4-8 イースト・エンドへ
「教授、大丈夫ですか?」
夏目が声をかけるが、エドワードから返事はない。
「無理もない。あそこは貴族の嬢ちゃん坊ちゃんが行く場所なんかじゃねぇ。前行った時のことでも思い出したんだろうよ」
ホワードはそう言うと、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。口にタバコをくわえて吸い、「ふぅ」と長く息を吐き出す。これを二、三回繰り返した
「マイヤーを連れて署を出ろ。俺はこれからイースト・エンドに向かう」
「了解した」
夏目が返事をした直後、エドワードが小声で返事をする。
「……待ってください。僕も、行きます」
「教授、無理はなさらない方が……」
夏目が答えるのとほぼ同時に、ホワードがぴしゃりと言い放つ。
「やめておけ。今アンタが行っても、余計物事がこじれるだけだ。そもそも、奴らは貴族のこともよく思っちゃいねぇ」
「それは重々承知しています。しかし、彼らと向き合うことも、必要なことだと考えています。今回の事件を本当の意味で解決するために」
「ふん、勝手にしろ。俺は止めたからな」
ホワードはどかっと音を立て、席を立った。
「馬車を出せ」
「はい、ただいま」
ホワードに命令された警官は慌てて応接室から飛び出した。ホワードを先頭に、エドワードと夏目も部屋を出る。
「教授……」
「大丈夫だよ、夏目。君がいてくれるだけで僕は心強い。前に約束したんだ、コンスタンス婦人やアニタさんの婚約者とも。だから、遅かれ早かれ向き合わなくてはいけなかったんだ――このまま迷宮入りにさせるわけにはいかない」
先程の警官とともに、馬車に再び乗り込む三人。
道を行くごとにガス灯や
静まり返った車内で、エドワードが窓の外を見つめていると、やがて、複数の人影を認めた。何かが爆発する音と、人々の発する怒号。異様な雰囲気に包まれた外の景色が目に入るなり、ホワードは「馬車を止めろ」と、大声を張り上げた
「面倒なことになりやがったな」
ホワードの一言に反応するホワイトチャペル署の警官たち。
「かれこれ一時間以上、この状態でして……」
こう話している間にも、
「お前たち警察は、人の命を何だと思っているんだ!」
「ホワイトチャペルだけじゃない。あの事件で何人も犠牲者が出たんだ、結婚が決まっていた奴だっているんだぞ」
などと、怒鳴り声が響き渡る。
「結婚が決まっていた?」
エドワードが思案を始めた直後、
「お前も何とか言ってやれ! ポール」
ポールと呼ばれた男性に皆の視線が集まる。
暗闇で顔が判別できない状況にあったが、彼は持っていた
「俺は……、俺は大切な婚約者を失った。アニタはもう戻ってこない。墓だけでも建ててやりたいと思ったが、
エドワードは瞠目した。
「あの時の……」
思わず口走りそうになるのをこらえた。
ポール自身はエドワードに気付く素振りを見せなかったが、語気をさらに強める。
「犯人に繋がる手がかりを見つけると言っていた大学教授からは何の音沙汰もない。端から探す気なんてなかったんだろう? だったら、あんな無責任なことなんて言わなければ良いのに」
その声は幾度か震え、目から涙があふれていた。
「忘れてなんかいませんよ、ポールさん」
エドワードはたまらず声を張り上げ、皆が彼の方を振り向いた。
「おい、バカ! 余計なこと言いやがって」
ホワードが止めた時にはもう遅かった。
住民から避難の声が上がる中、エドワードはポールの顔を無言で見つめていた。
「マイヤー教授……」
「連絡が遅れてすみませんでした。あなたの気持ちを考えれば、今回僕に向けられた言葉の数々は当然の結果です。ですが、あの時の事件を風化させる気は一切ありません」
「だったら、何で……最近なら新聞に事件のことが取り上げられなくなった。警察も捜査を打ち切った。こうなったら、この町のことは俺たちで守るしかない。だから、自警団を結成した。そこに警察がいきなりやって来たって、良い顔なんて出来るわけがない。だいたい、宝石が盗まれたんだか何だか知らないが、俺たちを疑うなんて、これ以上不愉快なことはないだろう!」
ポールの言葉に住民たちが同情する。
犯人は貴族ですでに死亡した、とは口が裂けても言えるはずもない。
エドワードは無言になり、その場で俯いた。
まして、それを陰から操る黒幕の存在があるなどと、今の段階で口外することもままならないだろう。
「何とか言ったらどうなんだ?」
住民たちの怒声が響く中、
「何だい、アンタたち。怒りの矛先が違うとこに向いてんじゃないかい?」
女性の声が響いた。
聞き覚えのある声に、エドワードが顔を上げると、コンスタンスが立っていた。
「アンタたちが憎いと思っているのは犯人であって、ここにいる先生じゃないんだろ? 本当に解決させたいなら、皆で協力するべきなんじゃないかい?」
住民たちはさらに反発を強める。
「お前、俺たちと同じ“
「コイツの気も知らないくせに」
コンスタンスの大きく肩が揺れた。
心配したエドワードが声をかける間もなく、
「バカ言ってんじゃないよ、アンタたち! アタシだってね……」
彼女はこう叫ぶと、涙をこぼしながら言葉を続ける。
「大事な仕事仲間を失ったんだ。あの子の命を奪った犯人がとても憎い。でもね――」
――
「私はこの言葉だけを信じて毎日を生きている。今日もあの子の顔を見に行ってきたところさ」
ポールは力が抜けたように地面に両膝をついた。
「アニタ――」
そばにいた住民たちが彼を心配し、肩に手を置く。
‘
ポールは、声を立てて泣いた。
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