わない」
ジェームズは、ホワードの目をまっすぐ見て答えた。
「思ったりより肝が据わっていやがる。今回のことは、アンタの弟は知っているのか?」
「屋敷を長く空けると、執事に伝言を頼んだ」
ジェームズの隣にいた執事が会釈をする。
「いってらっしゃいませ」
「ああ、行って来るよ」
執事から
しんしんと降り積もる雪路に残る轍は、あっという間に消えていく。
――すまないな、エドワード。
ジェームズは目を閉じ、車輛の揺れる音、外からわずかに漏れ聞こえる風の音にじっと耳を傾けていた。
ほどなくして、ビッグベンの鐘の音が午後一時を知らせた。
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