第8話 断じて行えば鬼神も之を避く

 畏怖いふの念は無い。どころか久しぶりの強敵に心が踊りたかぶっていた。かなわぬであろう相手と対峙しても尚、自らが生きているとあかしを欲していた。

 

 絶えず命を捨てる覚悟をしてきた。いや、死に場所を探していたのかもしれない。生に執着する程、誰かを愛し、誰かに愛され、誰かに必要とされた事は無かった。


 そんな生きた屍に「その命を俺に預けてくれないか」と頭を垂れたひとが居た。真っ黒な心の闇に、初めて日の光が差し込んだ気がした。その光は何時いつしか徐々に大きくなり、気付くとそれが生きる理由と成っていた。


 孤独の戦士 ヴェイン・ミルドルド

 

 数多あまたの戦場を駆け、数多の者をあやめて来た、血塗られた過去を持つ戦人いくさびとは、初めて誰かを守る為、今一度、戦場の修羅と化す。


 生きる理由を無くさぬ為に……


 四つに構え黒い毛皮を被った悪魔が咆哮ほうこうし、見た目からは想像出来ない程のはやさで砂埃を上げ迫り来る‼ ヴェインはまるで予知していたかの如く、切っ先を構え、冷静に腰を落とし、迫り来る恐怖を物ともせず、相手の強襲に剣筋を合わす。


 研ぎ澄まされた集中力は相手の動きを駒送りスローモーションにする。

 

 領域を侵犯する者に鋼の鉄槌てっついを下す。大熊が腕を振るうよりもはやく、一気に踏み込み掻い潜り、西陽にしびえた切っ先を、全体重を乗せ突き放つ―――――‼


 バキンと牙を粉砕しあごが割れる。更にその場できびすを返すと、それを回転軸として身体をひねり、ゴゥと勢いを乗せ、人喰い大剣が獣を喰らう。


 側頭部からドガンと衝撃音が響き、間髪入れず顔面を無慈悲に薙ぎ払う。


 グアアアアと絶叫と共に血飛沫ちしぶきが吹き上がる。


 無骨なまでの剛剣は、切る為にあらず、己の力でって捻じ伏せる修羅の剣。


 大熊はたまらず立ち上がり、ゆがみ崩れた顔面を両の手でいたわり隠す。


(時を得た――――― )

 

 好機到来こうきとうらい、この機逃さず、その場で前転をし反動をつけ、立ち上がりに大きく踏み込み、大熊の腹を突き刺した。


 ゴアアア‼ 両腕を天に仰ぎ痛みに悶える。

 

 大剣はその腹にめり込み血を滴らせるが、踏み込みに焦りが生じ致命傷には至らない。


(ちっ‼ 浅いか――――― )


 更に踏み込み、大剣を深く突き刺そうとした刹那せつな、腹に刺さった大剣を振り払わんばかりに暴れ出し、不意に振るわれた爪先に、大剣ごと弾かれ飛ばされた。


 ドガンガガンと身体が幾度いくども跳ね上がり、空が何度も視界を横切る。

手負いの獣の一振りは、大柄なヴェインでさえも容易たやす退け、更に激しさを増し激昂げきこうする。


 ひたいから頬を伝う熱い物を感じながら、剣に身体を預け起き上がり、不敵な笑みを浮かべた。


「ごふっ……  そうか……  てめーも必死か、俺も必死だ、俺を殺りたきゃ覚悟しろ、腕一本はもらってくぞ」


すると、グランドの悲痛な叫びが飛び込んで来る。


 ―――――⁉


「シルヴァ―――――‼」


 ヴェインが視線を投げると、シルヴァの身体が大熊の鋭い爪にげられ、力無く崩れ落ちる所だった。


 満身創痍まんしんそういのグランドは身体を引きずりシルヴァの元へ駆けつける。

片目の大熊は勝利を確信し、ゆっくりとグランドに迫り寄る。


 多事多難たじたなん……


「くそっ」とヴェインは呟き、短期で仕留めきれなかった後悔を恨むと同時に、グランドを守る為の最善策を模索もさくする。


(どうする―――――⁉ どうすりゃいい―――――⁉ )

 

 目の前の大熊が耳をつんざく程、一層激しい咆哮を上げる。今からお前をるぞと言わんばかりに……。



 危急存亡の秋ききゅうそんぼうのとき、新たな幕は突然切って落とされる。


 

