第2話 港の少女と骨董鑑定士
少女は漁港の波止場で海を見ていました。
今日の漁は休みで、漁港は閑散としています。
おだやかな
「もうすぐ、朝5時」
少女はドキドキしながら沖を見つめていると、島影から観光船のような小さな船が姿を現して近づいてきました。
「来た! 」
少女は満面の笑顔で、その小さな船を見つめています。
船は波止場に接岸すると、船首に少女と同じ背格好の小学生くらいの猫耳の娘が、ロープを持って緊張した様子で立っていました。
船が岸壁に近づくと、操舵室の窓から豚面の男が顔をだし
「ブゥー!」
まさに、豚の鳴き声。猫耳の娘は、その声に追い立てられ、躊躇しながらも思い切って船から岸壁に飛び移りました。
なんとか着地しましたが、よたよたとこけそうになり。
「あぶない! 」
少女が叫ぶと、猫娘はよろけながらも、なんとかロープを掴んで舫いにロープを絡ませようとしますが、重いロープをなかなか引っ張れません。
少女は見ていられず、猫娘を手伝いました。
「すみません、なれていないのですニャ」
猫娘はすまなそうに言うと、少女も力を入れながら
「一緒に引っ張れば大丈夫だよ」
二人でなんとかロープを括ると、操舵室の豚面の男がすぐに出てきて、しっかりと船を固定し直しました。
猫娘は一連の作業に息を切らし、真っ青な顔をしています。
「大丈夫」
少女が心配そうに、猫娘を見ると。
「私は、船は苦手です。ご先祖様は、大航海時代にネズミ退治で大活躍されたそうですが、現代猫の私には無理ですニャ」
自分を猫と言う法被の娘に、少女は笑いそうになります。
すると、船の上から
「ブゥーーーーー」
また、豚の声がしました。振り向くと豚顔の男が看板を掲げています。
「はいはい、今行くニャ。少し休ませてほしいニャ、私が雇っているのに、どっちが雇い主かわからないニャ」
ニャー、ニャーと猫のように愚痴を言いながら、看板を受けとると堤防に立てました。
―なつかしの骨董市会場―
看板を掲げ、船に桟橋をかけると、猫娘は腰に手をあて満足そうに
「よし、準備完了! おまたせしました。骨董市の開催ですニャ! 」
猫娘は宣言しますが、周りには少女一人しかいません。
◇
少女は猫娘に広告を見せて、少し緊張しながら船の中に入ると、小さな客室のような船室に大きなテーブルがあり、その上や窓際に、無造作に品物が置かれています。
「わー! やっぱり、おばあちゃんの言ってたとおりだ」
置かれている品は、生活で使う洗面器や、お茶碗、鍋などの雑貨が多く、浴衣や、きれいな布などの衣料品、古い人形や、おもちゃも置いてあります。少女は、どれもが見おぼえのある品物ばかりです。
「おばあちゃんが、子供のとき不思議な骨董市に行ったことがあるって言ってたの。船で来て、自分や自分の親が使っていた物が置いてあったって」
「そういえば、お嬢ちゃんに似た、娘さんがこの波止場に来た覚えがありますニャ」
「ええ! おばあちゃんを知ってるの」
猫娘は微笑みながら「さぁー、ニャー」と小首を傾げて、とぼけています。
「お金は桜貝でいいのだよね。おばあちゃんが、集めておきなさいって言っていたから、よく海岸に行って拾って集めたていたの」
そう言って、桜貝が詰まった袋をとりだすと、それを見た猫娘は驚いて
「こんなにたくさん、すごいです! 爆買いしてもらえそうです! うれしいですニャ! 」
猫娘と少女は顔を見合わせて笑ったあと、さっそく置いてある品物を見始めました。
鮮やかな模様の包装紙、ビーズ、キラキラ輝くガラス玉など、女の子向けの物が多く、すでにいくつかを籠に入れています。
雑貨の他には、奥の小さな台に青とも緑ともいえない、つややかな壺と、その後ろの壁に掛け軸が飾られていますが、少女は全く興味ないようです。
少女が籠をみせると
「いくらになりますか」
猫娘は大きなそろばんを取り出し、大福帳と品物を見ながら、ぱちぱちと珠をはじいて
「全部で桜貝十三枚ですニャ」
「買います! 」
少女は即答すると、袋から桜貝を取出して渡しました。
「毎度、ありがとうございます。おおー! これはきれいな桜貝です。きっとしっかりと拭いたのでしょ」
少女がうなずくと、猫娘は追加で鮮やかな布の端切れを袋に入れ
「これは、おまけしますニャ」
「ありがとう! 」
そのあとも少女は夢中で、品物を見ていました。
◇骨董鑑定士
しばらくすると、波止場に大きな黒い車が停まりました。
スーツ姿で狐目の運転手が後部座席のドアを開けると、恰幅のいい男が降りてきて、ズイズイと船の骨董市会場に向かってきます。
猫娘が出てくると、男は骨董市の広告を見せ
「これがポストに入っていたと、私の運転手で秘書でもある者が持ってきた」そう言って、さきほどの狐目の男に振り向きます。
その男は猫娘達をきみ悪い目で見つめ、わずかにニヤついて不気味です。
