第7話
福原
「私のこと、覚えてる?」
福原は高校時代の面影を残しながらも、
高校時代からは想像もつかないほど、自信に満ちた表情をしていた。
福原
「調書見て、びっくりしちゃった」
福原
「小石川くんの名前書いてあるんだもん」
あっけに取られている僕に、福原は名刺を差し出してきた。
福原
「大谷もも子さんの弁護を務めることになりました、福原美郷です」
福原法律事務所。
名刺にはそう書かれていた。
福原
「あなたも、だいぶ驚いてるみたいだね」
福原
「そりゃそうか」
福原
「私、高校の頃は地味でバカで」
福原
「陰キャのわりに成績の悪いブス、だったもんね」
矢継ぎ早に話して思考の余地を与えないのは、弁護士としてのテクニックなのだろうか。
それとも、僕が単に動揺しているだけなのか。
福原
「私ね、あれから死ぬほど勉強したの」
福原
「学校に行く時間も惜しんで」
福原
「あなたが持て囃されてるような場所に、私の生きる道は無いと思ってね」
則人
「……」
福原
「私、あなたのこと嫌いだった」
福原
「自分のプライドを守るためなら、どれだけ人を傷つけてもいいと思ってる」
福原
「知ってたよ」
福原
「あなたが私を陥れるために、ウソの噂流してたの」
それは、自分の記憶からも抹消していたことだった。
福原
「福原はああ見えてヤリマンで、援交でお金稼いでる」
福原
「同世代には需要ないけど、ジジイからしたらあれぐらい芋っぽい方が可愛く見えたりするんだって」
皮肉なことに、その光景は鮮明に思い出された。
学校からの帰り道、僕が大智にそんな話をした。
恐らく広めたのは大智ではない。その話を後ろで聞いていた、クラスの奴らだ。
僕と福原、どちらの言うことに信憑性があるかは明らかだった。
ほどなくして、福原は不登校になった。
僕は自分を脅かす存在が居なくなって、えらく快適だった。
福原
「私、あなたのこと殺そうと思った」
福原
「でも、思いとどまった。というより、思いついたの」
福原
「あなたみたいな人が、知らず知らずのうちに人を傷つけて」
福原
「傷つけられた側は、その痛みを解消できない」
福原
「あなたみたいな人には、付け入る隙が無いからね」
福原
「自分のプライドを守るために、徹底して尻尾は出さない」
福原
「だから私は、自分を責めるしかなかった」
福原
「きっとそれに耐えられなくなったら、一線を越えてしまう」
福原
「人を殺してしまう」
福原
「そういう人を、私は救いたいと思った」
福原
「救う側に回りたいと思ったの」
福原
「だから弁護士になった」
福原
「これは、あなたへの復讐なのよ」
福原の口から語られることを、僕はただ聞くことしかできなかった。
福原
「でも、まさかこんな形で叶うなんて」
福原
「神様って本当に居るのね」
福原
「ここまでで、何か質問は?」
福原は、勝ち誇ったような顔で僕を見た。
則人
「お前だって、俺を陥れようとしたじゃないか」
則人
「そういう自分は棚に上げて、俺を責めるのか?」
福原
「私は本当のことを言っただけよ」
福原
「あなたの妙な重力に騙されて、好きになっちゃう子が多かったから」
福原
「無欲そうな男に、女は惹かれてしまうものなの」
福原
「でもあなたの腹の中は、いつだって欲に満ちている」
福原
「自己愛という名の欲にね」
僕は、裸で立たされているような気分になった。
則人
「……俺はただ、普通に生きていきたいだけなんだ」
独り言のようにか細い声を、福原は聞き逃さなかった。
福原
「あなたの言う普通って何?」
福原
「自分の思い通りに人が動くってことでしょ」
福原
「自分の過ちを正当化するための言い訳ってことでしょ」
福原
「あなたは全然普通じゃない」
福原
「普通に固執した、ただの異常者よ」
今まで築き上げてきた堤防が、いとも簡単に崩れていくのを感じた。
異常者。
僕が最も恐れていた言葉だ。
自分だけが人と違う。その恐怖。
堤防の向こうに押しやっていた濁流に、どんどん飲み込まれていく。
福原は弁護士バッジを外し、ポケットにしまった。
福原
「でもね、弁護士を選んだこと、失敗だったと思った」
福原
「もも子さんを救うことは、あなたを救うことにもなる」
福原
「あなたはどうせ、自分の普通を守ってくれる彼女のこと、また当たり前のように受け入れるでしょ」
福原
「そうしたらまた、同じことの繰り返し」
福原
「あなたへの復讐はおろか、もも子さんを救うことすらできない」
福原
「やっぱり、神様なんて居ないのかも」
福原は他人事のように言い捨てた。
則人
「……俺はどうすればいい」
則人
「どうすれば、俺のことを許してくれる」
福原
