第74話 ジロ・デ・奥多摩 その1
https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663942754795
「27、28、29、30!ヨシッ!!」と俺、
「28、29、30!オッシャー!!」と司、
「はい、おめでとさん」司のおじさん。
何をしているかというと、今、司の家の庭でスタンディングの練習をしていたのだ。
スタンディングって何かって?
スタンディングってのは、自転車に乗って、その場でペダルに足を乗せたままで停止することだ。ほらよく小学生とかがやってるだろ。
競輪の世界ではスタートはスタンディングからなので練習は必須のなのだが、ロードの場合、そういうことはないのだが、バランスを保つ練習と、なによりもビンディングペダルの脱着の練習のためにやることがある。
ってか、ビンディングペダルって何よ!?って、そうだよな。
なんか、新しい言葉ばっか出てごめんな。
ビンディングペダルってのは足を固定するペダルなんだ。
なんかそれをつけると自転車がめちゃくちゃ速くなるらしいんだ。
ただ、足を固定するのでコケる危険があるからおじさんはある程度自転車に慣れるようになったら、ビンディングペダルを入れてくれるって約束してくれてたんだ。
で、その条件として、3000㌔以上の走行距離と、スタンディングで30秒間停止できることだった。
というのも、ビンディングペダルで一番ありがちなのは、立ちごけなので、ロードバイクにある程度乗れて、スタンディングができれば大丈夫だろうというのがおじさんの考えだった。
自転車に乗り始めて3か月弱、俺は3000キロ、司に至っては4000キロも走っている。
昨年の12月に膝の水を抜かれてから、4カ月、司はコツコツと10キロの減量に成功したのだ。
だいぶ体がすっきりしてきた。服部先生からはサッカーの練習はOK出たのだが、試合に出るにはもう少し落とせと言われている。
まあ、大事に越したことはない。ここまで順調にロードバイクとウォーキングで体重を落とせたのだから、このままこのトレーニングを続けていけば5月のシーズン開幕には間に合いそうだ。
もっとも、困ったのは俺のほうで司に付き合ってトレーニングをしていると、あほみたいに体重が落ちてくる。
気が付くと1週間で2キロ落ちていることもざらにあるのだ。
そんなわけで、俺はというと、とにかく飯を食うことにしている。
司の家で晩御飯をご馳走になった後、家でも2回目の夕飯を食べる事がざらなのだ。
それでも、体重が増えることはなくキープするのがやっとなのだ。
しかし、司は、なんか納得いかない表情だ。
「あのさー、おやじ、この前、俺、二日で300キロ走って8000キロカロリー消費したのに、思ったよりも体重が落ちてないんだ」と不満顔の司。
確かに走ったその日は3キロくらい体重が落ちるのだが、翌日には全部とはいかなくても2キロ以上は戻っている。そこら辺をもうちょっと知りたい。
「ああ、なるほどね、そういや、司、人間の体脂肪って1㌔当たり何キロカロリーあるか覚えてるか?」
「うん、おやじに聞いたじゃん、確か7000㌔カロリーでしょ」と司。
「そうなんだよ。脂肪は1キロ当たり9000㌔カロリーあるけれど、体脂肪になるとその中に水分も結構含まれているから、純粋に9000㌔カロリーあるわけじゃないのはわかるよな」
「うん」と司。
「結論から言うと、7000㌔カロリーの運動をして体脂肪が燃えるのは、条件がうまく整って、500gだ」と、おじさん。
「去年、お前が水泳頑張ってた時に話したと思ったけど忘れちゃったか?」
「あー……たしかに、でも、バームとか飲んだらもっと比率が上がるんじゃないの?」と司。
「うん、バーム飲んで、心拍系で確認しながらゾーン1~3程度の運動をして、50%行けばいいんじゃないの?だってお前、プールでいくら泳いでも、体脂肪落ちなかったじゃん」
「ああー」と納得の司。
「あっ、でも勘違いするなよ。お前レベルの運動強度で泳いでも脂肪は燃えないってわけで、選手レベルだと、プールの中でも体温は37度以上になるからな。
そこまでの強度の高い運動をしても心拍がゾーン3で治まるような身体能力をしてるんだよ」
「なるほどねー」
「まあ、話を戻すけど、1キロの体脂肪を燃やすには、7000㌔カロリー分のグリコーゲンも燃やさないといけないので、つまり14000㌔カロリーの運動が必要なんだよ。