「私は骨董品のコレクターで鑑定士だ。こんな時間に、船も豪華客船かと思ったら、ちっぽけな船の上での骨董市とは。たまに、偽物を売りつける悪徳骨董市があるので、監視もかねてきた。見せてもらうぞ」
悪徳骨董市と言われて、カチンときた猫娘ですが、ひきつった営業スマイルで中に案内します。
男が船の中のテーブルに雑然と置いてある雑貨を見ると
「なんだこれは! ガラクタじゃないか。これで骨董市だと」
呆れながら、狭い船内のテーブルの品物を持っては、放り投げていました。
しかし、奥の青い壺と、その横に飾られた掛け軸の前に立ち止まると、突然表情が変わり
「こっ! これは、まさか! 」
叫ぶように言ったあと、震えながら品物のそばに行き、虫眼鏡を取り出して品物を必死で鑑定し始めると。
「間違いない!……これは、中国は唐の時代の青磁、しかも、すでに失われた幻の王の。なぜこんなところに。オークションに出せば間違いなく数千万円はする。それに、これは現存していないと言われる
男は震えながらつぶやいたあと、猫娘に
「どうして、これがここに」
「すみません、私には分からないです」
「ちなみに、いくらだ」
猫娘は大福帳を取り出して
「唐の青磁は、九千万円、王羲之の掛け軸は一億五千万円ですニャ」
「………それくらいはするだろう。まあ、多少価値はわかっているようだな。しかし、これは間違いない、本物だ、偽物ではない」
“多少価値がわかっているようだな”と馬鹿にしたように言われ、猫娘が小声で
「なつかしの骨董市は、誰よりも物の価値を理解し、適正価格で販売している優良骨董市だニャ」
ブツブツと独り言のように言っているのを、少女が笑いながら聞いていましたが、振り返った時、奥の台にふれて青磁の壺が倒れかけています。
「ああああーー! 」
今にも壺が落ちようとしたとき、男が必至の形相で駆けより壺をだきかかえ、なんとか落ちずにすみました。
「おい! これが何かわかっているのか! 国家遺産、いや世界遺産ものだぞ! 壊したら、どうするつもりだ‼ 」
男に怒られて、少女は泣きそうな顔をしています。
「ご……ごめんなさい」
「ごめんなさいで、すむか! お前らに弁償できる額ではないのだぞ! 」
興奮して怒鳴る男に猫娘が寄ってきて
「まあ、そんなに怒らなくても。壺は無事ですニャ」
「何を言ってる! これがどれだけ価値のあるものか。しかし、お前たちもこんな不安定な場所に、そのまま置いておくなど、不用心だし、せめてショーケースに入れて鍵をかけておいてはどうかね。海の潮風で掛け軸も痛むだろう」
「まあ、そうです。すみませんニャ」
猫娘はうざいなーといった感じで答えます。
一方、男は憤りをかくせません。
「お前たちに任せてはおけない。わかった! 俺が、これを買いとる! 」
買うといわれて猫娘は、商売上の笑顔で
「それは、ありがとうございますニャ」
「合わせて二億四千万円だな」
「ハイですニャ」
「支払いは、小切手でいいか」
「うちは現金払いとなっていますニャ」
男はあきれて
「おい、冗談言ってもらっては困る。二億円もの大金、普段から持ち歩く者などいないだろう。一応、百万円は今、現金でもっている、手付金としておいておく」
さらに、名刺を渡して
「私は日本、いや世界でもトップクラスの骨董取集家だ。『おもしろ鑑定団』の鑑定士としてTVにも出ている。君らも広告を送りつけているから、素性はわかっているだろ」
しかし、猫娘は
「すみません、現金払いのみ、となっておりますニャ」
「話にならん! 責任者を呼でもらおうか」
「責任者は、ここにはいませんニャ」
「じゃあ、電話しろ! 」
「私は、電話番号、知りませんニャ」
埒が明かない話に男はさらに苛立ちをつのらせ
「しかし、うさんくさい奴らだ、入手経路も怪しい、警察に連絡する! 」
すぐに電話をかけようとしましたが圏外でつながりません。
車に戻り、待っている狐目の運転手の携帯を見ても、やはり圏外になっています。
漁港も完全に閉鎖され、人の気配がなく、なぜか時間も止まっているような不思議な感覚に囚われました。そこに、船から猫娘が顔を出し
「おじさん! もうすぐ閉店です。見るなら、早くするですニャ」
なす術が思いつかない男は、やむなく船に戻りました。
「わかった。それじゃあ、次に来たときに、もってくる。それまで、この品は取っておいてくれ。それくらいはできるだろう」
「わかりましたニャ」
猫娘は『予約済み』のシールを張りました。
◇桜 貝
少し安堵した男は、ふとテーブルの隅に置いてある品物に目がとまり
「これは……」
小さな茶碗でした。
「まだ、駆け出しだったころに騙されて、買ったものだ。確か五百万円で買ったが、実は数百円の偽物だったな」
何度も失敗を繰り返した若いころを思い出します。
猫娘に値段を聞いてみると
