カナン

@uchinookann

第1話

私が生まれるずっと前には、乾いた土地があったらしい。そう大人が言うし、映像も残っているから、実際そうなのだろうと思う。私の目の前でゆったり泳ぐこの魚たちは、人類の鑑賞用に、かつてガラス箱の中に放されていたのだ。今は逆、彼らが自由で、私達は海中に埋められた巨大ガラスフロスコの中。ここは深海魚エリア。私達は自分たちが生み出した汚染から逃れるために、海の中に引きこもることになったのだ。


小学校を卒業して、学力別で中学校を分けられることになり、私は仲の良かった友達と別れることになった。私にとって新しいこの中学校のクラスは、知らない人ばかりで全然なじめない。担任の先生いわく、人類の寿命が短くなったから、全ての子どもは早く役に立つ大人になって、社会に貢献しなければならないらしい。学力にばらつきのあるクラスのまま、一斉授業を行うのは効率が悪い。「誰でも仲良しみんな同じ」は小学校までで、中学校ではだいたい同じIQレベルの者が、集められることになる。


今日は「運動の時間」に屋上に出て、パネルランをした。パネルランと言っても、ソーラーパネルを踏み割らないために、その通路を走るのだ。私達の目と筋肉、骨のためらしい。どこの通路を走ろうとも、景色はあまり変わらず、のらりくらり波がたつ海面を見るばかりだ。息が上がり、心拍数が一定以上超えると、胸に付けた各自のアラームが鳴る。私のアラームが鳴ったので、それを止めて、エレベーターで水中施設にもどった。酸素マスクを外し、背中のボンベをおろし、紫外線ガードを脱ぐ。施設外は酸素が少なくなり、大気汚染も基準ラインを超えるので、何もなしでは活動できない。一度でいいからなんの装備もない状態で、あの波を打つ風を体中で感じてみたい。


学校の帰りに供給エリアに寄った。背が5㎝伸びたので、服が支給される。くすんだ白の上下を3セットだ。前の分は回収されクリーニング後、今の私より5㎝低い子へ支給される。漂白剤は使えないので、どの服もどんどん色がくすんでくる。綿花は栽培が難しいから、服も限られてくる。食料だって不足する時があるのに、服に文句は言えない。肌触りのごわごわしたTシャツと長ズボンを我慢して着るしかない。

 

それから放課後の作業にむかう。でも明日は水曜日だから勉強も作業もやっと休みだ。毎週水土日と休みが3日間あり、それ以外の日は勉強と放課後の作業を合わせて、1日6時間活動と決められている。陸地があった頃の北の国のリーダーが提案したやり方だそうだ。かつてこのあたり、ニホンと呼ばれたこのエリアの子どもは放課後にジュク、ブカツ、ナライゴトと活動がいろいろあったらしい。生活を維持するのは、大人だけの役割だったころの話だ。その頃の子どもの放課後活動の拘束時間は長く、休みも少なく、意に反した活動もあったらしいから、どうせやらされるなら、学校と放課後作業合わせて6時間と、短い時間に決められた今のほうがまだましかもしれない。


手首にまかれたリストを見る。今日の作業データが送られてくるので確認する。久しぶりに壁にびっしり生えている植物の世話だ。主な作業内容は水と有機肥料が確実にいきわたっているか、二人一組で植物を目視することである。また苗ごとに、枯れている部分を取り除いたり、根っこからやられている苗を、新しいものと交換したりする。そもそも人間の呼吸に必要な酸素は、この水中施設であるステーションの中心をつらぬく巨大なコアや、その各部屋にある太陽柱から送られてくるので、この壁植物はおまけみたいなものだ。でも万が一の停電の際には、この植物は少しは役にたつのではないだろうか。私はその時のことを作業中に想像し、壁に群がる苦悶に満ちた人たちを想う。一瞬だけ、無意味と思われる作業が楽になる。


二人一組で組まれる私の作業パートナーは、ランダムに選ばれた同世代の1人だ。今回は知らない女の子で、つんけんしている。私もあえてしゃべらないが、彼女は自分の方が少し年上とふんだのか、途中から私に向かって指示をぽんぽんとばしてくるようになった。2時間これはきついなと思う。


海水から酸素と水をとりだす技術のおかげで人口は少しずつ増え、ステーション全体はどんどん広く深く拡大されることになった。そして壁植物もどんどん増えていく。深海エリアまで、酸素や太陽光を届けることができる技術のおかげでもあるかもしれない。

太陽光が隅々と届くと言っても、それでもやっぱり海面近くにある、ステーション(St)1がうらやましい。Stは1~3まであるのだが、St1より深いSt2とそれよりもっと深いほぼ深海エリアのSt3にいると、窓から見える真っ暗な闇で気が滅入る。コアや太陽柱がどれだけ光っても、窓近くに寄ってくる魚しか見えない。


私はSt2の女子エリア内の一室で、母と住んでいる。各家庭の上の子どもが中学生になると、家族はそれぞれ男女別に、男子エリアと女子エリアに分かれて住まなければならない。兄が中学に上がった際に、私たちも別れた。私は性格的に合わない兄と別れられてせいせいするが、母はまだぐずぐずと泣き言を言っている。仲の良い兄弟がいる子はさみしいのだろうか。あまり兄と性格的に合わない私には、その気持ちはわからない。兄と別れた母が落ち込んでいるのを見て、私がうんざりした態度をとると、あなたも息子を産んで育てればこの気持ちがわかるようになると母に言われる。


私はそもそも子供を産むのだろうか。夫婦になるにも子供を産むにも、St1にあるセンターの許可がいる。異性を好きになったこともないし、自分のことで手一杯で、今はまだ想像もできない。それに私たちの世代からは産むと言っても、遺伝子上では他人の子ども産むことになるのだ。血が濃くなることを防ぐため、産むなら誰かの凍結受精卵を育てることに最近決まったのだ。この来るべきこの不遇な世界を予言していたヤマグチが、あの大洪水の前に優秀な男女の受精卵を安全な場所で凍結していたのだ。強制ではなく、産むとしたらの話だから、私なら産まないかもしれない。痛い思いをして誰が他人の子供を産みたがるのか。産まれた子にあなたのお父さんとお母さんは、選ばれた優秀な人たちだったけれど、とっくに亡くなっていて誰だかわからないと告げなければならないのだ。それにせっかく生まれてきた彼らに用意できるのは、この海の中に閉じ込められた生活だけである。いったいそれになんの希望があるのだろうか。


この命令は18歳の女性指導者一人を含む、St1にあるセンターからのものだが、また2年後には指導者が交代するので、ころっと変わるかもしれない。「権力の座に居座り続ける年寄りの男に、この世界は壊された。以後は若い女性が交代して務めるように。」とのヤマグチからの遺言で、この女性指導者交代制は始まった。この世界を予言し準備してきたヤマグチの子孫たちが、センターのメンバーを占めている。しかし彼らセンターのトップである指導者は18歳になったばかりの女性で、2年ごとに全Stから選ばれることになっている。選考基準は知らされていないが、もし選ばれれば強制的に指導者として、センターで務めなければならない。


私は今13歳だが、もし5年後万が一選ばれることになれば、どうすればいいのだろう。そもそもセンターのメンバーは「居座り続ける年寄り」ではないのか。私にはいろんな疑問があるが、センターへの批判はなぜかどこからも聞こえてこない。口に出すと母親に止められた。「彼らは私たちを海に放り出すこともできるのよ。」

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