第14話 言質
内心ヒヤヒヤの優雅な身内のお茶会が続いている。
やはり殿下は慣れたもので、王妃サルビア様を前にしてもリラックスして自然体だ。どこか遠い目をして諦観の境地に至っているような気がしなくもないけれど、この泰然さは私も見習いたいところ。
今回のお茶請けは、黒蜜がかけられた寒天、チョコレート、フルーツゼリー。
予想していた、お茶会で定番中の定番のクッキーやケーキといった洋菓子はない。
もしかして和州出身の私に配慮してくれたのだろうか?
せっかくなので美味しそうなお茶請けをいただくことにする。
「美味しい……ビターなチョコレートですね」
カカオ70%のチョコレートかしら。この苦さが美味しい。
「……君も洋菓子を食べるんだな」
失礼な! どうしてそんなに驚くのですか!? 私だって洋菓子くらい食べます!
婚約していた時、お茶請けのクッキーなどを食べていたでしょう!?
結婚してからは……殿下の前では和菓子しか食べていない気もするけども!
前世でも洋菓子は食べていた。特に和洋折衷のやつ。
「私のお気に入りのチョコレートよ。アズキさんの好みがわからなかったから、私の好みのものになっちゃったけど、大丈夫だった?」
「はい。甘すぎるものは少し苦手で……これくらいのチョコが好きです」
「それはよかったわ! アズキさんとは食の好みが合いそう! 実はキョクヤもそうなのよ」
「殿下も?」
初めて聞きましたけど。
サルビア様も殿下も甘いものが苦手だから、極力甘くないお茶請けなのね。
『そういうことは早く言ってください』と咎める視線を向けると、彼は無感情な仏頂面のままプイッと顔を逸らした。
「……まあな」
「キョクヤ。あなたそんなこともアズキさんに言ってなかったの? 呆れた」
心底呆れたため息をついて、サルビア様は頭を抱える。
これについては私も悪い。どうでもよくて殿下のことをよく知ろうとしていなかったから。
そういえば、殿下が変装して厨房にいらっしゃったとき、餡子を食べて気に入ったのが『珍しい』とカトレアが言っていたような、いなかったような……。
殿下よりも餡子が重要だったからあまり覚えていない。
「甘さ控えめと言えば、砂糖を少なくして豆腐を入れれば、ヘルシーなクッキーやケーキができますよ」
「「…………」」
「え? ど、どうしましたか? 私、なにか言ってはいけないことを言ってしまいましたか?」
穴が開きそうなほどじっと見つめる無言の眼差しに私は激しく動揺する。
もしサルビア様のご機嫌を損なうことを言ったならば、即座に謝罪しなければ!
ち、沈黙が辛い! 誰か助けて!
「……キョクヤ。私が小麦と牛乳のアレルギーを持っていることをアズキさんに言っていなかったの?」
僅かな沈黙の後、サルビア様の薄紫色の瞳が息子に向けられる。
「……言っていなかったか?」
母の視線から逃れるように、殿下の漆黒の瞳が妻に向けられる。
「言ってませんっ!」
内心泣きそうな小豆色の瞳が夫の眼差しを見つめ返す。
そういう重要なことは真っ先に言ってください!
もし知らずに小麦製品や乳製品をサルビア様にお出ししていたら、大変なことになっていたではありませんかっ!
「すまない。当たり前のことだったから、言っていなかったようだ」
「ごめんなさい。私も知っているとばかり思っていたから伝えていなかったわね。私、小麦と牛乳がダメなのよ」
「他の王族の方にアレルギーは……」
「ないな」
「ないわね」
サルビア様にだけ小麦と牛乳のアレルギーね。最重要記憶領域にメモメモっと。
この情報は命にかかわる。絶対に忘れていはいけない。
お茶会が終わったら、殿下とお話をしなきゃ。
「今日アズキさんを呼んだ理由の一つはね、あなたが考案したという小麦を使わないお菓子の話を聞きたかったからなの」
その言葉が合図となったのか、テーブルに運ばれてい来る和菓子の数々。
串無しバージョンのみたらし団子と餡子団子。一口サイズのミニ大福やあんころ餅。そして『あんみつ』。
あんみつは昨日ヨシノに作り方を教えて、まだ私も食べていないのですけど! いくら何でも情報が早すぎない!?
