2-2 The night is long that never finds the day

 ホワードはどかっと腰を下ろした。


「まずはこれを見てもらいたい」


 鞄の中から一通の手紙を取り出し、テーブルの上に置く。

 エドワードは、手紙に書かれた内容を声に出し、ゆっくりと読み上げた。


 七番目の月が最初に十二の鐘を刻むとき

 宴は血の色に染まるだろう。


「これは、暗号? 『血の色』という言葉からするに、何らかの犯行を示唆しているようにも見える」


 エドワードは体を前傾させ、手紙の内容を注視する。


「一昨日の午前、ヤードへ届いたものだ。巷の連続殺人は知っているか?」

「ええ、新聞で見ていましたから。となると、先日出くわしたのもやはり……」

「ああ、その可能性が高いだろう。俺は予告状ではないかと考えている。お前が発見した、妙な記号が書かれたメモと同じようにな。被害者は全部で四人。すべて女だ。だが、まるで共通点がない」

「と、言いますと?」


 エドワードは、その視線を手紙からホワードの方へと移す。

 隣で聞いていたジェームズも腕を組み、訝し気にホワードの顔を見つめた。


「被害者は一人目からそれぞれ仕立て屋の娘、医者の娘、男爵令嬢、そして今回は、酒場の女――階級はバラバラ、住んでいるところもロンドン市内以外に特に関連性が見当たらない」


 エドワードは、テーブルに置かれた手紙を手に取り、舐めるようにして見た。


「タイプライターで打たれているようですし、筆跡から犯人を割り出すことは難しそうですね。ですが……」

 手紙を再度テーブルの上に置き、指で示す。

「“seventh”の“e”、二つとも右側が若干欠けています。“t ”は、横棒の左側が切れている――こういった特定の文字に見られる摩耗具合や、書体の特徴などから、そのタイプライターを持つ人物を割り出すことは、必ずしも不可能とは言えません」


「なるほど、犯人を捜す手がかりになるというわけだな。だが、その特徴に当てはまるタイプライターを探すとなると、なかなか骨が折れそうだ」


 ホワードは瞬時頷くも、「うむ」と唸り、腕を組んだ。

 そのかん、ケリーが鞄から分厚い資料を取り出し、テーブルの上に置いた。


「こちらが事件の資料です」


 出された資料を手に取り、エドワードがページをめくるが、何ページかめくったところで手を口の目に当て、「うぅ……」と唸り始める。


「どうかしましたか? 顔色が悪いですよ」


 ケリーが尋ねても、エドワードから返答がない。


「まさか!」


 ジェームズが、エドワードの持っている資料を慌てて奪い取ると、そこには胸や腹から血を流した女性の死体を撮影した複数枚の写真が貼られている。写真はどれも白黒で、中にはピントが合っておらず、ぼけているものもあるが、血の苦手なエドワードにとって、その色を想像することは何とも容易たやすいことであった。


「……お前、いくら何でも今回のことは無理があるんじゃないか? とにかく血が苦手だろう? 昔から」

「そうなんですか⁉」


 ジェームズの言葉にケリーは仰天し、ホワードも呆気にとられた様子でエドワードの表情をまじまじと見つめていた。


「この段階で容疑者から外れると思うが、それでもなお協力が必要か?」


 ジェームズの言葉にホワードが頭を抱える。


「……前途多難だな、こりゃ」

「だ、大丈夫ですよ……僕は。その代わり、死体の写真だけは……」


 震えるエドワードの声に、ホワードは首を縦に振った。


「……分かった」


 十一時過ぎ、資料の説明をひととおり終えたホワードとケリーが屋敷を後にした。

 二人の刑事からようやく解放されたエドワードは、ソファーにぐったりと体を沈める。


「……はあ、ようやく帰ってくれた」


 どんよりと沈みこんだエドワードの肩をジェームズが慰めるように叩く。


「まあ、何はともあれ……お疲れだったな」

「ありがとうございます、兄さん。予告状についてはまだ分かりませんが、今回の事件の犯人――貴族、あるいは貴族に恨みを持つ者の犯行にも思えます。アニタさんはともかく、他三人の被害者――仕立て屋の娘と医者の娘は貴族と関わりのある職種と言えますし、男爵令嬢は言うまでもありません。アニタさんとの接点だけが結びつきませんが」

「まあ、お前のように貴族の次男でありながら庶民の憩いの場へ顔を出す者もいるぐらいだ。今さら何があっても驚きはしない」


 エドワードは苦笑いを浮かべた。


「ははは……ヘーゼルダイン卿のこともありますから。あっ、早く大学に行かないと」

「エドワード、事件に巻き込まれないように気を付けろよ。刑事と関わっていることを犯人に知られでもしたら、間違いなく口封じに狙われるからな」

「……用心します」


 その後、エドワードはいつもどおり大学へと向かい、補講を開始した。講義中は、できる限り事件のことを考えないように心がけていた彼だったが、自然と頭の中では事件当日の生々しい光景がよみがえり、同時に、今朝話した刑事たちの顔がちらついてならない。時折口元を手で押さえる仕草を見せては、生徒たちから彼の体調を心配する声も上がった。長期休暇中にも関わらず、通常通り講義を行うエドワードの行動に加え、講義の開始が遅れた理由を「体調不良のため」とでも大学側が生徒たちに公表したためであろう。

