第161話

 政さんのお風呂はいつも短い。



 ボクが自分の着替えを用意して、うるさい心臓が落ち着くより前、10分も経たないうちにもう出てきた。



「お酒飲みますか?」



 もう何度も見ているはずなのに、今日の濡れた髪の政さんが違う人に見えるのは何故だろう。

 黒のスウェット上下に、肩にかけたタオル。

 ガシガシと乱暴に髪を拭くのはいつものことなのに今日は妙に………色っぽいというか。



「いや、今日は遠慮しておこう」

「………飲まないんですか?」

「ん?ああ、今日はいい」



 てっきり飲むだろうと思って、準備をしようと立ち上がったのに、予想に反しての飲まない選択に、立った後の行動が阻まれた。

 どうしていいのか、戸惑う。



 いいの?飲まなくて。



 気持ち的には、飲んで欲しくない。

 酔った勢いでやった、やれたとは思いたくない。



 ………でも。



 政さんがボクを見て、どうした?とでもいうように首を傾げる。



「………飲まなくて、大丈夫なのかなって」

「大丈夫だが?」

「………」



 今日、本当にボクたちはするのだろうか。



 準備万端なベッドを見て、ボクはすっかりそのつもりだったけど、政さんに聞いたわけではない。言われたわけではない。



「実?」



 確認した方がいいんだろうか。って………え、何て?今日やるんですか?って?

 それはそれでかなり恥ずかしいよね。だってもし違ったら?



 どんどんと不安になってきて、ボクはただ情けなく政さんを見ることしかできなかった。

 そんなボクのほっぺたに、近づいて来た政さんの手が触れる。ふわり。



「風呂はいいのか?」

「………え?」

「入らないなら、このままベッドに連れて行くが?」

「………え?」

「俺は今日を楽しみにしていた。今日、キミを抱くのを。正直もう待ちきれない」

「………え?」

「今日は絶対に飲まない。酒など飲んでいる場合ではない。実、もう一度言う。風呂に入らないなら今すぐベッドだ」



 ほっぺたを、政さんの手が、指が滑る。

 政さんの言葉が、ボクの耳を滑る。



 政さんの目は、表情はものすごく真面目だった。本気だった。



「………しちゃったら、もう戻れませんよ?」

「戻る?」

「政さんは………ノーマルだから」

「この期に及んでまだそんなことを言っているのか?」

「………だって」



 ボクたちはまだキスまでしかしていない。それ以上はしていない。政さんはまだ、女の人しか知らない。



 もしここで踏みとどまったら。

 もしここで、ボクたちをなかったことにしたら。

 そしたら政さんは………。



 もちろん、そんなことはしたくないけど。でも。



「いい加減、俺に抱かれる覚悟をしてくれ」

「………政さん」

「俺はキミのことが好きだ。キミを心から愛しく思い、キミを抱きたいと思っている。キミが俺のことを思って言ってくれているのは分かるが、俺は、女性との結婚や関係に未練など微塵もない」



 政さんはボクのほっぺたに触れたままそう言って、ボクの唇に政さんの唇をそっと重ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る