「あなたたちの厨房に無理を言って作ってもらったの。あとで労っておいてくれる?」
そういうことですか。でも、昨日の今日ですよ、ヨシノ。
なんだか夜遅くまであんみつの試作をみんなで作っている様子が目に浮かぶわ……。
「なるほど。母上の目的は
「あなたやカトレアが気に入ったと聞いたら気になるでしょう? しかも小麦や牛乳を使っていないというし。私だって甘味を食べたいの」
「……母上はてっきり甘い物が苦手なのかと」
「アレルギーで食べられないから食べないだけよ。甘すぎる物は苦手だけど」
食べたいのに食べられないというのは辛いと思う。
私もこの世界に和菓子が存在しないと知った時は絶望したもの。
幸い、私はレシピを覚えていたから再現することができた。そして、アレルギー持ちのサルビア様も、小麦を使わない和菓子なら食べることができる。
「どう? 美味しいの?」
「美味しいですよ、母上」
「あなたが甘い物をパクパク食べる姿は初めて見たわ。本当に気に入っているのね」
和菓子好きの私と負けず劣らず上品に味わって食べる殿下。
サルビア様が驚くほどなのね。
思い返すと、結婚後に私が作った和菓子を食べる姿は記憶にあるけれど、それまではお茶請けで出された洋菓子に手をつけた記憶はない気がする。
あぁ、あんみつが美味しい……。癒される。ヨシノ、グッジョブ! 完璧よ。
「母上も食べてみますか? 小麦を使っていないので大丈夫でしょう」
「そう? じゃあ、少し食べてみようかしら」
殿下の勧めでサルビア様が手を伸ばしかけ――
「――ダメです!」
私の咄嗟の大声にサルビア様は驚いて途中で手が止まった。殿下も目を見張っている。
薄っすら流れる緊迫した空気に気づかず、私はただひたすら安堵していた。
あんみつに夢中で危うく手遅れになるところだった。危なかったぁ……。一秒も気を抜けないわね。
殿下は困惑げに私を見つめ、
「どうして止める? 小麦も牛乳も使っていないだろう?」
「確かにこれらの和菓子には使用しません。ですが私たちの厨房では使います。もしこれらの和菓子を作っている隣で小麦粉を扱っていたらどうするのですか? 混ざっていないとは断言できません。調理器具にわずかに付着したアレルゲンでアレルギー反応を引き起こしたという例もあります。使っていないからといって安心できません」
どれだけ綺麗に洗っても、目には見えないアレルゲンが残る可能性は高い。
小麦や牛乳を扱う厨房で作った食べ物をサルビア様に食べさせるなんて言語道断!
アレルギーは命にかかわる。王妃様だろうが一般人だろうが、これは徹底すべき。
そう威勢よく言いきって、私は周囲がシンと静まり返っていることにようやく気付いた。
サルビア様も殿下も真っ直ぐに私を見つめ、部屋の中で気配を殺して佇む侍女たちも私に視線を向けている。
ハッ!? 私ったらつい大声を! サルビア様の行動を不敬にも制止してしまったし!
居たたまれない……。どうしよう、この空気……。
胃に穴が開きそうな空気を真っ先に破ったのは、王妃サルビア様だった。
彼女はニッコリ笑って一言。
「合格」
ご、合格ってどういうことですかぁー!?
これ、なにかの試験だったのですか!? 私、何も聞いてない!
「食べるつもりはないわよ。キョクヤがそう言い出すと思って、アズキさんがどんな反応をするのか試してみたの。和菓子を勧めたり、何も言わなかったら失格。キョクヤを止めれば合格。正しい知識で説得までしたから花丸合格をあげるわね」
「あ、ありがとうございます……」
私に微笑んだ後、サルビア様は王妃としての真剣な表情で静かに息子を叱る。
「キョクヤ。あなたは不合格。一歩間違えれば私は死んでいたかもしれないのよ。あなたは王太子の仕事ばかりで周りの人を知らなすぎる。国を動かすことだけが王の仕事ではありません。周りの人のことを知らずして、どうして民を導けますか」
「……はい。申し訳ございません」
「そうね。まずは家族のことから改めて知るといいわ。特にアズキさんのことを。あなたは言葉が足りなすぎる。カトレアやウィルヘルムのように何も言わずに通じるわけがないでしょう? ちゃんと言葉にしなさい」
「……はい。気をつけます」
あの仏頂面殿下が子供のように項垂れて叱られている。
珍しいものが見れたわね。彼ってこんな表情もするのね……。
「今すぐ正座させてお説教したい報告もあがってきているけれど、また今度にするわ」
殿下はお説教から逃れられないらしい。
ご愁傷様。頑張って! 自業自得だと思います!
「アズキさん。この子は本当に何も言っていないと思うのだけど、決して悪い子じゃないの。簡潔に言っても相手に伝わっていると思い込んでいる節があるだけで」
そうなのだろうか。和菓子の感想は結構詳細に述べていた気がするし……。
心当たりがあるとするならば、『初夜』だろうか。
あれは私を拒絶したのではなくて、言葉が足りないだけで別の意味があったとか?
うーむ。考えてもわからない。今度本人に聞いてみましょう。それしかない。
「もしキョクヤのことで困ったことがあったら相談してね。一言言ってあげるから」
「その時はぜひお願い致します!」
とは言ったものの、あまり頼りすぎるとサルビア様に嫌われそうだ。
夫の手綱を握るのは妻の役目だし、その逆もそう。
義両親に頼るようではまだまだ。国を統べ、民を導く資格はない。
いずれ国王と王妃になるのならば、私たち二人でやっていかなければならないと思う。
あのニコニコ笑顔の下で、今も私を品定めしているんだろうなぁ……。
国王となる夫との付き合い方を相談するのはありですか?