だから言うだろ、体重ってのは増やすのは簡単だけど落とすのは大変だって」
「うん」あちこちで散々聞かされた事だ。増えるのは簡単だけれど落とすのは難しいって。
「そりゃ、そうさ。落とすには最低でも2倍以上のカロリー消費が必要なんだもの」
「ああー、」そういうとがっくりとうなだれる司。やっと今おじさんの言っていたことをすべて理解できたみたいだ。
「ついでに、サッカーのような強度が高い運動だったら、脂肪が燃焼するのいいとこ20~30%なんじゃん」
「ってことは、残りがグリコーゲンって訳ですか?」と俺。
「んー、80点」
「というと?」
「場合によっては、筋肉すらもエネルギーとして消費されるんだ。ほら、真夏に激しい運動したり、長時間の有酸素運動したりね、場合によっては筋肉にたまった乳酸すらもエネルギーになるんだ。」
あー、そういや、言ってたもんな、真夏にサッカーすると体に悪いって。
「ちなみにグリコーゲンって水分と一緒に体にたまってるから、運動すると一気に落ちる体重の中身って、ほぼほぼグリコーゲンと水分だよ。
それにグリコーゲン自体、炭水化物をとったらまたすぐに体内に戻るからね。かといって、グリコーゲンが無いと脂肪は燃焼しないから、無理してごはん抜いて運動しても意味ないぞ。
まあ、計量直前のボクサーとかには意味はあるけどね、そんなの特別な時だけだよ」
「なるほどねー」
「だってさ、司」
俺がそう言うと、司は恨めしそうに自分のお腹のぜい肉を掴んだ。
「まあ、ともかく、司も神児君もここ3カ月間近く、毎日のように真面目に自転車のトレーニング積んできたんだ。そろそろ次の段階に移ってもいいかなと思ってさ」とおじさん。
「ほほーう」と司。
「次の段階って何ですか?」と俺。
「そりゃー、なあー司、一番坂だよ」そういっておじさんはニヤリと笑った。
途端に顔を引きつらせる司。あちこちの坂道でひどい目にあったのを思い出しているみたいだ。
ってか、そもそもお前が「一番坂は一番やー」とか言い出したんじゃん。
今ではすっかり平地しか走らなくなっちゃったけれど……
「まあ、司も10㌔近く体重が落ちたわけだし、その間も真面目に自転車乗ってたんだから、もう少しくらいの坂じゃへこたれないだろ、な」
そう言うとおじさんはにっこり笑う。
「お、おう、まかせとけよ、親父」
おいおい、こいつサッカーの試合の時より緊張してるじゃねーか。
「じゃあ、今日は天気もいいし、多摩尾根幹でも走ってみるか?」とおじさん。
「たまおねかん???」
「まあ、そういうコースよ。ってか、お前らも江の島に行く前に途中を何度も通ってるからさ」
「あー、はいはい、あの道ね」
そう、江の島に行くときに使う道だけど、逆側は全然行ったことが無かったのだ。
「ちなみに、逆側行くとどこに行くんですか?」と俺。
「ん、多摩川だよ」
「…………ですよねー」うん、まあ、考えて見りゃそりゃそうだ。これだけ自転車に乗ってるんだから、大体この辺りの地図は頭の中に入っている。
「というわけで、今日は尾根幹一周、獲得高度は500mを目指すぞー」
「えー、500mもあんのー?」と距離よりも高さにビビっている司。まあ、俺は500mっていうとちょっと興味はある。
「まあ、アップダウンの繰り返しだから、実際はそんなに登った感じはないから大丈夫。それに、ビンディングペダルのシェークダウンにはもってこいのコースだからさ」とおじさんは言った。
というわけで、ビンディングペダルはおじさんのコレクションからお借りしました。
おじさんの秘密基地にあるタンスの裏の木箱の中に、何セットあるんだ?と数えたくなるようなラインアップの中からおじさんに選んでもらいました。
とりあえず、最初はシマノがいいらしいですよ。
そして買うと2万円以上するビンディングシューズもおじさまのコレクションの中から俺の足に合うのをお借りしました。
「ってか、親父、なんでそんなに種類があんの?」と司。
「いや、その、踏み心地とかペダルをはめる時の感覚とか全部違ってさ、全部いいんだよ」
「あっ、そう。で、なんでそんなにシューズがあんの?」
「ビンディングシューズって他のスニーカーやスポーツシューズと違って、ジャストフィットじゃないと意味ないんだよ」
うん、確かにおじさんが見繕ってくれた靴はいつもよりもワンサイズ小さい。
「普通、靴のサイズって0.5cm刻みじゃん」「うん」
「でも、ビンディングシューズって0.25cm刻みのメーカーが多いん
だよ」「へー」
「で、メーカーによって大きさも若干違ってさ」「はあ」
