2-4 ウエストミンスター宮殿
八月三十一日金曜日の午後四時、ビッグベンの鐘の音が響く。
ジェームズの計らいにより、国会議事堂のあるウエストミンスター宮殿の中を見学させてもらえることになった夏目。彼はジェームズ、エドワードとともに、ウエストミンスター・ホール内を歩いていた。
中世に建てられた広大な空間は、厳かな雰囲気を醸し出すゴシック様式で、階段上の窓には大きく色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれている。
夏目は時折息をのむ仕草を見せ、建物の内装に見入っているようだ。
「ウエストミンスター宮殿は、一八三四年の火災で大部分を失った。焼失を免れたのは、ここウエストミンスター・ホールと、聖スティーヴン礼拝堂の地下室、回廊などの一部のみだ」
ジェームズの説明に対し、夏目が問う。
「元は宮殿なのですか?」
「ああ、一五三〇年頃までは王室の居住地だった。その少し前にも大火に見舞われているがな」
「火事の度に修復して、現在の姿に?」
「まあ、そういうことだ。続く聖スティーヴン礼拝堂。十六世紀半ばから一八三四年までは庶民院の議場として使われていた」
聖スティーヴン礼拝堂の回廊には石像やステンドグラス、絵画が多く並んでいた。
やがて、宮殿の中心部に位置するセントラル・ロビーへと辿り着く。ロビーは八角形の形をしており、天井は高く、床はタイルになっている。
「入り口が二つ見えるだろう? 右手は我が貴族院、左手は庶民院だ。先に貴族院を案内する」
ジェームズを先頭に、貴族院の議場へ入る三人。入るなり、夏目は目を大きく見開いた。
「な、なんと……まさに
真っ赤な革張りの椅子に、至るところに施された金色の装飾や巨大な絵画の数々……どれもが夏目の想像を遥かに超えていた。
ひととおり見終えたところで、今度は庶民院へと入る。庶民院は緑色と茶色を基調としており、一言でいえば「質素」という言葉が似つかわしい。貴族院とのあまりの違いにしばらく言葉を失う夏目。
彼の気持ちを察してか、ジェームズは問う。
「驚いたか?」
夏目は首肯する。
「あまりにも違い過ぎて、茫然としておりました。考えてもみれば、一八三四年まで回廊が議場だったということは、こちらは火災の後にようやく設けられたということですね」
「そういうことだ。『質素倹約』を旨とすると言えば、聞こえは良いだろうが、身分による格差は言わずもがな。貴族院議員の私が言うことではないがな」
そういうと、ジェームズはどこか寂しげな表情を浮かべ、議場を見つめていた。
「さて、少々駆け足にはなったが、今日はこの辺でお開きにさせてもらおう。エドワード、後は頼んだぞ」
「承知しました、兄さん」
夏目もお礼の言葉を述べ、深々と頭を下げた。
ウエストミンスター宮殿を出たエドワードと夏目は、大学へと向かっていた。
「今日はとても良いものを見せていただきました。教授の兄上にまで貴重な時間を割いていただいて」
「それは良かったよ。少しでもこの間の埋め合わせになったのなら嬉しい。今日は兄さん、午前中から議会で、この後は舞踏会なんだ」
「そんな忙しい時に見せてくださったのですか? 何とお礼を言ったら良いのか……」
「兄さんにとっては、かえって良い気分転換になったと思うよ。本当は兄さん、貴族の古いしきたりがあまり好きではないんだ。そこは僕も同感だけどね」
「そういえば教授、少し気になっていたのですが……火曜日の夜、事件の現場へ行かれましたよね?」
夏目の問いに驚いたエドワードはその場で立ち止まり、彼の方を振り返る。
「な、何の話だい?」
「隠されても無駄です。実を言えば、私も事件のことが気になり、手がかりがないか探していたのです。そこへ、ちょうど教授が現れましたので。声をかけようか悩んだのですが、他の方と話されていたので、黙って見ていたというわけです」
「これは参ったな……だったら、君の言うように隠していても無駄かな」
エドワードは観念した様子で、近くにある喫茶店に入るよう夏目に促す。小ぢんまりとした店で、常連客らしい男女が数組座っているのみだった。店内に置かれた小さな丸テーブルと二人掛けの椅子。その中のひとつに腰を下ろし、エドワードは嘆息してから小声で話し始めた。
「火曜日の朝、警察が家に来てね、巷で話題になっている連続殺人事件の捜査に協力してほしいという依頼を受けたんだ」
夏目は驚いた表情を浮かべる。
「警察が? 私たちがあの現場にいたからか」
「恐らくね。そこに居合わせた警官から連絡がいったんだろうな。君のところには来なかったかい?」
「いいえ、私のところには。火曜日の朝ということは、補講が午後になった理由は、警察が教授の自宅にやって来たから?」
「そういうこと。君と目撃したあの事件は、その四件目にあたると考えられているらしい。けれど、少し安心したよ。警察が君のところにまで押しかけていたら、どうしようかと。下手に目を付けられて犯人に狙われでもしたら、それこそ大問題になるからね」
「それなら心配はいりません。少なくとも武術に関しては、教授より秀でている自信はありますので。剣術なら、そこら辺の輩に負けはしない」
夏目はこうもり傘を手に、淡々とした口調で言い返した。
「……そう言われると、返す言葉がないな」
エドワードは苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。酒場での出来事が彼の脳裏によぎる。
だが、今はそんなことを考えていても仕方がない。そう考えた彼は、夏目にとある相談を持ちかける。
「ついでと言ってはなんだけど、君にも知恵を借りたい。警察から予告状と思われるメモを見せられてね、その解読を頼まれていたんだ」
エドワードは紙とペンを鞄から取り出し、テーブルの上でしたためた。
「仮に予告状であれば、更なる犠牲者を生みかねない。すぐにでも解きたいところだけど、今の僕にはさっぱりだ」
俯くエドワードをよそに、夏目は彼からメモを取り上げ、書かれた内容を繰り返し口に出して読み上げる。
「『七番目の月が最初に十二の鐘を刻むとき 宴は血の色に染まるだろう』最初の問題は、『七番目の月』というのが具体的に何を指しているかだな」
夏目は腕を組み、「うむ」と、唸りながら考え込む。
「七月は過ぎたばかりだしな。七番目……七日目で七日? だとしたら、何月っていうのが出てこないぞ……ああもう! 分からんな」
頭をバリバリと掻いている夏目の向かいで、エドワードは「ふぅ」と息を吐き、天井を仰ぎ見た。
「それに……仮に七月なら、わざわざ七番目と書く必要はないからね」
「まどろっこしいことをする犯人だな。暗号やなぞなぞが好きなのか?」
「こればかりは何とも言えないけど、次にある『最初に十二の鐘を刻むとき』というのも気になるね。『とき』とある以上、日時を指していることは間違いないと思うんだけど……」
「そう言えば、七月って言うとジュリアス・シーザーの生まれた月か」
「それが?」
突拍子もなく発せられた夏目の言葉に、エドワードは首を傾げ、聞き返した。
「昔の人間は随分と強引だと思いまして。何しろ、自分の名前を月の名前にするぐらいですから。オクタヴィアヌスもそうだ。八月を自分の名前にして……」
「ジュリアス・シーザーにオクタヴィアヌス……」
エドワードは二人の人物を口にした後、
‘
と、月の名前をゆっくり並べてみた。
――Septem.
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