第12話 心配、誤解、説明

●タヌキの話をしにいこう

 6月1日、火曜日。学校に着くと、

「ヤクザのような男性に強く突き飛ばされ、脳震盪を起こして入院した」という情報が流れていて、クラスの空気は何となく樹に優しかった。


 休み時間に何人もに囲まれて詳しい話を訊かれたが、春の口添えで、


「よくわからへん、なんか覚えてへん」ととぼけてしまうことができた。


 まだ頭の中がぼんやりしている。三時間余り、幽霊の難しい話を復唱し続けた。まだ脳みそが回復しきってない。


 樹はその日、いやがらせも受けず、のんびりと昨日のことを春に繰り返し思い出させて貰った。


「ほな家庭科室の男の子は『坊っちゃん』なんかな」


「かなわじるしのびぜんのほしか いちどまいたらいちもくりょうぜん」


「あれびっくりしたなぁ、うふふふ」

 声を殺して樹が笑った。教室中が、一瞬凍りつき、樹から全員が目をそらした。頭を打って入院した子が授業中に薄笑いを始めたのだ。全員が、程よく距離を取っておこうと思った。


「祥子ちゃんとこにタヌキさんの話、しにいこか」


「たぬきさんのはなし、しにいこう」





 放課後、教科書を片付けながら祥子も同じことを考えていた。


「タヌキの話、Qちゃんにせんといけんな」





 三福荘に戻ると、敦子が管理人室の小窓の辺りを拭き掃除している。室内は済んでいるようだ。


「夕方にはねぇ、旦那樣がお着きになるよ」


 敦子の言葉に事態を察した祥子は、鞄を管理人室の片隅に置きながら、

「お買い物に行って参りましょうか」と言う。


「そこに書き出したから」と小窓を開けて敦子が指差した。




●誤解、説明とその後で

 樹が帰宅すると、瀞が井上とカラーテレビを軽トラックに積み込んでいた。工事の道具も積まれていく。


「Qちゃん具合どうや?」と、井上が心配そうに声をかけた。


「うん、大丈夫」


「ちょっとしんどそうやな。養生しときや」

 井上は、そう言いながら助手席に乗り込んだ。


 走り出す車を見送りながら、「そんなにしんどそうかな」と樹は首をかしげた。


「おかしいね」と、春が言う。


「ただいまぁ」

 樹がいつものようにランドセルを上り口に投げ上げようとすると、千鶴子が先に手を伸ばし、ランドセルを引き上げた。


「さ、上がり。さと子ちゃんもさっき帰ってきたからな、二人で葡萄食べ」

 二人はバタバタと席に着いた。


「頂きまーす」


「大きいなぁ、すごい美味しいなあ」

 樹は頬張って喜んでいる。「おいしいね」と春も言う。


「なあなあお母さん、さっき井上くんがお手伝いいったやろ」

 千鶴子は、軽く頷いた。


「あんなん僕いけたわ」

 樹は素直な感情を言葉にした。しかし、千鶴子は、


「お手伝いも考えもんや。バーンってなったり、やくざに突き飛ばされたり、昨日は問屋の棚登らされて、落ちそうになってしもて」

 千鶴子の顔が段々険しくなっていく。


「昨日も退院して気晴らしに連れていったと思ったらあんなこと。おまけにお酒呑んで、問屋の人に送ってもらうやなんて!」


「え、ええ?」

 樹は一連のことが、違う調子で語られる違和感を感じ、狼狽した。さと子が耳打ちする。


「あんた昨日、連れて帰ってもろてから、朝までずーーーっと寝とったやろ。その間におかあさん、『病み上がりの子連れ回して何させてるんですか!!!』言うてプンプンやってんで」


「えっえ~」

 さと子の声が聞こえたのか、千鶴子の言葉が続く。


「せやのに、あの人は、『大人がどうにもならなんだことをQが、あっという間に解決して見せたんや』とかわけのわからんこと」


「そうやで!僕やから登れた棚があって、そしたらいっぱい古い部品出て来て、電機屋さんがいっぱい買いにきてん!」


「できるから何でもやるもんやないねんで。自分のしんどさ考えながらやらんとあかん」


「いけたもん。全然平気やってん」


「ほななんで昨日帰ってきた時あんなにくたくたやったん?」


「ドンちゃんのことでハナちゃんの家にいったらタヌキさんの幽霊が出てきてん」


「ああ、田伏とかいう人の幽霊がでたって話やったなぁ」

 千鶴子は台所に立ったまま、食器を拭きながら話をしている。


「僕が棚でな、重い荷物引っ張り出して、そのまま落ちそうになった時、助けようとしてくれてんで」


「え?」

 そこは瀞から聞いていない。千鶴子の手が止まった。


「上から重い荷物持ったろって手ぇ伸ばしたら、僕の手に触って、バーンってなってしもてん」


「なんでそんなとこにタヌキのお化けがいるんよ」

 さと子が腹鼓を打つ真似をしながら言った。


「田伏さんって太って日焼けしたおっちゃんのことやで。生きてる時は、この棚の下のお勘定するとこで働いててんて。死んでいくとこないから、棚の天井裏でじっとしててんて」


