第15話 二人だけのクラス会

「私の愚痴を聞くことにしたって……え? なんで?」


「なんでって……」


 よりにもよってこの金曜日に、なぜ自分に課したルールを破ってまで、家族との時間を蔑ろにしてまでこの場に駆け付けたのかは俺自身よく分かっていない。

 ここにくるまでの道中、何度も自分に問いかけたが、その答えはついぞ出なかった。


「学校のこととか、プライベートのこととか――――家族のこととか。そういう愚痴を言い合って、聞く。そういう同盟を結んでいただろ、俺たちは」


 そもそもこれは加瀬宮の方から持ちかけてきたものだ。忘れたとは言わせない。


「――――……」


 だというのに、加瀬宮は口を開けてぽかんとした表情のまま、固まっている。


「…………何か言えよ」


「ごめん。なんだろ。……わかんない」


「わかんない?」


「なんか…………来るとは思ってなかったから。今日は、会えないって思ってたから……なんでだろ。自分でもわかんないぐらい、混乱してるっていうか……」


 ここまで慌てている加瀬宮は珍しい。昼間のクールな時はもとより、夜の放課後にだってこんな顔を見せることはなかったように思う。


「……さっきも言ったけどさ。今日、来る予定じゃなかったのは、本当だ」


「……じゃあ、なんで来たの」


「……わからん」


「そっちもわかってないじゃん」


 俺が素直に答えると、加瀬宮は小さく噴き出した。


「うるさいな。俺だって考えてるけど分かんないんだよ。とにかく、愚痴だ、愚痴。今日はお前の愚痴を聞いてやるって決めたんだ。……あぁ、でも先に俺の分のドリンクバーを注文させてくれ」


「注文しなくていいから」


「お前は鬼か。こっちは走ってきて喉が渇いてるんだぞ」


「……ふーん? 走ってきてくれたんだ」


「……悪いかよ」


「悪くない。……むしろ嬉しい」


 なんでだろうな。今、加瀬宮の顔をまともに見れない。


「とにかく、注文はさせてもらうからな」


「だから大丈夫だって。ほら」


 加瀬宮はテーブル伝票を抜き取って俺の前に広げる。真っ白な用紙には黒い文字で『ドリンクバー 数量:2』と記載されていた。


「……成海が来るとは思ってなかったんだけどさ。……いつもの癖で、二つ注文してた」


 俺は普段バイトが終わってからファミレスに向かっており、加瀬宮にはあらかじめ俺の分のドリンクバーも一緒に注文してもらっている。


「俺が来てよかったな」


「来なくても二人分飲んでたし」


「飲み放題だからいくら飲んでも一人分だろ」


「いつもの倍飲めば二人分でしょ」


 無茶苦茶な理屈を振りかざす加瀬宮。ここでようやく目が合った。

 肩の力も抜けて、余計なことも頭から抜け落ちて、いつも通りの放課後が戻ってきたような感じがして。


「……ふふっ。流石に無茶だね」


「ははっ。ああ、まったくだ」


 二人して笑った。笑い合った。


「ありがと、成海。ちょっと元気でた」


「礼は要らない。別に元気づけに来たわけじゃないからな」


「そっか。そうだよね。成海は、ただ愚痴を聞きに来てくれただけだもんね」


「そっちの方が、お前は楽だろ」


「うん。こっちの方が楽」


 加瀬宮が注文してくれていたドリンクバーを活用させてもらい、グラスに軽く氷を入れてギリギリまでメロンソーダを注ぐ。すぐ傍では、新しく飲み物を入れるために同じく席をたった加瀬宮が順番待ちをしていた。


「好きだね、メロンソーダ」


「家じゃ飲めないからな」


「あー、確かに。メロンソーダってさ。ファミレスだとよく見かけるけど、ペットボトルとかの売り物になるとあんまり見かけないよね。なんでだろ」


「希少性を高めるための戦略とか?」


「高めてどうすんの?」


「…………あとは神のみぞ知るってやつだ。たぶん」


「てきとーすぎ」


 加瀬宮は小さく笑うと、グラスを手に取りその中に軽く氷を入れる。

 氷を詰めた透明なグラスをマシンにセットすると、先ほど俺が押したボタンに人差し指を押し込んだ。


「私もメロンソーダにしちゃお」


「紅茶じゃなくていいのか?」


「今日は特別」


 二人でメロンソーダを携えて席に戻る。

 もうすぐ夕方になろうかという時間帯。周りの席は徐々に埋まり始めていた。

 子供連れや学生、中にはタブレットのカバーについているキーボードを必死に叩いて書類か何かを作成している人もいれば、テーブルに書類を広げて打ち合わせをしている人もいる。


 煩雑な音。雑音。生活音。周りのことなど気にすることもなく、自分のことだけに集中している。この煩い静寂が俺は好きだ。耳にはこんなにも音が届いているのに、世界には俺たちしかいないような気分になれるから。


