第6話 外法様の剣

「お主達、まさかとは思うが既にむつってはおらんじゃろうな? 」


 怪訝けげんな表情で押し測るその視線に笑みは無く、じっと申し開きを待っている。昨晩からずっとあの小屋で二人過ごし、先程、母屋に帰って来た所を、待ち構えていた老人に捕まった。


「睦み合い? 」


 エマは昨夜の事など露知つゆしらず、身に覚えのない事の様に猫のぬいぐるみを愛でて居る。


「そうじゃ、ピンとこぬか? 情交性交に及んではおらぬのかと聞いている」


 語尾に力を入れ射竦いすくめ、好好爺こうこうやである普段とは打って変わり神妙しんみょう面持おももちで問い掛ける。


「ちょ⁉―――― ちょっと待ってくれ兵衛…… いや老師殿、俺は断じてそんなもとる行為は―――― 」


 額に汗が滲み言葉が口籠る。


「どうした⁉ 歯切れが悪いようじゃが、やましい事でもあるのか?」


「じょ、情交には…… 及んでいない、それだけは信じて頂きたい」

 

 俺は昨夜の記憶を一つ一つ慎重に思い出しながら、確かめるように答え、同時にエマのあられもない姿が脳裏に浮かび、ごくりと喉を鳴らす。


「はぁ」と深いため息を付き呆れた表情で老人は続ける。


「よいか? 予め申しておったつもりじゃったが、お主、理解はしていたのか? 」

 

「…… 」


 俺は言われていた事をもう一度思い浮かべる。


1つ、幻覚に対する耐性作りと毒への抗体作り。

1つ、覚醒をもたらす環境下での記憶欠如や心的外傷トラウマへの治療。

1つ、忌々ゆゆしき事態に備え身体の特徴の相互確認。


 それは、やましい目的でエマを連れ込んだ訳ではなく全てこの鍛錬の一環であった。


「忌々しき事態とはな、仮にどちらかがさらわれ、助けが遅きに失した時に身元を確認する為に必要になる。むくろに首が無かったらどうする? それこそほくろの位置や古傷の場所で本人を確認せねばならぬ、じゃからお互いの身体を良く知っておく必要があるのじゃ」


 老人のお説教が長かったのか、エマはぷいっと猫のぬいぐるみを抱き、自分の部屋に入っていった。老人はエマのその姿を見送ると、少し小声で問いかけてきた。


「まぁ良いわ、それでエマの身体には何か特異な点は在ったか? 」


「特異な点とは? 」

俺には何が特異な点なのかが理解出来なかった。


「そうか…… ならば、まだ良い」


「―――――⁉ 」


「まぁ気にするな、じゅくせば形となろう」


 老人は小さなテーブルに着くよう俺に目で促す。


「さて、指南もそろそろ大詰めじゃ、次に駒を進めるぞい、二十一在る剣術と槍術の型は覚えたか? 」


 俺は矜持きょうじを示し老師の目を見て答えた。

「ご教授頂いた通りに、木剣と長槍にて型の鍛錬は毎朝、欠かさずに」


「良い答えじゃ、では、五行ごぎょうの構えを唱えよ」


「上段、中段、下段、八相はっそうの構え、わき構え、それ以外には正眼せいがんの構えと、かすみの構えが師の教えにあたる」


「ふむ、良く学んでおる。では、まだ日も高い、ちいとばかり見せて貰おうかの、ついて参れ」


 そう言うと老人は木剣を握り、母屋近くの河川敷に俺を連れ出した。





「何故に此処なのかと言う顔をしておるの、まぁ聞け、お主がいつも鍛錬している場所は土の上で足場も良い、しかし此処はどうじゃ?子砂利や大きな石がごろごろしておってり足もままならんじゃろう?それが学ぶには適しておるのじゃよ」


 確かにこれでは足元が覚束おぼつかず、間合いに入るのにも覚悟が必要だ。


「どうじゃ?準備は必要か? 」

老師は背を向けたまま問い掛ける。


「いや、老師殿さえ良ければ」

俺は木剣の持ち手を袖口で拭い襟を正す……


「そうか、では、ぼちぼち参るぞ」

ヒュンと木剣を横に薙ぎ払うと、ゆっくりと振り返り俺と向かい合う。



 辺りの空気が張り詰め凍り付く―――――


 

 肌に伝わる殺気がたわむれで無い事を指し示し、一気に音の無い世界へと引き込まれる。老師は片手下段の構えで、その切っ先は足元の子砂利の中に埋もれてしまっている様にも見える。素人目には両の腕をだらんと伸ばした仁王立ちにしか見えないが、老師の構えには隙が無い――――


鞍馬くらま流 鬼法眼刀きほうげんとう術】

 

居合抜刀術を含む、総合剣武術。その技は十三人を一瞬で抹殺したとされ剣術の祖とされた流派。また創始者は僧であり陰陽師おんみょうじであった事から、呪術、妖術、神通力をも使いこなし西洋の魔術師などよりも遥かに絶大な力を持っていたとされる。その人知を超えた面妖な技の数々から何時からか人々は口々に『天狗様』とうたうようになり、後に『鞍馬天狗』と語り継がれるようになった。