「Qちゃん、バーンの続きや」と、千鶴子が話を戻す。


「うん、おっちゃんの右手が消えてしもて、落ちそうになった時、下にドンちゃんが来て助けてくれてん」


「あぁ、あのダンボールに英語書いてくれた外国人のことやな」


「そうそう」


「そん時お父さん、何してたんよ!」


「え?わからへんわ。僕が降ろした部品とかいっぱい人が見に来てたし、お勘定のとこは福ちゃん一人でいっぱいやし」「こえはしたよ」と春が口添えした。


「あ、『Q!』ってお父さんの声した」「ふん!」

 千鶴子は不満げに鼻を鳴らした。


「でも人いっぱいやったし、来たら、お父さんが怪我してまうよ」

 千鶴子は、こんな場面で樹が父親を気遣っていることに少し腹立ちの気持ちを削がれた。


「ドンちゃんが、僕も荷物も受け止めてくれて、みんながワーって拍手してくれてん。福ちゃんが、カップアイスと三ツ矢サイダーくれて飲んでたら、ドンちゃん偉いから問屋さんで雇ってもらえるようにお父さんが頼んでくれてんで」

 樹が怪我をしなかったのは、その青年が駆けつけてくれたからだ。その礼に仕事を世話してやったということか、と千鶴子は理解した。さと子は、二人の会話を聞きながら、こっそり樹の葡萄をつまみ食いしている。


「ほんで、ドンちゃんとお父さんと三人でハナちゃんにほしょうにん頼みにいってん」


「あぁ、倉橋さんやな」


「お父さんとお母さん二人で貝塚に入院してる時、お見舞いにきてくれてんやんなぁ」


「なんの話してたんや。それより、続きや」

 千鶴子は、茶の間に座った。


「ハナちゃんとこついたら、タヌキのおっちゃんが怒ってついてきててん。すごいびっくりしてん」


「そらみんなびっくりやな」と、千鶴子が言う。


「でもみんなには見えへんもん」

 またさと子が樹の葡萄に手を伸ばす。


「見えへんかったらどうすんのん」


「ぼくがタヌキのおっちゃんの話とか身振りとか全部、えっと」


「じっきょう」と春が教える。「僕が全部実況したんや」


「実況?。あぁ、そんなこともお父さん言うてたわ。戦争で復員する輸送船で一緒になったら長持の中に隠れた子供が死んでしもて…。Qちゃん、あんたそんな話ぜんぶ、幽霊の話聞いて代わりに語ってたん?」


「うん」


「そんなむごい話まで…それはしんどかったやろなぁ。でも、かなり見事な講談か落語の高座みたいやったって…」

 これは本当に幽霊が見えていたり、話をしているのかも知れない。また、幽霊の様子を見聞きして、会話をしながら復唱し、仕草も真似たら、それだけとんでもなく頭を酷使する。くたくたになって翌日までぐっすり眠ってしまうのは合点がいった。


「うーん。もう一回お父さんにも詳しゅう聞いてみるわ。幽霊と話なんか、これまでしたことあったん?」


「しもみやのおじさん」と、春が言う。「下宮のおじさん」と樹が返事をする。


「夢とは別やで」と千鶴子が言うと、樹はちょっと不確かな顔になったが、再度春に「しもみやのおじさん」と言われ、「うん」と確信を持って頷いた。


「でも、実況はタヌキのおっちゃんが初めてやで」

 さと子は樹の葡萄の片面を食べ尽くし、そっと裏返す。千鶴子は、小さくため息をつくと、

「幽霊としゃべったり、幽霊の実況とかしたことは、よそでは内緒にしたほうがええで」と言った。


「え?」


「おかしい子やて思われたないやろ」

 樹は、また井上に言われたことを思い出した。


「うん」と樹は目を落として頷いた。


「さ、葡萄おいしいで」

 千鶴子はそう言うと台所にたった。


「うん」

 樹は、葡萄に手を出す。その様子を見ながら、さと子は、ほぼ手つかずの自分の葡萄の皿を持って立ち上がった。


「Qちゃん、ほんまにくたびれてるわ。今日はゆっくりしときや」

 いつになく優しい言葉をかけてさと子は、にっと笑いながら二階に上がっていった。


 樹は葡萄を一つ頬張りながら、食卓に頬杖をついた。


「あの子、豊ちゃんていうたんやなぁ」


「ゆたかちゃんだね」


「タヌキさんと逃げてきて、息が詰まってしもたんやろ」


「そうだね」


「お父さんに独楽もろて、あれ?豊ちゃんがもろたんは、おっきな黒い独楽やで!」「おおきくりっぱなくろいこま」


「長持から出てきた独楽は赤かったで!」「そうだ、そうだよ。あざやかなあかいこま」


「二色の独楽や!」



●葡萄詐欺発覚

 樹は、転がるように上がり口から店に飛び出した。自転車の鍵を取ると大声で、


「ちょっと祥子ちゃんとこ行ってくるわ!」と台所に向かって叫んだ。


「Qちゃん!」

 千鶴子と、階段から降りてきたさと子が店先に目をやった時には、樹の自転車は消えていた。


「ふぅ」

 二人はため息をつく。さと子は樹の残した葡萄に手を伸ばす。その手をすかさず、千鶴子が軽く叩いた。


「これ!全部見ててんで」

 さと子は、ぺろっと舌を出した。

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