第10話 もう一つの地下世界

 僕がぺタルダを背負い、先ほど出会った機械マスクの男の人が、マナさんを背負った。

 マナさんの傷は大きなものだったが、彼の処置によって顔色がいつも通りの血色に戻る。


「安心するといい、今はただの応急処置だが、地下世界に戻れば本格的な治療ができる。

 この子も、君が背負うその子も、命を落とすことはないさ」


「あの、ありがとう、ございます……」


「ん? どうしてだい? お礼などいらないさ。助け合わなければ私たちは生き抜くことができないのだからね。一方的な施しはしないのさ。

 君が別の機会に私を助けてくれればいいさ。だからお礼など、毎回言わなくてもいい――」


 そう言って、彼は僕を先導するために歩き出した。


 それから、僕のこれまでの生活や、ここにはいないワンダさんのことなど、雑談に花を咲かせていると、彼が案内してくれた地下世界への入口に到達する。


 敵には遭遇しなかった。

 もしかしたら、安全地帯でもあるのかもしれない。


 そうなると、彼は種族の敵にとても詳しいのではないか、そう思った。


 荒れた地面の砂利を足でどかすと、頑丈そうな鉄の蓋があった。上に開けると、人が数人、同時に入ってもまだ余裕がある大きさの穴が見える。

 彼に続いて僕も入ると、着地したら坂道になっており、五回に一回は滑りそうだった。


「気を付けてね。君が転べば、背中の子も巻き込まれることになるのだから」

「き、気を付けます」


 思えばこの言葉は、まるで僕の未来を見越して言ったセリフにも思えた。


 穴の先は僕たちが住んでいた地下世界とは異なり、手入れが細かいところにまで行き届いていた。僕としてはかなり住みやすい環境になっている。

 均等に置かれた燭台のおかげで、地下世界の全体が明るく感じ、繋がっている道の奥までよく見える。


 老若男女、大勢の人たちが顔を緩ませ、談笑していた。


「うわぁ、こんなにたくさんの人が……っ」


 ワンダさん、マナさん、ぺタルダ……、僕が知っていて、しかも会ったことがあるのはこの三人だけであり、今の環境のなにもかもが、僕にとっては初体験であった。


「恐らく、世界で最も規模の大きな地下世界だと思うよ。人数も多いだろうね。

 ……さて、案内は後でするとして、だ。まずはこの二人を安静にさせてあげよう」


 はいっ、と頷き、彼の後について行く。


 上と横に開けた広い空間に出ると、一瞬の暴風によって体が押し戻され、尻もちをついてしまう。振動が背中のぺタルダに伝わってしまい、心配になって肩にあるぺタルダの顔を見る。


 ……すぅ、すぅ、と規則的な息遣いが聞こえ、僕は安堵の息を吐いた。


 ……おかしな話だ。突然の暴風であったが、自然現象ではなかった。


 地下世界であり、外の繋がりも蓋によって閉じられているのだから、もしも風が流れたとしても、体が押し戻されるほどに強い風が流れるはずもない。


 だから人為的なものだ。

 真上から、ひらりと舞い落ちてくるものがあった。


 ――手の平から逃げるそれは、真っ白な羽根だ。


 ぺタルダと同じ……、しかしぺタルダとは違う、幻ではない本物の羽根であった。


「総司令……、また新しい子をお持ち帰りしましたので?」


 翼をはためかせ、空間の上部の突起した岩に腰かける、ブロンド色の髪をした少女がいた。

 僕たちを見下ろす視線は、嘲笑の意が込められているようにも感じる……。


「ああ、ついさっき見つけた子たちだ。

 新しい仲間になるのだから、そう敵意を剥き出しにするものではないよ、サリーザ」


「仲間……フフっ、どうでしょうね。どうせ守られるだけの食糧泥棒に成り下がるのがオチではないですか? 遭難者を見つけては引き込んで、組織を大きくしようとして、結局、継続的に助けなければならないお荷物を背負ってしまっていると自覚なさるべきでは?」


「この世は助け合いだ。そんな酷いことを言うものではないよ」


「全員を救うことはできませんよ? 総司令。まずは、自分とその周囲を助けなければなりません。あなたがもっと冷酷になっていただければ、私もこうして重荷を背負わなくともいいのですけど……、まあ、あなたのことはよく知っています。仕方ないですからね」


「……苦労をかける」


「いえいえ。そろそろその椅子を譲っていただけると嬉しいですわ」


 いや、任せられないな、と彼は切り捨てた。


 歩み始める彼の後に、少女を気にしながら、僕もついて行く。


 サリーザ、と呼ばれたアンギラス族の少女。

 ふと、僕が振り向いた時、彼女はとても冷たい目で、まるで恨みの対象のように、僕を見下ろしていた。


 なにかを言われるよりも早く、視線を前に戻し、


「あの、あの子は……」


「彼女はサリーザと言ってね、小さな子たちのまとめ役を買って出てくれたのだよ。要領が良く、私にはない視点で色々と気づかせてくれる子ではあるのだが……、如何せん、さっきのように仲間を重荷と感じているようでね。