「……昨日は、ごめんね」


 目の前にいる加瀬宮の声は、周りの声に遮られることもなく聞こえた。


「うちのママ、感じ悪かったでしょ」


「俺が何かされたわけじゃないから、お前が謝る必要はどこにもない」


「でも、私のママだからさ。もし成海が嫌な気持ちになってたら、私が謝るべきだと思う」


「……面倒だな。家族って」


「それは同感」


 家族だから代わりに謝る。親だから。娘だから。繋がっているから。

 加瀬宮本人が何かをしたわけでもないのに。本当に面倒な繋がりだ、家族というのは。


「昨日のことで、俺が嫌な気持ちになったとすれば――――」


 正直なところ。

 昨日、あの夜、あの場所で、俺は嫌な気持ちにはなっていた。

 もっと言えば不快だと感じていた。拭い難い不快感が今もなお、胸の内にこびり付いていた。


「何もかも加瀬宮が悪いって最初から決めつけてる、お前の母親のあの目つき、顔、ついでに言動だな。仮にもマネージャーやってるなら、心の中で思ってることを顔に出す癖は直しといた方がいいぞ。みっともないから」


 不快感を吐き出したあと、メロンソーダで喉を潤す。口直し完了。


「ふ、ふふっ……」


 グラスの中に満ちた色鮮やかな緑の液体が半分ほどになった後、加瀬宮がくつくつと笑い始めた。


「あははっ。なにそれ。普通、他人ひとの母親にそこまで言う?」


「謝った方がいいなら、心が一切こもっていない謝罪ぐらいはするけどな」


「いい。……ちょっとすっきりした」


「加瀬宮が?」


「うん。私はそこまで言えないから」


「だろうな。俺だって自分で驚いてる。他人の母親にここまで言うとは思ってなかった」


 俺は他人の家に口は出さない主義なのに。

 加瀬宮と一緒にいると、どんどん自分が自分でなくなるみたいだ。


「……お前のせいだぞ、加瀬宮」


「急になに。意味わかんない」


「俺も意味わかんない」


「真似するなし」


 笑いながら、加瀬宮はその繊細な指でつまんだストローをグラスの中で小さくまわす。

 へこみのある氷のブロックがグラスに当たり、軽やかで涼みのある音を奏でる。


「成海の妹ちゃんじゃないけどさ。……昨日、私もママからお小言もらっちゃった」


「同盟相手に情報は共有してもらいたいもんだな」


 いつかの加瀬宮と同じ理屈を持ち出す。


「あんまり良い内容じゃないけど、それでもいい?」


「じゃあなんで話題に出したんだよ」


「……まぁ。同意できる内容ではあったから。言わないままなのは、成海に対して公平フェアじゃないかなって」


「一応、聞いてやるよ」


 加瀬宮はその小さくて柔らかそうな口をストローにつけ、メロンソーダをちびちびと飲んだ。俺にはそれがこれから発する言葉に必要なエネルギーの補充のように見えた。


「…………『あなたの遊びに付き合わせてると、あの成海って子もどんどん落ちぶれていくわよ。他人の足を引っ張るのはやめなさい』……だってさ」


「へぇ。落ちぶれていく、ねぇ……それで? それのどこへんが『同意できる内容』なんだよ」


「ん。まぁ……全面的に? 今日だって、成海は家族と過ごすはずだったでしょ。なのに私は、その時間を奪ってる」


「選んだのは俺だ。それに、仮にお前の母親の言葉が事実だったとしても、俺には通じない」


「なんで?」


「なにせ俺は――――」


 首をかしげる加瀬宮に、これだけは自信を持って言ってやる。


「お前と友達になる前から、もう十分に落ちぶれてるからな」


「……は?」


「家から逃げて、家族から逃げて。逃げて、逃げて、逃げて、この店に入り浸ってた。ほらな? もう十分に落ちぶれてるだろ?」


 胸を張って言ってやった。自信をもって言ってやった。


「……ほんと、成海って面白いね」


「それは誉め言葉と受け取ってもいいのか?」


「どうだろ。バカだなーとは思うけど」


「バカだからここにいるんだろうなぁ」


「かもね。でも……」


 加瀬宮の目には、光が戻っていた。

 今朝のように虚ろでもなくて。俺が知っている……否。この五日間で知った、加瀬宮小白が戻ってきた。


「そーいうバカなやつ、私は嫌いじゃない」


「……誉め言葉として受け取っておく」


 せいぜいそんなことを言って、視線を逸らすことしかできなかった。

 自分でも分からない。ただ今は……今だけは、加瀬宮の顔を直視することができなかったから。


「今日ってさ、クラス会の日だったよね」


「行きたかったのか?」


「まさか。……そうじゃなくてさ。私たちも今からしようよ、クラス会」


「二人しかいないのに?」


「二人だけでもクラス会はクラス会でしょ。それに……」


「「家族への言い訳になるから」」


 タイミングを合わせることなく、俺たちの言葉は一言一句違わず一致した。


「特に成海は必要でしょ」


「その気遣いに感謝しとく」


「……こっちこそ、ありがと」


 そう言って、加瀬宮はメロンソーダの残りが少なくなったグラスを小さく掲げる。


「一応、それっぽいこともやる?」


「やっとくか」


 俺もまたグラスを小さく掲げて、加瀬宮のグラスに軽く当てる。


「「かんぱい」」


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