 俺は正眼の構えからじりじりと歩み寄り、間合いを詰めようと試みるが、小石が多く不安定な足場でふらつき眼球を僅かに足元に流した。


 ―――――⁉


 ヒュンっと風切り音と共に握り拳よりいくらか小さめの小石が眼前がんぜんに飛び込んで来る。飛礫つぶてを何とか木剣で弾くと、続け様に幾重いくえにも小石が風を切り襲い掛かる――――


「―――――くっ!! 」


 どうやら下段の構えで向き合って居たのは、剣先で小石を弾き相手に隙を作らせる為でったかと今更気付くが、時既ときすでに遅し、小石を捌くのに手間取り、簡単に一足一刀いっそくいっとうの間合いを奪われる――――


 恐ろしい程の剣速が、瞬きさえも許さずに、木剣を唸らせ上段から振り掛かる。防御の要である霞の構えの陣形でさえ簡単に崩される。


 ガガンと衝撃が伝わり握り手が痺れる‼


「ぐっくぅ」


 片手で繰り出して来た一刀で有る事を忘れてしまう程の剣圧。


(体躯は俺と変わらない、いやむしろ俺の方が身体は大きい筈だが、何という剣の重さか)


「ふむ、良く太刀筋を見ておるのう」


 俺はこの重い剣撃を受け切れず、交差した木剣を滑らせ、体軸を少しばかり流し、右に回り込み勢いをなす。


「ほほ!そこはいかんの、お主はそこにおびされたのじゃぞ」


 老師の言葉の意味を理解するのに時間は掛からなかった。


 メキッと俺の右わき腹に老師の左脛ひだりすねがめり込み、激痛を伴いながら、いとも簡単に身体が宙に浮き、ガララと河原の砂利の上に受け身も取れぬまま吹き飛んだ。


「がはっ‼ 」

蹴られたのか? 全く捉えられなかった……


「ほれ、はようせんと、もう終わるぞ? 」


 だらしなく横たえた身体を起こし奮起する。


(敵うと思うな!敵を知り、敵を討て!)


きょう   わく

おどろく―――

突然の出来事に心が乱れて正常な判断ができない状態。


おそれる―――

恐怖心が起き、攻めようにも退こうにも、体が動かない状態。


うたがう―――

相手が何をするのか疑心暗鬼になり、敏速な判断、動作ができない状態。


まどう―――

精神が混乱して、敏速な判断、軽快な動作ができない状態。


(全ての雑念を捨て乗り越えろ‼ )

 

 ―――呼吸を整え力を抜き半身開きで構える……


「ほう……ようやくらしくなってきたのう」


 ゆっくりと細く息を吐き、吐き切ったと同時に斬り込み、触刃しょくばの間を制し更に踏み込む。ゴウッと今持てる力の限りで剣先を老師に詰める‼


左上段の流し打太刀――――


――――⁉

カンッと、途端に受け流される。


(剣を留めるな、相手が老師ならば去なされて至極当然‼ 振り抜け‼ )


 ピリッと空気が騒ぐ――――

《鞍馬流 絶斬ぜつぎりり雷鳴‼》

 

 体勢を入れ替え、身体を反転させ遠心力を以って頭、胴、腰、脚と四連撃を雷鳴の如き神速で叩き込む‼


 ガガガガン―――――‼


「ほほぅ、雷鳴をも操るか、儂じゃなければ危うかったぞ」


 老師は全ての斬撃をも受け切る。


(くっ!これでも届かないのか――――)


「ならばみせようぞ‼ 良く学ぶがよい」

 

 老師が語り掛けると同時にドンッと地場が揺れ小石が一面に舞い、

浮きだった小石が一瞬、空中に止まる‼


「なっ―――――⁉ 」


《轟け‼ 絶斬り―――― 雷鳴‼ 》

 

 電光石火の剣速が小さな竜巻を生み老師の周囲が吹きすさむ。

俺はその風圧だけで巻き上げられた小石と共に弾き飛ばされ、一撃目を偶然に受けた木剣が粉々に砕け散り俺の頬に傷を刻んだ……


「がはっ」

大きな岩に背中を打ち付けられその場で崩れ落ちる―――

(これまでか…… )


 老師は心折れた俺を見透かしたように続ける。


「何じゃ? 剣が無ければ立ち上がれぬか? 儂はお主に総合剣武術を仕込んだつもりであったが感違いじゃったかのう? 」


 俺はぎりっと歯を鳴らし、ふらふらと立ち上がる。腰を落とし上段下段と左右の腕を伸ばし無手の構えを取り対峙する。はぁはぁと肩で息をしながら強勢を張った。


「これからです老師殿」


「そうか」

と、老師は呟き、ぽいっと木剣を投げ捨て、脚を半身ずらし構えに入る。




「では儂を早速、殺しに来い‼ 」






 

 昼下がりの日差しはいまだ強く水面を照り返し、其々それぞれが抱える想いを胸に、河の流れだけが時を刻んで行った。

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