 ……彼女が天上種であるからこそ、仕方のない認識ではあったりするのだが……」


 はぁ、と僕は曖昧に頷く。


 後半は僕に、というよりも、自分に再確認した意味が強いのだろう……、声が小さく、かろうじて聞き取れた呟きだった。

 ……知らない単語が出れば、基本的に僕が覚えている記憶よりも前の、世界での常識なのだろう。聞くタイミングを逃し、彼の呟きを追及することもできなかった。


 代わりに、もう一つ、気になったことを聞いてみる。


「あ、あの……、総司令、って呼ばれていたのは……」

「後で説明するつもりだったのだが……どうしようか。いま、知りたいかい?」


 僕は首を左右に振る。

 マナさんとぺタルダを背負ったまま、長話をしたくはない。


 確かに呼ばれている理由も知りたいが、それよりもまず、


「僕も、総司令、と呼んだ方がいいですか……?」


 一瞬、彼は口を開けて固まり、すぐに、ふっ、と吹き出した。


「そうか、すまなかった。まだこちらは名乗っていなかったのか。……そうだな、総司令と呼んでくれて構わないよ。君くらいの子はみんなそう呼んでいるからね。

 合わせた方が溶け込みやすいだろう。もちろん、本名もきちんと教えるよ」


 そして、階段をさらに下りて、辿り着いた、壁に開いた穴の中に広がる一室。


 暗幕を持ち上げて中に入ると、大小の箱や袋が無造作に置かれている。

 人が横になれる空間と布団も用意されており、ここが治療部屋だと分かった。


 僕が思っていたよりもしっかりとした治療室だ。


 ……僕がこれまで住んでいた地下世界の治療室なんて、狭く、様々な物が多い倉庫のようなものだったから、比べたらこれでもしっかりとしている部類に入る。


 贅沢だと思うけど、命に関わる治療室はもっと広く取るべきだと今は思っている。

 管理しているガサツなワンダさんへ出る、マナさんの不満も分かる気がした……。


「布団は自由に使ってくれて構わないさ。さあ、二人を寝かせてあげよう」


 二人を横に寝かせた後、総司令が僕をじっと見つめていた。


「え、と、なにか……?」


「ちょうど良いと思ってね。アルブルくん、この階層の階段を下りた場所に、温泉が出る場所があってね、そこを私たちは浴場として使っている。

 時間帯によって切り替わるのだが、今がちょうど、男の順番になっているんだ。良かったらだけど、入ってきたらどうだい。君にできることは今のところはないから、時間を持て余してしまうと思ったのだが……。

 それに、清潔でいてほしいという理由もある。病源菌を持たれていても困るからね。服は新しいのを用意するよ。……どうかな?」


 どうかな、と言われても……、断る理由がなかった。


 専門知識が必要な治療には、確かに、僕はなんの力にもなれないだろう。


 そうは言っても、傍にいるだけでもだいぶ変わるとは思うが、やっぱり知識を持っている人材を隣に置くべきだと僕も思う。

 僕自身も、自分が足手まといだと分かる。

 だったらその時間、体を綺麗にしておくのは悪いことではない。


 眠っている二人とはまた違うが、僕のこれも治療と言えるかもしれない。


「ゆっくり入っておいで。男は女の子に比べて、入る時間も頻度も多いわけではないからね……今はきっと貸し切りなのではないかな。私も、二人の治療が済んだら少し遅れて行くかもしれないが、その時はゆっくりと談笑でもしようか」


 総司令のお誘いに頷き、浴場へ向かう。

 道具は一式、浴場にあるらしいので、それを使えばいいと言われた。


 治療室から見える階段を下りてから真っ直ぐ、すぐに分かるとは言っていたが……。


 と、すぐに見つけた。

 空気の温度が変わったので、見なくとも浴場だと確信を持てる。


 立ち上る湯気によって視界がぼやけてしまっているが、どうせ服を脱ぐだけだ。全裸になり、用意されていた白い布を持って、浴場へ足を踏み入れる。

 お湯に浸かれるなんて僕たちが住んでいた地下世界では考えられない。数か月に一度しかできない贅沢な行事になっていた。


 マナさんやぺタルダは、毎日のように入りたそうにはしていたけど、水を大量に、安易には使えない。

 飲料として……、それ以外にも用途がたくさんあるため、なかなか湯船には使えないのだ。


 一応毎日、体を綺麗にするため、冷水を手の平いっぱいに溜めて体を流したり、布を濡らして拭いたりはしていた。


 僕とワンダさんはそれでも充分であったから、あまりこだわりはなかったが――、


 しかし、こうして湯船に浸かってしまうと、もう元には戻れない。


 これが毎日となると、地下世界に引きこもっていても文句は出ない気がする。

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