第9話 疑似家族

「あの態度はないでしょ、バカ」

 店から数メートル。姉が俺の鞄をぐいと引っ張った。俺はしぶしぶ立ち止まる。心なしか息が上がっている。

 拍動が早いのはきっと、急いで歩いていたからだけではないのだろう。

「あの伊東っておっさん、何」

 ただのバイト先の店長ではないことは、ほぼ確証に近かった。ずっと違和感はあった。姉の妙に懐いた態度といい、俺に対する伊東の距離の近さといい。最初は、姉と伊東とが深い仲にでもあるのかと思った。けどあれは違う。ことさらに家族を強調したがる、恩を売りたがる、あの感じはまるで――

姉は迷ったように目を伏せ、それから、小さく絞り出した。

「……お母さんの再婚相手」

 澄子さん、と親しげに呼んだ声。あの時感じたおぞましさを、身体がもう一度反芻する。

 俺は得体のしれない感情を必死に飲み込もうとする。何にそんなに苛立っているのか、自分でもわからない。少なくとも理知的には見えた母親の再婚相手が、よりによってあんな胡乱な人間だったからだろうか。姉が何も知らせなかったからだろうか。それとも、彼らの「家族ごっこ」に一方的に取り込まれた感じがしたからだろうか。

 少なくとも姉は、俺よりずっと前から彼らのことを知っていたのだろう。母親と連絡も取っていたのかもしれない。アルバイトとして働きながら、伊東に娘のように可愛がられながら、姉はあの店にいた。姉はたぶん、第二の家族を見つけたのだろう。横暴ではない父親。なんだかんだと恋しがっていた実の母親。理想の疑似家族。

 吐き気がする。こんなことまで考えてしまう自分の想像力にも。

「いつか言おうとは思ってた。今日だって本当はそのつもりで――」

「へえ、そう」

 言い訳なんて聞きたくない。

「何よ、よくしてもらったくせに。話聞いてもらって、お守りまでもらって」

「頼んでねえよ」

 自分の態度が大人げないことは、自分が一番よくわかっている。それでも理性で抑えられない何かが、俺の腹の中で蠢いている。

 ぽつ、と額に小さな雫が当たった。

「言っとくけど、伊東さんだって色々気を遣ってたんだよ。母親の再婚なんて男の子にとっては酷なことだろうからって。でもずっと楽しみにしてた。話してみたいってずっと――お母さんだって、あの時は申し訳ないことをしたって気にしてて、だから」

 姉は必死にまくし立てている。俺は何も答えない。

 姉が俺を宥めようとすればするほど、俺はますます意固地になる。

「ねえ……本当に会わなくていいの?」

「いいってば」

「あんたはいつもそうやって意地はってさあ!」

「しつこいんだよ」

 強引に腕を振り払うと、姉の腕は思ったよりも呆気なく離れた。

 その拍子に姉の顔が視界に入った。瞳は恨みがましいようで、かすかに怯えを帯びている。その弱さに反して、眉はぎゅっと寄せられている。この目を俺は知っている。酒に溺れている時の、あるいは不機嫌な時の親父を見る目だ。

離婚したての時の親父は今よりひどかった。休日は毎日のように、昼間から、グラスに氷を入れる音がした。その音を聞くたびに、今日もだめかもね、と俺と姉は頷きあった。尚くん、お部屋行こ、と俺を引っ張る姉には、今と同じような不安と恐れの影があった。なんだお前らまで俺から逃げるのかと、腕を引っ張られて怒鳴られた姉は、じっと口を結んで耐えていた。理解できないものを見るような目で。

 あんな奴と一緒にしないでくれよ。

 頭にかっと血が上っていく。暴力的な衝動に呑まれそうになるのを、俺は必死に抑える。

「……後悔しても知らないからね」

 声が震えていた。泣きそうになっていたのだ、と気づいた時には、姉の背中は遠ざかり始めていた。

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