「五百万円! 」
男は笑いながら
「実は、これは偽物で、どこにでも売っている数百円の品だ。そんな値段で売ってはだめだよ」
そこに、花柄の包装紙を見ていた少女が、男の手に持っている茶碗に気づいて
「ああー! そのお茶碗、おばあちゃんが使っていたものだ。ねえ、これいくら」
「これは、五百万円です」
男は、笑うしかありませんが、次の会話に驚きます
「それなら、桜貝五個でいい」
「そんなに! おつりがいりますニャ」
「いいよ、おつりは」
少女は袋から桜貝を取り出し猫娘に渡すと茶碗を受け取り、ほかの品物を見て回ります。
それを見ていた男は驚いて
「おい! 五百万円が、桜貝五個でいいだと! 」
「はい、ここでの桜貝は、お金の代わりですニャ」
「冗談はよしてくれ。それなら、唐の青磁と王羲之の書は」
猫娘は大福帳をみて
「青磁は桜貝十個、王羲之の書は二十個ですニャ」
あいた口が塞がらない
そのとき少女が、きれいな柄の使い古しの包装紙を沢山もってきて
「これ、ください」
「はい、毎度ありがとうございます」
「いくらですか」
猫娘は再び計算すると
「桜貝で三十四枚ですニャ」
「えっと、残りの貝は三十六枚あるから、買います」
少女は桜貝を渡そうとすると、唖然とした男が話に割ってはいり
「おい、国宝級の青磁が、あの使い古しの包装紙と同じというのか! 」
「私に聞かれましても……」
猫娘が困っていると、男は桜貝を渡そうとする少女に
「お嬢ちゃん! その桜貝を売ってくれないか。あとで……そうだ好きなだけお小遣いをあげるよ」
少女は、おびえるように桜貝を抱えています。
男は札束を見せながら
「なあ、お嬢ちゃん、これでそんな価値のない包装紙よりも、新品できれいな模様の紙がいくらでも買えるよ。とりあえず、今持っている百万円を渡そう。そのあと、残りを渡すから」
少女は、見たこともない大金をみて震えています。猫娘は
「おじさん、大人気ないです。お嬢ちゃんが怯えていますニャ」
「なら、すぐに、お父さんか、お母さんを呼んでおいで!」
必死の形相の男に、少女は泣きそうになっています。
「この包装紙は、亡くなったおばあちゃんのとの思い出。どんな、宝物よりも、お嬢ちゃんにとっては、大切なものなのですニャ」
「これは人類の遺産と言っていいものだ、そんな紙切れとはわけが違う」
むきになる男に、猫娘は
「今のお嬢ちゃんにとって、王羲之の書は紙切れなのです。どちらも紙切れなのですニャ」
「馬鹿言うな! 」
無理やり少女の袋を奪おうとする男に、猫娘は胸にかけている千両小判の首飾りをチャランと鳴らしました。すると
「ブゥーーー! 」
後ろに、豚面の大男が立ち、男の手をとりました。ものすごい力です。
「お客さん、店内でのもめごとは困ります。出て行って、もらいますニャ」
睨みながら言う猫娘の瞳は、まさに獣の目で一瞬背筋に冷たいものが走った気がしました。抗えないと思った男は
「す……すまん、つい興奮して」
我ながら言い過ぎたと思い、息をととのえて気持ちを落ち着かせ、ふと少女の買った先程の茶碗を見ると、まだ駆け出しで騙されて買った時、師匠ともいえる先輩が言った言葉が思い浮かんできました。
『物には心が宿る。長年使われる物、直ぐに壊れる物、使われもせずに捨てられる物、その生涯はさまざまだ。ただ、すべての物は必要とされ生み出される、人間と同じなのだよ。だから、その価値は値段だけでは決められない』
ホタルノヒカリが流れ始めました。
「それでは終了です。またのご利用をお待ちしておりますニャ」
骨董市は終わり、船が離岸します。船べりに立つ猫娘に男は
「今度はいつ来るのだ」
「わかりません。来年か十年後か、二十年後か、二度と来ないか……」
「なにを馬鹿な、それなら他の場所で店を開くのか」
「いつどこで開くか、私にはわかりません。でも、おじさんが、本当に私たちを必要とした時に、案内を送ります。ですから、その時は是非ご来店くださいニャ」
「おい! 」
男は手を伸ばしますが、もうとどきません。むなしく、沖に向かう船を見送るだけでした。
少女が手を振ると、猫娘も手を振っています。
◇
船を見送ったあと、少女は骨董市で買った包装紙、きれいな布の端切れなどを嬉しそうに見ています。男は少女に聞きました。
「これで何か作るのかい」
「うん、おばあちゃんに教えてもらった、紙人形を作るの」
「そうか……」
すると、少女はすまなそうに
「桜貝、ごめんなさい」
男は、微笑んで
「いいんだ、おじさんが悪かった。おわびに、今開いたそこの売店で一緒にアイスを食べないか。それくらいは、おごらせてもらっていいだろ」
少女は微笑みながら首を横にふり、残った2枚の桜貝を男に渡しました。
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