4-5 惨事

 その頃、会場前の受付では、定刻に遅れた男の対応に追われていた。


「お名前をお伺い致します」


 男は招待状を受付の男性に手渡した。


「ジェンキンス様ですね、お待ちしておりました。お持ちの赤いものは……バラのコサージュですね」

「と言っても、布で作ったものだけど。これで満足?」


 ジェンキンスと呼ばれた若い男は、胸につけたコサージュを指さして尋ねた。


「問題ございません。舞踏会はすでに始まっております。どうぞ中へ」


 ジェンキンスが会場に入った直後、慌ただし気に宮殿の廊下を走る男がいた。目つきが鋭く、お世辞にも人相が良いとは言えない男。彼は受付の男性の方へ一目散に向かい、まくし立てるように話しかけた。


「舞踏会はとっくに始まったっていうのに、馬車が入って来たぞ。こっちに来たか?」

「はい、ただ今中へ」

「何か不審な様子はあったか?」


 睨むように見つめる男。受付の男性は臆することなく、淡々と返す。


「いいえ、特にそういったことはございません」


 男はテーブルの天板を思いっきり叩いた。


「前回のこともあるからな。俺が中に入って確かめてやる!」

「ホワード殿、おやめください! かえって怪しまれてしまいます」


 男性が制止するも、なおも会場に入ろうとするホワードを、近くにいた衛兵二人が駆け付け、男性とともに押さえにかかる。


「ぁあ、クソッ!」


 周囲の目などくれず、大声を張り上げ地団太を踏む始末。

 これには男性も苦笑いを浮かべた。


「……前回と何も変わっておりませんな。そういえば、いつもいらっしゃる若い警官の方は、本日はご一緒ではないのですか?」


 ホワードは、舌打ちをしてから衛兵の手を払い抵抗をやめた。


「ケリーのことか。アイツなら別の現場にいる。生憎あいにく、こっちも立て込んでいるんでな」

「はぁ、左様ですか」


 半ば呆れ顔の男性を尻目に、ホワードは会場に続く扉の方を睨むように見つめていた。


「マイヤー……」






 外での出来事を知る由もないエドワードは、手に持ったシャンパングラスをゆっくりとテーブルの上に置いた。


「ヘーゼルダイン卿の前に姿を現すよう、何者かに命じられたのは事実ですね?」


 エドワードの向かいに座るミランダは、緊張した表情を浮かべながらもはっきりと頷いた。


「Hと名乗る人物から手紙が送られてきました。当初は不審に思ったのですが、指示に従えば報酬を弾むと。お恥ずかしい話ですが、うちは伯爵家といえど、決して裕福ではありません。両親の助けになるならばと、内緒で受けることにしました」

「差出人からの手紙は、暖炉で燃やしたそうで?」


 ミランダの動きがぴたりと止まった。

 エドワードはゆっくりと彼女からの返答を待つ。

 しばしの沈黙の後、ミランダはシャンパングラスを手に取り、中のワインを一気に飲み干した。グラスを置いた瞬間、「ふぅ」と大きく息を吐く。

 エドワードはその様子に思わず目を見開いた。


「指示通りであれば」


 その一言で我に返るエドワード。


「と言いますと、実際には?」


 ミランダはバッグから一通の手紙を取り出した。


「あなたがお探しの物はこちらかしら?」


 差し出された手紙をミランダから受け取るや否や、エドワードは封筒の表と裏を真剣な表情で見つめ、中の便箋を取り出した。予告状の字の特徴を思い浮かべ、頭の中で比較する。


「やはりか……」


 エドワードの独り言に対し、ミランダは問うこともせず、話を続けた。


「確かに、ヤードが来た時には指示された内容をそのまま答えました。万が一、差出人に知られるようなことがあれば、うちがどうなることか……考えただけで恐ろしくてたまりません」