 シュバッと大気を斬り裂き一閃いっせん銀光ぎんびかりが走り、畑に程近い大木が鋭い切り口からずれ始め、森との境木さかいぎを越え大熊達の後方にドドンと地鳴りを響かせた。辺り一面、大きく砂塵さじんが巻き上がり風をともない吹きすさむ。


 今度はなんだ―――――⁉

ヴェインとグランドは同時に目を凝らす。

 

 大熊達は飛び上がり、後ろを振り向き後退あとずさる。未だ収まらぬ砂塵の中、倒木とうぼくつたい人影が姿を現した。その人間らしき者は倒木の上から周りをきょろきょろ見回すと、唐突とうとつに身体に回転を与えながら空に身を投げる。


 音も立てずに着地をすると、右往左往うおうさおうと身体を揺らし、片目の大熊に向け疾風はやての如く土を蹴る。やがてその身の振りのはやさに同調し、一人、また一人と残像が現れに揺れる。大きく躍動し飛躍する頃には、大熊の頭上に剣を振り下ろす無数の残像が現れていた……


 画竜点睛―――――

受け継がれるべき血脈は今この男の中に宿り始める。


 二人の瞳に飛び込んで来た映像は、たった一人の者によって一瞬で地に沈む大熊の姿だった……





 秘密の園ガーデンを出て八日目、数日には農村へ入れるであろう距離まで来た。老人から手渡された馴染みのない剣の扱いを体得する為、鍛錬をしながら農村へと向かっていた。多少、扱いにも慣れ、長物ながものを振るうと云う感覚も掴めて来た。それは一筆書きの『線を引く』と云う感覚に近かった。

 

 新しい得物えものは、触れた事も無い剣だった。美しく鋭く、それでいて妖艶ようえんな光をまとったかたなと呼ばれるその剣は、片側にしかやいばが無く、反り返る程に三日月のような刀身がスラリと伸びた代物しろものだった。時代物には名前が有るのだと云う。


 老人は、いわく言いがたしの迷刀であると付け加え俺に手渡した。

 

 【銘】妖刀鬼丸国綱おにまるくにつな


 やいばを高速で振り抜き鋭く両断する物であり、しかしながら、正しく刃を振れなければ、斬る事が出来ないのが倭刀わとうであると教わった。抜刀から納刀迄の一連の動作の指南を受け、付け焼刃ではあるが、真剣にも慣れ、何とか遣いに出る前には形になった。


「まぁあれだけ木剣を振れるんじゃから真剣でも問題ないじゃろ」

老人は欠伸あくびをしながら耳の穴をかっぽじる。


(相変わらず…… 呑気なお人だ、後で苦労するのは俺なんだぞ、それよりもいわきって悪い予感しか、しないんだが……)

 

 鍛錬は通常、木剣で行っており、さやの無い木剣では抜刀術とはどんなわざなのかも皆目見当かいもくけんとうもつかなかったが、抜刀術とは刀で在るがゆえの技であると云う事を、初めて刀を手にして肌で知った。


「それと、お主には外に出る前に言って置く事がある」

老人はゆっくりと落ち着いたおもむきで語り始めた。


「鞍馬流は人に使うな。いや、正しくは人に見せるなと言えば分かり易いじゃろ、見せたら最後、見た者は必ずほふれ。鞍馬流はの、人知れずの外法げほうの剣。その存在を知られてはならぬ剣なのじゃ。元は妖怪あやかしもの魑魅魍魎ちみもうりょうと云う人外の、闇に住まう者を討ち絶つ為の剣術であり、人々がその力を知ればいずれ何処かで争いが起こる」

 

 鞍馬流は一刀二剣術。【鬼法眼刀きほうげんとう術】と【天狗殺法てんぐさっぽう術】と分けられる。

鬼法眼刀術=剣刀術。剣術や徒手としゅ格闘術等、物理主体の剣武術。

天狗殺法術=幻刀術。幻術、呪術、妖術、神通力を用いた妖剣術。


「良いな?使うなとは言っておらん、使いどころ穿き違えるなと言っておるだけじゃ、まぁ暗殺術も会得しておるし、お主の場合、人が相手ならば無手むてで十分じゃろ、相手が人であるならな……」


 老人は何故か不敵な笑みを浮かべ続ける。


「最後に心得じゃ、先手必勝名乗る必要無し。まぁ名を持たぬお主には丁度良いじゃろうて、お主はな、この国の騎士では無い。問答もんどうは相手に有益ゆうえき刻限こくげんを与えるだけじゃ、敵と見做みなしたら迷わずて、そして刀を抜いたら最後、慈悲じひけるな。慈悲をたればあだする事もある。刀を抜くとはそう言う事じゃ、よいな?」


