3-3 真実の扉

 その後、ホワード、ケリーとともにスコットランドヤードへ戻ると、若い警官の男が慌ててこちらへ駆けてきた。


「警部!」

「何だ? 帰ってきて早々、騒々しい」


 警官は息を切らしながら答える。


「例の薬瓶と思われる物が見つかったんですよ」

「何だって⁉ いったいどこで?」

「バッキンガム宮殿ですよ。トイレのごみ箱から怪しい瓶が見つかったそうで。シアン化カリウムと書かれたラベルが貼ってありました」


 これを聞いたエドワードは、大きく目を見開いた。


「バッキンガム……ということは――」

「おい、マイヤー。その瓶がお前んところの物だと証明できる者はいるか?」


 ホワードの問いに、エドワードは首肯した。


「理学部のエヴァンズ教授なら。元々、彼からの依頼でしたので」

「なら、明日ここへそいつを連れて来てくれ」

「……分かりました」






 それから約一時間後、エドワードは暗い表情を浮かべながら家路へと着いた。


「お帰りなさいませ、エドワード様。お疲れのご様子ですね」

「ただいま。さすがに今日は疲れたかな」


 出迎えた執事に対し、エドワードは苦笑いを浮かべて答える。


「朝からこの時間まで……せっかくのお休みの日に無理もございません。エドワード様のお好きな温かいアールグレイをお淹れ致します」

「ありがとう、助かるよ」


 エドワードは、リビングにあるソファーに体を預けた。

 まもなく執事の運んできた紅茶に口をつけ、安堵の溜息をつく。


「ずいぶんとお疲れの様子だな」

「兄さん……」


 二階からジェームズが降りてきた。コーヒーの入ったカップを手に持ち、エドワードの隣に腰を掛ける。


「またあのお騒がせのヤードどもか?」


 エドワードは、両手でティーカップを抱えたまま目を伏せた。


「大学で紛失したシアン化カリウムの薬瓶が、どうやらバッキンガム宮殿で見つかったようで。まだうちの大学の物と決まったわけではありませんが、仮にもしそうなら、先日起こった宮殿での毒殺事件の犯人は、うちの大学の関係者である可能性が極めて高いことになります。教壇に立っている以上、それが同じ教授の立場であっても、生徒であっても、僕は受け入れるのが怖い。今日イーストエンドの現場に行った時、そこに住む方たちのためにも早く事件を解決したいと思ったばかりなのに、つい弱気になってしまいました」


 ジェームズは持っていたカップをテーブルに置き、体をエドワードの方へ向けた。


「それでいいんじゃないか?」

「えっ?」


 驚いたエドワードも、ジェームズの方へ体を向ける。


「お前は大学教授であって、探偵や警察官ではない。一市民として、一人の教授として、当然の反応だ。お前一人で背負い込む話ではない。元々、ヤードの連中が自分たちの手で解決しなければならないことだ。嫌なら、今回の一件から下りればいい。その時は、私が話をつけてやろう」


 エドワードはその場で立ち上がった。


「しかし、それではあまりにも……」


 そう言いながら拳を握り、俯いた。


「正義感の強い、お前らしい反応だな。真実というのは、時に残酷だ。どんなに抗いたくても、抗えない事実などそこら辺に転がっている。だが、お前がもし、最後までくだんの件に関わりたいと心に決めたのなら、その事実をありのまま受け入れていくしかあるまい」

「ありのまま……」

「たとえ、『真実』という扉に両の手をかけていたとしても、感情や思い込みでそれを曲げてしまえば、その扉が開くことは永遠にない。そのことに、誰かが気付かない限りはな」


 エドワードは小さく頷いた。


「兄さん、それでも僕は……」

 ジェームズの目をまっすぐに見つめる。

「真実の扉を、この手でこじ開けてみせます」


「ふっ」と、ジェームズの口角が上がる。

「お前らしいな――」






 翌日の夕方、エドワードはエヴァンズの部屋を訪れた。


「失礼します」


 エドワードが部屋の扉をノックして入るや否や、エヴァンズは机の前で立ち上がった。


「どうぞ……おっ、マイヤー教授じゃないか。もしかして、見つかったのか?」


 机の向こうから前のめりの姿勢でこちらを見つめるエヴァンズを相手に、エドワードは頭の中で情報を整理し、淡々と話していく。


昨日さくじつ、警察からそれらしい物が見つかったと報告がありました」

「ヤードから⁉」

「ええ。バッキンガム宮殿で見つかったそうです」

「バッキンガム⁉ ……いったいどういうことなんだ?」


 困惑を隠せない様子のエヴァンズ。


「バッキンガム宮殿で舞踏会があったのをご存じですか? その日に、ある事件が起きたものでして。シアン化カリウムが凶器に使われた可能性が高いのです。薬瓶がうちの大学の物かを確かめるために、一緒に警察へ来ていただいても宜しいでしょうか」

「それは構わないが、事件って――君は、探偵でもやっているのかね?」


 声色を低くするエヴァンズ。彼からの鋭い視線を真正面に受け止めたエドワードは、ごくりと唾をのんだ。


「そ、そういうわけではないんですが……警察から協力するように頼まれまして」

「なるほど。それはさておき、事件にうちの薬瓶が使われていたとしたら、気分が良いものではないな。うちの管理責任も問われることになる。すぐに出発しよう」

「そうしていただけると助かります」


 エドワードとエヴァンズが部屋を出ると、廊下に大柄な男が立っているのが見える。


「あれ? 夏目?」

「教授がこちらに入っていくのを見かけたもので、つい聞き耳を立ててしまいました。どうか、お許しを」


 夏目は深々と頭を下げた。エドワードの目をまっすぐに見つめ、話を続ける。


「例の薬瓶が見つかったそうで」


 エドワードは首肯した。


「その件で、警察からエヴァンズ教授を連れてきて欲しいって頼まれてね。でも、君は寮に戻った方がいい。この間の事件のこともあるし、学生の君は関わらない方が……」


 エドワードが言い終わる前に、夏目は「いいえ」と、語気を強めさえぎった。


「そう言って、また一人で抱え込むつもりではありませんか? 心配なさらずとも、武術に関しては教授より秀でている自信があります! それに、事情を知っている以上、私も教授と同じく事件解決に尽力したいのです!」

「夏目……」


 なおも真剣な眼差しを向け続ける夏目に対し、エドワードは瞠目した。まして、いつも冷静な夏目が大声を張り上げるなど、彼には考えが及ばなかった。


「教授のように、推理力や動体視力が働くわけではありませんが……少なくとも、腕は立つはずです! 私をもっと頼ってください」


 ――お前一人で背負い込む話ではない。


 昨夜のジェームズの言葉がエドワードの頭の中をよぎる。まもなく彼は頷いた。


「ありがとう、夏目。けれど、これだけは分かってほしい。決して、君のことを軽んじていたわけではないんだ。僕は……」

「分かっています、私の身を案じていたことぐらいは――ですが、もどかしいのです。同い年のよしみとして、あなたの役に立てないのかと。私も同行させてください」


 エドワードは口角を上げ、頷いた。


「ぜひともお願いするよ。一緒に行こう」


 エドワードと夏目、エヴァンズの三人は、ロンドン警視庁へと向かった。


「エドワード・マイヤーです。ホワード警部にお取次ぎ願いたいのですが」


 署の受付で名を告げると、十分ほどでホワードがエントランスにやって来た。


「待っていたぞ、マイヤー。では、アンタが?」

「理学部で主に化学を担当しているエヴァンズだ」

「早速だが、例の薬瓶がアンタのところの物か見てもらいたい」

「構わない」

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