「でも、今は正直に答えてくれましたね」


 ミランダは再び沈黙した。ややあってから頷く。


「……罪悪感があったのです。いつかは真実を話さねば、と――本日あなたとお会いして、私の覚悟が決まりました。話すのは今だと」


 ミランダはじっとエドワードの目を見つめた。

 彼女からの強い視線を真正面から受けたエドワードは、心臓が波打つのを感じながらも、柔和な表情を浮かべた。


「正直に話していただいて、ありがとうございます。僕にとって、今必要としているのは他でもない――情報です。少しでも多くの情報を得なければ、核心へと近づくことが出来ません。それには、あなたの協力が不可欠です」

「そう言っていただけるなら、光栄ですわ」


 安堵の表情を浮かべるミランダ。

 二人が再びシャンパングラスを手に持った頃、同じく軽食を求めて来る人々が増えていた。


 だが、直後、

「いったいどういうこと?」

「何でこんなところにあるの?」

「いや、私じゃない! 信じてくれ!」

 という人々のどよめく声が室内に響き渡った。


「何があったんでしょう?」


 エドワードは人々の間から覗き込んだ。

 ミランダも不安げな表情を浮かべ、エドワードの隣に立つ。

 二人の目に映りこんだのは、赤くてキラキラと輝きを放つ物体。それはまるで宝石のように見える。床にぶちまけられたその物体を前に男性が茫然とした様子で立ち、周囲にいる数人の女性が糾弾している光景。


「もしや……」


 嫌な予感がエドワードの頭をよぎる。

 男性の周りには先程の女性たちの他、徐々に人が集まり始める。

 エドワードは意を決し、男性の方へと向かった。

 ミランダもその後を追う。


「どうかしましたか?」


 エドワードの問いかけに対し、男性はひどく動揺した様子で、

「う、上着のポケットにこれが……わ、私じゃない! 本当だ!」

 と答え、訴えるような目で見つめた。

 その様子を目の当たりにしたミランダは、目を見開いた。


「お父様!」


 周囲の目はたちまち彼女の方へと向く。

 ミランダは周囲の視線に構うことなく、人々の間を割って入り、男性の元へ急ぐ。

 これにはエドワードも瞠目した。


「ミランダさんのお父上ということは……あなたは、ノエル卿?」

「そうです。あなたは――」

「エドワード・マイヤーです。兄がお世話になっております」


 エドワードは会釈をしてから、ノエル卿の足元に転がる赤色の物体をひとつ、ハンカチでゆっくりと拾い上げる。人々の視線が集まる中、物体に息を吹きかけ、曇った物体の表面を観察したが、しばらくしてから首を横に振り、周囲の人々へと視線を向けた。


「ある宝石店から盗み出された宝石――レッド・ダイヤモンドを疑われた方が大半かもしれません。しかし、これは偽物、恐らくガラスです。誰かの悪戯いたずらに違いありません」


 ノエル卿は魂が抜けたようにその場に座り込んだ。

 ミランダが心配そうにノエル卿の肩に手を置き、横にしゃがんだ。

 エドワードも向かいにしゃがみ、床に転がっている数個をハンカチの上に取り、包み込んだ。


「ノエル卿、誰かとぶつかったり、近づいた記憶は?」

「いや、覚えていない。飲んでいたのもあるが、広間でダンスもしましたからな」


 エドワードは立ち上がり、ハンカチがほどけないよう両手で包む。


「僕からヤードに報告しておきます。お二人とも、周囲にはくれぐれもご注意ください。濡れ衣を着せようとした張本人が、この辺りにいるかもしれません。ヤードから質問を受けた際は、落ち着いて答えてください」

「分かりました。ありがとう」


 ノエル卿は頭を下げ、ミランダを連れて会場を出た。






 同じ頃、アルフレッド・ケリーは数人の警官とともに穴の調査を行っていた。

 宝石店から続く道はいくつかに枝分かれしており、中には崩落している箇所もあるため、調査は難航していた。


「また爆弾の跡か。用心してください」


 ケリーの言葉に頷く警官たちだったが、

「うわっ!」

 前日の雨の影響もあり、泥に足が取られるケリー。

 ガラガラと音を立て、落下した。


「ケリーさん!」


 警官たちの呼ぶ声に反応はなく、無情にも「ごぅ」という風の音だけが辺りに響いていた。

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