あとは美容法も聞きたい。そのお肌の艶……とても気になる。
「あら。お茶が冷めちゃったわね。温めましょうか」
スッと侍女の一人が近寄ってきて、それぞれのカップに手をかざす。すると、冷めていたお茶からゆらりと湯気が立ち上り始めた。
おぉ。魔法ね! その発想はなかった!
お茶が温まり、殿下へのお小言も終わって、暖かなお茶会の空気が戻ってくる。
「それにしても、美味しそうな和菓子が目の前にあるのに食べられないって辛いわね……」
物欲しそうにサルビア様は和菓子を見つめている。
これは王妃様を和菓子の沼に引きずり込む……ゴホン! 和菓子好きへとお誘いする絶好の機会では!?
王妃様が同志になれば、この国に和菓子を広めることも容易くなる。
「サルビア様。もしよろしければレシピをお渡し致しましょうか? サルビア様の厨房で作ればアレルギーの心配もありませんし」
「本当!? いいの?」
「はい。もちろんです。サルビア様にも和菓子の素晴らしさをぜひ知っていただきたく存じます。和菓子を作っている当方の料理人をサルビア様の厨房へ派遣するという方法もありますので」
レシピだけを渡しても、味と完成形を知っている人物がいたほうがいいですよね。
米粉で作れる洋菓子のレシピもお渡ししようかしら。
「――では、ヨシノという料理人と侍女のアズアズさんをお願いね!」
ほぇ? い、今なんと?
ヨシノはわかるけれど、侍女のアズアズ? そ、それって私――
「アズキさんは、アズアズさんという侍女と料理人のヨシノに和菓子を作らせているのでしょう? 作り慣れている人を呼んだほうがいいと思わない?」
相変わらず何を考えているのかわからないニコニコ笑顔のサルビア様。
すぐにヨシノとアズアズの名前が出てくるあたり、すべて把握したうえでお願いしたのだろう。私がアズアズだってこともバレているに違いない。
厨房の使用許可を殿下におねだりしたし、サルビア様がそのことを知らないはずがない。
お茶会の手紙のように有無を言わせぬお願いという名の実質命令。
私はどうすればいい? どう返事をしたらいいの? こんなの勉強していない!
で、殿下……助けて……! お母上でしょう……?
「……なるほど。母上の狙いはそれか」
ボソッと呟いた殿下は、我関せずという様子でカップを傾けて優雅にお茶を飲んでいる。
サルビア様の狙いってどういうことですかぁー!?
お茶会の目的は私との交流と和菓子についての話で、狙いは別にあったってこと? それが料理人の派遣の言質……?
思い返せば言葉巧みに誘導されていた気がする。
和菓子の話になって、アレルギーの話になって、殿下へのお小言があって、気が緩んだところに和菓子を食べられない話に戻って――物欲しそうな目をされたら勧めるしかないでしょう!? 和菓子を広めることが私の使命なんだから!
きっと私の性格も把握した上での会話だったのだろう。
こ、これが交渉術……。
サルビア様の悪巧み……。
長年、外交で鍛えられた王妃サルビア様の話術に違和感すら覚えなかった。自然な会話だと思っていた。
なのに一連の流れはすべてサルビア様の手のひらの上だった。
もうサルビア様の言葉を信じられなくなりそう……。
一瞬、素知らぬ顔で和菓子を堪能する殿下と視線が合い、『無駄だ。諦めろ』と肩をすくめられる。
こ、こんのぉー! 役立たずぅー! どこが家族の団欒ですかっ!?
何かあると予測していたのならそれをお茶会の前に言ってくださいよ! 言葉が足りないんですよ、言葉が! 力も気も抜けないどころか、陛下と会話するときよりも神経使うんですけど!
言葉巧みに誘導し、時には握った弱みをチラつかせて言質を取り合う――それが交渉であり外交。
今回はサルビア様だったからまだよかったものの、これが貴族だったら大変なことになるところだった。国外の大使や貴族ならもっとマズい。内容によっては国が傾く。戦争だって勃発するかもしれない。
そう簡単に訂正や撤回はできない。王侯貴族は言質を取られたら終わりなのだ。
「うふふ。まだまだね、アズキさん。言質を取られないよう気をつけなさい」
「はい、気をつけます……」
一方的に利益を毟り取ったサルビア様は、ニコニコ笑顔でとてもご満悦。
私から言い出したことなので、今さら撤回できるはずもなく――
「あらあら。警戒しないで。今日は、もう何も企んでないから。企んでは、ね――だから安心して!」
し、信じられませんよぉー! どうしてわざわざ言葉を強調するんですか!?
――もうヤダ! この人怖い!
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