 どうにか講義を終えた彼は、法学部棟からほど近い噴水の前にあるベンチに腰をかけた。


「さて、ああは言ったものの、これからどうしようか」


 噴水の音で、エドワードの独り言はたちまち掻き消される。一介の大学教授である自分が、巷を騒がせる連続殺人事件を解決するなどという大それたことができるのだろうか。

 エドワードは大きな溜息をついた。


「……だめだ、今日のところは帰ろう」


 そう声に出した直後、


「教授!」


 エドワードは不意に肩を震わした。聞き覚えのある声。大学内に教授など大勢いるが、周囲に人気ひとけはほぼない。おそらく自分のことを呼んでいるのだろう。恐る恐る顔を上げると、心配そうにこちらを見つめている男の姿があった。


「どうかしましたか? 顔色が悪いですよ、教授」

「……なんだ、夏目じゃないか」


 そう言ってから不意に思い出す。


「あ! 夏目……ごめん。今朝は本当にごめん。僕から誘っておいて」

「そのことなら気にしていません。それより教授の体調の方が。今さっきも溜息などをついて……早めに帰られた方が良いのではないですか?」

「お気遣いありがとう。でも、今回のことは非常に申し訳ないからね。どこかで埋め合わせをさせてほしい。せっかく法律学を学びに来たんだから、国会議事堂の中を見学したらどうだい?」


 夏目の目が輝いた。


「ぜひ、ご迷惑でなければ見てみたいものです」

「兄さんが貴族院議員なんだ。今夜話してみるよ」






 エドワードは夏目と別れ、大学を後にする。彼の足は、大学の近くにある花屋へと向かっていた。花束を手に、辻馬車へ乗り込むエドワード。

 だが、彼の表情に笑顔はない。どんよりと沈み込む雲のように。窓の外も彼の表情と比例するように薄暗くなっていく。やがて、ぽつぽつと雨粒が音を立てていた。

 しとしとと雨が降る中、エドワードは馬車を降り、パブ・コンスタンスの前に立つ。

 普段であれば店には明かりが灯り、中から客たちの笑い声が飛び交っている時間帯なのだが、今夜は様相が異なる。中は真っ暗で、ドアには「臨時休業」と書かれた札がかけられていた。

 エドワードが茫然と見つめたまま立っていると、二階から女性が下りてきた。


「あらあら、誰かいると思って下りてきてみれば。先生、そんなところで突っ立っていたら、風邪ひいちゃうよ」

「コンスタンス婦人。今日はお休みなんですね」


 コンスタンスは嘆息した。


「あんなことがあったからね。私もどうして良いのやら。なら、今のところ音沙汰ないけれど」


 エドワードは、持っていた花束を彼女の前へ差し出した。


「本来であれば、もう少し早くお伺いするべきだったのに、すみません。宜しければ、こちらをアニタさんに」


 コンスタンスは、両手で静かに花束を受け取った。


「……ありがとう、先生。あの子も喜ぶよ、きっと」


 彼女の声は震え、目から涙があふれ出した。


「本当に良い子だった。いつも笑顔で、気が利いて……なのに、あんなことになるなんて、どれだけ恐ろしかっただろうね。あの子が人から恨みを買うようには思えないのよ。私にはさ」

「こんな時にお伺いしていいものか分かりませんが、アニタさんの様子で何かおかしな点はありましたか?」

「この一か月近く、辟易していたのは事実だろうね。すべてはあの貴族どもの仕業さ。あの子に執拗に言い寄って――特に、あのヘーゼルダインとかいう奴がね。巷の連続殺人事件と関連があるのか知らないけど、だとしたら、あまりにも酷すぎやしないかい? 神様が……本当にいるんだとしたら、こんなむごいことをいつまでも許すとは思えないよ。いつか、あの子の無念を晴らせますように……」


 コンスタンスは次第に声色を低くし、怒りに打ち震えているようだった。

 エドワードは彼女の肩に手を置き、首を横に振る。

 コンスタンスは我に返ったようにエドワードの顔を見上げた。


「早まってはいけません。それに――」


 エドワードは少し間をおいてから、コンスタンスに向かって柔らかい笑みを浮かべる。


The night is long明けない夜など、 that never findsありませんから the day’.


 途切れ途切れに、かつ小声で返す彼の言葉を、コンスタンスは黙って聞いていた。溢れんばかりに溜まった大粒の涙が、せきを切ったようにあふれ出す。彼女は声を押し殺して泣いた。

 エドワードは、「いつか犯人を捕まえてみせます」などといった無責任なことを言えるはずもなく、ただただその様子をじっと見守ることしかできなかった。

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