「その上、サイズの他にもワイズっていう大きさもあるんだよ」
「ワイズってなによ?」
「靴の横幅のサイズ。サッカーでもあるだろ」
「あー、ハイハイ、ありますね。スパイクでも同じ25cmでもDとかEとかE2とか」
「おお、知ってるじゃん、神児君」
「ええ、まあ」と俺。
「それで、こんなに増えたんだ。いくらしたんだよ親父」
「えーっと、たくさん」
「おいっ!!」とおっかない顔の司。
「まあまあ、冗談冗談、この靴の大半はヤフオクで落札したから」
「へ?ヤフオクであんの?」
「あるんだよねー、それが、こういうのって、サイズが一つ違うとそのパフォーマンスが全然でなくなっちゃうんで」
「そういうもんなのか!?!?」
「じゃあ、今度、慣れてきたら、一つサイズの大きいシューズで乗ってごらん。すぐに分かるから」とおじさん。
どうやら奥の深い話になりそうなのでこの辺りで終わりにしたいと思います。
ともかく、ヤクオクではサイズが合わなくなったスポーツシューズが安く手に入るということだけは分かった。って、アレ。
「もしかしておじさん、サッカーシューズも出てたりしますか?」
「もちろん」おじさんはそう言ってiphoneのヤフオクのアプリにサッカーシューズと入力して見せてくれた。
うほっ、欲しいシューズが市販の1/10以下で出品されている。しかも1円出品まで。
「おいおいおい、マジかよ」と司。
「まあ、君たちだって、サイズの違うシューズでサッカーしたらやりずらいだろ」
「やりずらいどころの話じゃないよ、親父、まともにボールが蹴れなくなっちゃうよ」
司もシューズにはこだわっているからそこらへんはよくわかったみたいだ。
「ってか、親父、このアディダスの新作のスパイク、ちょっとチェック入れておいてよ」と司。
「オッケー」と共犯者を見つけられてうれしい顔をするおじさん。
なんか嫌なものを見てしまったような気がしないでもない。
「じゃあ、とりあえず、シューズの調整をするから、家の周り走ろうねー」
「調整ですか?」
「うん、ビンディングシューズを止める金具、あっ、クリートっていうんだけれどね、クリートの位置を決めるのにちょっと時間がかかるんだよ」とおじさん。
「どんなんですか?」と俺。
「あのね、つま先立ちになるときに一番力のかかる部分があるでしょ。足の親指の付け根に」
「はい、この丸いボコっとしたところですね。」
「うん、ここ、母指球っていうんだけれどね、ここにペダルの中心が来るようにセッティングするだ。このネジで調整しながら」
……うわー、めんどくさそう。
「ああ、でも、一度決まったら、それで終わりだから最初だけだよ」
「すいません。お願いしていいですか?」
「もちろん、もちろん」
というわけで、それからビンディングシューズのセッティングに1時間以上かかりました。
予想以上にめんどくさいなー、これ。
というわけで、あらためて、出発。
ペダルに足を踏み込むとパチンと心地よい音がする。
すると、あら不思議、まるで自転車を自分が一体化したような感じがして、クルクルとペダルが回る。
「おじさん、すごいっすね、コレ」
「ああ、この感覚を体験すると、もうなかなか今までの普通のペダルには戻れなくなっちゃうよ」
「へー、……あ、赤信号だ」
「司、大丈夫か、外れるか」
「お、おう、」司はそう言いながらおっかなびっくりペダルをパキッと外す。
俺も司の後ろで同じように右足だけ外して信号待ち。
すると、おじさんだけは、ペダルを外さずにガードレールに手をかけて、スタンディングしている。
「なるほどー、そうやれば、いちいちペダルを外す必要はないんだ」と司。
「ああ、慣れてきたらやってごらん。とりあえず、それまでは外すのも練習だから、止まるたびにペダルを外して足を地面に着いた方がいいよね」
「はーい」と俺と司。
そんな感じで野猿街道を東に向かう。しばらくすると、京王堀之内の交差点に出た。
どうやら今日は堀之内トンネルの檄坂は上らなくて済むルートで来たみたいだ。
そしてそのまま京王線のガード下をくぐって、多摩尾根幹に向かう坂道を登る。
するとまたまた、不思議な感覚が。
確実に坂道が楽に登れるのだが、ペダルを踏み込むよりも、持ち上げるほうが負荷がかかる。今までとは逆の感覚だ。
司もこの未知の感覚に戸惑っているらしい。
すると、おじさん、「ペダルの基本は何度も言っているように、踏むんじゃなくて回すんだよね。足を固定するとそれが今までよりも簡単にできるようになるんだ。」
