第24話 好事、魔多し

 ムルニの事件ではもう既に各国が公式発表し、情報戦略を繰り広げていた。心理戦はやがて過熱し民衆運動を引き起こす火種となる。戦争は剣と弓だけではない。民衆の心を掴み情報を旨く操った方が時に優位に立てる。


 イスラール側の発表は、十字軍が自らの信仰に逆らった自民を異端とし虐殺する最中、一人のイスラールの戦士が偶々たまたま救いに入ったが劣勢に立たされた。

 

 その時、イスラールの神、アーラの使徒が現れ戦士に告げた『民を連れて逃げよ』と。十字軍はその後、使徒の裁きにより壊滅。ムルニの民は一早く支援に訪れたラングラットの軍に保護され、導きにより救われた人々は神に感謝を捧げる為、イスラー教の元に全員が転宗てんしゅうしたと公表した。

 

 そしてこれはまで、強勢改宗では無く、個人を尊重し、例え他宗教であっても人々を救うのがイスラー教であると云う事を更に世間に広く強調した形となった。


 

 逆にご都合主義のカルマ側の発表はと云うと……。


 ムルニ村がイスラールの暗部の手に落ち、侵略地となっているとの情報を掴み、村を奪還する為、十字軍が介入を試みたが、惜しくもフィダーイアサシン達の激しい抵抗により一籌いっちゅうし全滅を期してしまう。


 繰り広げられたイスラールの暗部による凄惨な残虐行為は神の怒りに触れ、審判の一撃がカルマ神の御業みわざにより放たれ、村は壊滅してしまったと云う筋書きだった。してや生存者は一人も無く、改宗したとされる民などはイスラールによる作為的な政治的虚偽であり詭辯きべんであるとした。


「まぁ此処までは予想していた事だからな。各国の言い分も分かるが、問題なのは神の存在そのものが此処に来て具現化してしまい、急いでその存在を取り合って争奪戦を繰り広げているという点だ」


「グランド、俺ぁ剣を振るう以外能がねぇからよ、良く分かんねぇんだが、存在を取り合うってなんだ? 」


「あぁ、分かり易く言えば現れた龍は一体どちらの神か?って言う話なんだ」


「そっか、悪魔じゃなくって、どうしても神の裁きって事にしたいのね。でも不思議だよね、本当に神なのかも疑わしいのにね? だってそうでしょ? 僕らが見た物は只の化け物で人殺しだった訳だし」


「ちげぇねぇや、カシューの言う通り、ありゃあ神なんてもんじゃねぇぜ、悪魔だった。いや、悪魔の方がまだ可愛いってもんだぜ」


「確かにな、到底、偉大な神と呼ばれる物には思えなかった」


「結局一体何だよありゃ、何であんなのがいやがんだよ」

ヴェインはもぐもぐと硬く味気ないパンを強引に噛み切ると、納得の行かない水っぽいワインで流し込む。


「どうでもいいけどさぁ、昼間っからお酒ばかり飲んでていいのヴェイン? 幾らこの国の人間じゃ無いっ言っても飲み過ぎだよ、確かこの国ってお酒禁止なんだよねグランド? 」


「基本酒は禁止だと聞いているが、信仰の薄いイスラー教徒や異国人、傭兵達の飲酒の規制は緩和されている。しかし厳格な教徒達は飲酒はしないのが事実だ。その他にも豚肉や鉤爪かぎつめや牙で獲物を狩る野生動物の肉や毒性のある動物、害虫を餌とする動物なども食用とする事は禁止されているな」


「何だよカシュー、じゃあ異国人の俺ぁいいんじゃねーかよ」


「それにしても自堕落じだらくなんだよヴェインは、放逸遊惰ほういつゆうだって知ってる? 怪我が治らなくてもしらないよ? 」


「それに関しちゃ、あのやぶ医者が少しなら酒も良いって言ってきやがったからよぉ、しょうがなく飲んでやってんだよ。まぁこんな水みたいなワイン幾ら飲んだ所で酔えねぇけどな。今度よぉ錬金酒ってのが飲んでみてぇなぁ」

陶器で出来たワインボトルを高く上げ、まるでガブガブと海賊ヴァイキングの様に喉を鳴らす。


「何それ、錬金酒? エールの事じゃなくて? グランド知ってる? 」

カシューはゴブゴブと喉を鳴らすヴェインをまるで汚い物でも見るかのように呆れ顔で尋ねる。


「多分それは蒸留酒アラックの事だな。別名、汗の雫。アランビアの錬金術師科学者たちは蒸留器アランビックと言う装置を使って、賢者の石と言う霊薬エリクサーを作り出そうと試行錯誤を重ねていたそうだが、その過程で偶然発見された高純度のアルコールの事だ」