「あなたを許す気なんかないわよ」
福原
「少なくとも私は、ね」
そう言って福原は、塀の向こうを見据える。
福原
「まずは、彼女とちゃんと向き合ってみたら?」
福原
「受け入れてあげようなんて、思い上がった気持ちは捨てて」
福原
「それすらできないっていうのなら、今度は私があなたを徹底的に追い詰める」
福原
「弁護士としてじゃなく、一人の被害者としてね」
そこまで言うと福原は、踵を返し、歩き出した。
× × ×
アクリル板を隔てた向こうに、もも子は居た。
両手首の手錠が、彼女が罪を犯した人間であることを、何よりも雄弁に語っている。
何を言おうか迷っていると、もも子が口を開いた。
もも子
「ダメだね、私」
もも子
「則人くんの心も体も傷つけて」
もも子
「居なくなった方がいいよね」
則人
「そんなことない」
そこで初めて、もも子の表情を見た。
後悔を通り越し、全てを悟っているようだった。
則人
「前にも言ったことだけど」
則人
「どれだけ時間が掛かってもいいから、二人で解決の道を探そう」
もも子
「でも私、もう則人くんとは一緒に居られない……」
則人
「勝手に決めないでくれよ」
則人
「俺はもも子と一緒に居たいよ」
心が揺れてもおかしくないはずの言葉なのに、
もも子の表情は少しも変わらない。
もも子
「どうしてそこまで、私のことを許してくれるの?」
則人
「決まってるだろ」
則人
「もも子のことが、誰よりも好きだからだ」
そう言い切ったはずなのに、僕はもも子からの返答を待ち構えていた。
もも子
「……怖い」
もも子は水をこぼしたように、ポツンと言った。
もも子
「則人くん、怖いよ」
則人
「俺の、どこが怖いんだ?」
もも子
「なんでもかんでも、許してくれちゃうところ」
もも子
「則人くん、本当は人のこと、何も許してないよね?」
もも子
「則人くんは、人を許してる自分が好きなんだよ」
自己愛。
たった数時間前にも、同じようなことを言われた。
則人
「なんだよそれ、福原の入り知恵か?」
則人
「あんな奴の言うこと、信じちゃダメだよ」
もも子
「福原さんは関係ない」
もも子
「私がずっと思ってたこと」
もも子
「だから、扇風機と浮気したの」
——まさか。
則人
「……全部、嘘だったのか?」
もも子
「私、則人くんに捨てられたかった」
今日という日に題名を付けるとしたら、
間違いなく「答え合わせの日」だ。
もも子
「なんでもよかったの」
もも子
「テレビでも冷蔵庫でも、洗濯機でも」
もも子
「きっと、普通に男の人と浮気しただけじゃ、則人くんは許してくれちゃう」
もも子
「でも相手が物だったら、きっと話は変わってくる」
もも子
「許すのが難しくなるでしょ」
もも子
「だから扇風機なの」
もも子
「そこまですれば、則人くんは私のこと捨ててくれると思った」
あらかじめ決まっていた台詞を吐くように、もも子は淡々と語る。
その言葉に、どんどん体が熱くなる。
もも子
「私にとって、則人くんの言う普通は、ずっと呪縛だった」
もも子
「人生の枠組みを決められてるような気がした」
もも子
「そこから、はみ出してみたかったの」
もも子
「でも則人くんは、何が起きても当たり前みたいな顔して、簡単に受け入れちゃう」
もも子
「はみ出してもはみ出しても、より大きな普通で包み込まれる」
もも子
「いや、飲み込まれるの」
もも子
「それが怖かった」
則人
「ちょっと待てよ」
則人
「普通に勝るものはないって言った時、嬉しかったって言ったよな」
則人
「あれも嘘だったってことか?」
もも子
「嬉しかったよ、その時は」
もも子
「この人となら、ありのままの自分で居られるって」
もも子
「でも、ありのままって、波風を立てないこととは違う」
もも子
「起きたことを、無かったことみたいに過ごすのとも違う」
もも子
「素直に泣いたり笑ったりすることでしょ」
もも子
「則人くんは、それすら許してくれないような気がした」
もも子
「この人とは、喜びも悲しみも分かち合えないと思った」
もも子の声は、今まで聞いたことがないほどに通っていた。
それほど真っ直ぐに伝えているのだと思った。
もも子
「ねえ、則人くん」
もも子
「私、扇風機と浮気して、逆上して、あなたを殺そうとしたの」
もも子
「さすがにもう、許せないよね?」
これほどまでに、答えを期待された質問があるだろうか。
僕は、もも子に負けないほど真っ直ぐに、こう答えた。
則人
「門脇もも子さん」
則人
「僕と、結婚してください」
もも子の顔から、一切の笑顔が消えた。
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