なるほど。いままで、ペダルを踏むことだけで力を入力してたのが、今度はペダルを引き上げる時にも自転車に力が加わるのだ。
いままでのフラットペダル以上に効率的に自転車に力が加わる。
あー、これは知っちゃうと、もう、普通のペダルには戻れないなー。
試しに腰を上げて立ち漕ぎ(ダンシング)してみると、その効果は一層現れる。
踏み込むよりも自転車を持ちあげる感覚。坂道を四つ足で駆け上がるような感じなんだ。
司もその事に気が付いたらしく、タイミングをみてはダンシングをしている。
自転車が速くなるかどうかは分からないが確実に楽に登れるようになった。司もはぁはぁと息を切らせているが、いつもほどではない。
こんなにも早くビンディングペダルの効果が分かるだなんて、ちょっと感動ものである。
多摩尾根幹道に出たら、おじさんは右に折れて町田の方向に行く。
「おおーい、親父、多摩川の方に行くんじゃないのかよー」
「ああ、このまま2㌔くらいまっすぐだから、最高速アタックやってごらんよ」とおじさん。
そうか、確かにこの先2㌔ほどで尾根幹は終わりだけれど、その間、だだっ広い2車線道路だ。しかも丁寧に自転車専用道路まで作ってくれている。
「おっしゃー、じゃあ、行くかー」そういうと、2㌔先の終点に向かって、俺も司も、ギアをアウターに入れて思いっきり踏み込んだ!!
速い、速い、速い、いつもよりも圧倒的にスピードが乗って来る。しかも足が固定されているからペダルから足が抜ける心配もない。
スピードがグングンと上がって来る。40㌔、45㌔、50㌔、まだまだ上がると思った次の瞬間、背後からブーン!!とまるでクマンバチにでも追い抜かれたかのような音と共にプロレスラーのような体形の自転車乗りに抜かれてしまった。
速度の領域が全然違う。なんじゃアレと思いそのまま足を止めてしまった。すると司も口をポカーンと空けてその後姿を眺めている。
しばらくするとおじさんが追いついてきて、「すごいねー、アレ、競輪選手だよ」と言ってきた。
「あの、プロレスラーみたいな体の人が競輪選手なんですか」
「うん、そうだよ、ここ、よく競輪選手の人が走っているコースだから、でも、あんなすごいマクリを見たのは初めてかも、70㌔は出てたよ」
「平地で70㌔って化け物じゃん」
「まあ、短距離だと圧倒的だよね」とおじさん。
「でも、見たことないかな、レーサーパンツに2本線入っている人」
「あー、時たま見かけます」
「それ、競輪選手、プロだよプロ、ここら辺、立川とか西武園とか競輪場があるから結構プロの人練習してるんだ」
「へー、そうなんだー」と視界のはるか彼方に消えてしまった競輪選手を見る俺たち。
ちょっと拍子抜けしてしまったが、あらためて気を取り直して、小山長池トンネルの先でUターン。今度は誰にも邪魔されず、下り基調なのもあって、最高速で俺が55㌔、司は53㌔の最高速を記録した。
そしてそのまま登りに入る。けれども上り坂をずーっと登っている訳ではないので、キッツイなーと思ったくらいで今度は下り、そのままの勢いで上り坂を登るって感じで、ゆるやかなジェットコースターのような上り下りが続く。
おまけに信号も交通量も少ないのですいすいと自転車が進みと、1時間ちょっとで多摩川に掛かる多摩川原橋に出てきてしまった。
「意外と、あっさりだな」と司。
「実は今ので300m登ってるんだよ」とおじさん。
「でも、いつものコースよりも起伏があって面白いですね」と俺。
見ると右手には多摩っ子ランドの観覧車が見える。
「あー、このルートでも来れるんだー」と司。
電車でちんたら乗り換えに時間かけるくらいならホント自転車で来ちゃった方が速いな。そんなことを思う俺。
すると、おじさんが、「このまま多摩川に出て帰ってもいいけど、もう少し登らないか?」と提案してきた。
「いいですよ、まだ全然余裕ですから」と俺。
「うん、俺もまだ大丈夫」と司。
「じゃあ」という事で、おじさんは多摩川に出ないでそのまま川崎街道に沿って西に向かう。
しばらくすると、稲城病院のある緩やかな坂道を登る。
このくらいの傾斜ならそんなに心拍数が上がらなくても登れるようになってきた。
「司ー今、心拍どのくらいだー?」
「160ー」と司。
確かに以前に比べて心拍も上がらなくなってきた。
じっくりじっくり登っていくと坂のてっぺんに出る。すると途端に見晴らしのいい場所に出る。そこから武蔵野台地の遠く先まで見渡せる。
向こうに見える小さなお椀みたいなやつは西武ドームかな?