 

 アランビアとは西アジア南西の巨大な半島であり、イスラール帝国発祥の地とされている。アランビア半島はその面積の大部分が砂漠に覆われており、半島の中央から北部にかけてはダフラ砂漠およびフド砂漠、南東にはルバハリ砂漠が広がっている。

 

 一方で半島南部から南東部にかけての沿岸地域は季節風の影響により農耕に適した温暖湿潤気候おんだんしつじゅんきこうとなっている。朱海しゅかい沿いには南北に山脈が連なっており、その峰は半島南西部まで続く。アラル人を始めペルシーア人、トルク人、クルドゥ人、ルダヤ人などが混在し他民族国家を形成している。


 幾つもの都市が形成された海に囲まれた半島は、その地形から朱海しゅかい印鑼洋いんどらよう紫中海しちゅうかい諸都市しょとしを結ぶ海洋交易がイスラル商人により盛んになり、同時に他国文化が流入する事になると、急速に発展し繁栄していった。


 此処では精力的にあらゆる学問が取り入れられ、医学や数学、そして中でも錬金術に関する研究が国家を挙げて成されていた。


 錬金術がもっともとする狭義には化学的手段を用いて卑金属ひきんぞくから貴金属ききんぞく、特に金などを精錬しようとする試みの事である。


 広義こうぎでは、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂も対象とし、それらをより完全な存在に錬成する試みも含まれており、不老不死の研究や神に近づく為の研究であったともされている。


 故に錬金術師は初期では魔術師と呼ばれ、時代とともに科学者と呼ばれて行くようにその名を変えた。


「高純度のお酒ね~、それはヴェインが飲みたがる訳だね」


「あぁ、俺達の傷の手当に使っていたのもそうらしい。治療用は蒸留薬液消毒液と言うが、飲酒用では蒸留酒スピリッツと言い少し違うらしいな。だが元は同じで、飲酒用には林檎やベリーの果汁で味付けをして楽しむらしい」


「おほっ、そりゃ益々楽しみってもんじゃねぇか。そろそろ俺達も外出許可くんねぇかな、此処に来てもう彼此かれこれ三ヶ月は経ってるんだぜ? 脇腹の骨も可成かなりくっついたと思うんだけどよ」


「そっか、もうそんな長逗留ながとうりゅうになるんだね、道理で寒い訳だね」


「三ヶ月か、ヴェイン、墓守達にまた報酬は先に渡すから、継続して監視を続けるように頼んでおいてくれるか? 」


「あいよ、でもよぉ三ヶ月も経てばいい加減大丈夫なんじゃねぇのか? 後どれ位監視するつもりなんだ? やっこさんだって動ける様になって、朝から晩まで墓の前から動かねぇしよ」 


耽溺たんできに成り過ぎだね。でも、あんな状態からもう動けるって、やっぱり…… 」


 時折冷たい風が建付けの悪い木枠の窓を撫でると、笛の音に似た耳障りな不協和音を奏でる。


「カシュー、それは言わない約束だぞ。此処でもう一度約束してくれ、いいな? 」

グランドはゆっくりとカシューを見据えると改めて同意を求めた。


「わ、分かったよグランド…… ごめん」


「悪いな、ヴェイン、カシュー、もう少しなんだ、もう少し我慢してくれ。これが上手く行けば良い手土産になる」


「へいへい隊長様には従いますよっとぉ、だけどよぉ俺ぁもう外出許可を貰う気満々だからよぉ、服買ってくれよ服、お出かけ用の服を買ってくれよぉグランド~ 酒場に行きてぇんだよ~ 」


「本当にヴェインは只のでかい子供だよね」


「悪かったなぁ泣き虫カシューさんよぉ」


「なっ―――――⁉ 」


「俺様を、でかい子猫と一緒にすんじゃねぇよ」


 グランドは相変わらずの二人のやり取りにやれやれと溜息をつくと、おもむろに切り出した。


「では二人共、先ずは俺達の今後について話そうか」







晩翠ばんすいの木洩れ日は、雲外蒼天うんがいそうてんきざしを示し靉靆あいたいを払う。僥倖ぎょうこうやがらずの雨となり、不日ふじつ、冬来たりなば春遠からじ。

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