 そうさとすと席を立ち、神妙しんみょう面持おももちちで何かを持ってきた。


「さてと、諒解りょうかいと覚悟が出来たならこれを飲め」

老人は黒い盃をゆっくりと俺に差し出した。


「……⁉ 」


「これは師弟のさかずきじゃ、これを飲み干せばお主は完全に儂の弟子となり、儂も完全にお主の師となろう。覚えておるか? あの日、お主は儂に剣術を指南しなんしてくれと言いおった。そして儂はお主に五つの与件よけんを言い渡しておったな? 」


「はい老師殿…… 承っております」


「そうか、しかしお主にはいまだ心に迷いが見える…… どうじゃ? 図星か?」


「し、しかしそれは…… 」

俺はうつむきき、口籠くちごもる……


「して、どうする? 止めるなら今じゃぞ、儂からの与件を達成する覚悟が未だ出来ぬか? 」


「…… 」

俺はじっと一点を見詰めおもんぱか


「ふむ、ならば一日猶予ゆうよをやろう、それで心を決めてこい。心配するな、どちらに転んでもお主を責めたりはせんからの」


 柔らかな表情でそう云うと老人は離れに去って行った……


 俺はため息を付き、木枠で出来た窓を開け、曇天どんてん鈍色にびいろに落ちた空を見上げる。随分と見慣れた景色を見詰め、来たばかりの頃を振り返る。


 ―――思えば此処に来て何年経った?…… 

(どれだけの月日を老師は惜しみなく俺に与えてくれた?)


 ―――お前は老師に何を返せる?……


 九仞きゅうじんこう一簣いっきく、そんな事には出来ない。


 鷹の山別れ、いよいよと飛び立つ決心をする―――





≪あんたの只のたわむれだとばかり思っていたのに、ラシード、あんたまさか…… ≫


 ―――老人の頭の中で女が語る……


「言うなアナベル…… みなまで言うな…… 」

老人は椅子に深く腰掛け天を仰いだ。





 許可され手渡たされた物は、倭刀わとう、脇差し、野太刀長巻、仕込み槍、軽甲冑、外套と面頬めんぽうと呼ばれる物だけで、暗殺術の武器である暗器の類いは禁止され、木々の上を渡る事も、縄や火薬そして弓や馬を使う事も禁止された……


「老師殿、やはりこれらを禁ずるにも意味が有ると? 」

不安をあらわにし、ずと尋ねる。


「なんじゃ不服か? 」

老人は眉根まゆねせ、湯を注いで茶を淹れる。


「いえ、そんな事は…… 」

風が悪戯に木枠の窓を少し開け、柔らかな風が頬を撫でる。


「お主は何じゃ? 」

老人は不機嫌そうにお茶を差し出し、椅子に背を預ける。


「―――――⁉ 」

(どうやら老師のかんさわってしまったようだ)


「お主は儂の何じゃと聞いておる」

老人はじっと俺を睥睨へいげいする。


「で、弟子です、老師殿」

襟を正し慌てて答える……


「ならば師のいう事なれば黙って聞いておれば良い」

老人は目を閉じ両手でって茶をすする。


「……はぁ、」

反駁はんばく軋轢あつれきを生むか…… )


「なに、そのうち解る」


「…… 」





 月明りの水面みなもに映る自分を覗き込み、夜の目も寝ずに俺は自問自答していた。


 この八日間そればかり考えて居た……


 老人は「いづれ解る、いつかわかる」その言葉の繰り返しだった。


(本当にそれでいいのか? 本当に強く成れるのか? )

頭の中の自分が取りすがる。


 答えに飢えていた、結果が欲しかった、身体で感じ得るものを。

(何故こんな俺を老師は弟子にした?何故だ…… )


 エマにも未だ勝てた事は無かった。いい所引き分けしかない……

(情けない…… )


「くそっ‼ 」


 一閃‼ 溢れ出る感情に任せ、闇夜に向け刃を振るう。何度も何度も無心で振るう。汗が肌を伝い刀は妖艶に月明りを返し、機をうかがえと俺を諭す。


ようやく汗が地面を染めると俺の心は少し洗われた気がした……







憂鬱な夜のまやかしは、妖刀により払われる。闇夜に紛れ機を窺うは、己の心のみにあらず。怪しく光る眼光は直ぐ側にまで迫っていた。

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