そしてそのまま一気に坂道を下る。おおー今日最速の60㌔が出た。こりゃすげーわ。
そしてお馴染みの聖蹟桜ヶ丘駅前ってことはアレですよね。
そのまま左に曲がると、「耳をすませば」のいろは坂にチャレンジ。
ってか、なにげにここの坂道きっつー。心拍計俺も170を超えた!!
「司はいくつー」
「180ー」今にもピーピー泣き出しそうな顔で必死に登っている。ってか足を固定してるので強制的にペダルをこぎ続けなければならない。
キツイ、キツイ、キツイ、とおじさん「限界なってからだと、足が動かないからペダルが外れないぞー、無理だと思ったら早めに休みなさい」と。
でも、どうにか行けそうです。俺も司も心拍数ゾーン5に差し掛かったあたりでどうにかクリア。やっば、目がチカチカする。
「まあ、ここの坂、一瞬だけど20%あるからなー、きっついよなー」
俺の自転車にはスピードメーターと距離と腕に心拍計を付けている。けど、おじさんのには坂の斜度から獲得高度、心拍計に気温に標高計と何から何までそろっている。
やっぱ、高いだけあってすげーなー。
ちなみに斜度20%っていうのは、100m進むと20m登るって意味、これ、結構な坂道なんだぜ。
そうしてやっとのことでいろは坂を登り終えると俺たちはいつもの郵便局のあるロータリーで一休み。
足首をパチリとひねり久しぶりに地上に立つ。
しかし、ビンディングペダルを取り付けただけなのに、このロードバイクという乗り物の性質がガラリと変わってしまった。
それまではタイヤが細くて普通の自転車よりも早く走れるくらいの乗り物だったのに、ビンディングペダルで足を固定した瞬間、まったく違う乗り物に変わったかのようだ。
特に坂道でこそその傾向が顕著になる。つまり運動エネルギーの入力方法が全く異なってしまうのだ。
ペダルを踏むのではなく持ち上げ、ブラケットというハンドル部分を握り車体を左右に揺らしながら立ち漕ぎ(ダンシング)することにより、腕を引き付けることでペダルを引っ張り上げるのだ。
それまで、自転車とは下半身に特化したスポーツだと思っていたのだがとんでもない。ペダルを足に固定することによって、全身の筋肉をふり絞りながら前に進むのだ。
前の世界ではプロアスリートとして飯を食ってきた自負があった。様々な過酷なトレーニングは経験してきたつもりだった。
しかしそのいずれにも該当しない極上のトレーニングなのだ。このロードバイクというスポーツは。
司も既に気付いているはずだ、このロードバイクという乗り物の特別さを。
「こいつはスゲーや」司が思わず言った一言が全てを現しているのだ。
「いやー、でも、やっぱ君たちはスポーツマンだなー」と自動販売機でスポーツドリンクを買ってきたおじさんが驚いてた。
「どうしたんですか?おじさん」
「いやいやいや、ビンディングで足を固定して、こんなに短期間できれいなフォームでロードバイクに乗れるだなんて、おじさん思わず下から見とれてたぞ。司も神児君も」と大絶賛。
予想外のところから褒められると、ちょっとどういう反応をしていいのか照れてしまう。
「そんなに、俺のフォームきれいでしたか?」
「ああ、体の芯が全くぶれずに、スイスイと坂道を駆け上っていた。よっぽど勘がいいんだろうね。神児君も司も。
おじさんなんて、まともにダンシング出来るまで、結構時間がかかったぞ。」そう言っておじさんはニコニコ。
俺と司は思わず顔を見合わして照れるばかりだ。
「そうそう、ほらこれ」そう言っておじさんは心拍計を俺たちに見せる。するとそこには今日の獲得高度500mと数字が映し出されていた。
「じゃあ、そろそろ、本格的に山に行こうか、司、神児君。奥多摩の雪も解けたことだし、クライマーの季節になったよ」
そう言っておじさんにニッコリ笑った。
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